ジャン=リュック・ヴィルコさんは、力強いイメージからこのメッセージを始めます。パウロは自分自身を「主の囚人」と呼びました。ローマの囚人ではありません。状況に囚われているのでもありません。ただキリストだけに捕らえられた人、それがパウロなのです。もしパウロの名前をあなたの名前に置き換えたら、どうでしょうか。「主の囚人」。本当にそう言えますか。あなたをまだ縛りつけているもの、物や趣味、持ち物はありませんか。この問いかけから、エフェソ4章1〜6節全体を貫く勧めが始まります。あなたの召しにふさわしく歩むこと、御霊による一致を保つこと、そして信徒同士の間で三位一体そのものの一致を映し出すことです。
この記事の流れ
- 主の囚人であり、他の誰の囚人でもない
- あなたの召しにふさわしく歩む
- 一致を保つための四つの姿勢
- 三位一体を映す一致
1. 主の囚人であり、他の誰の囚人でもない
パウロは獄中からこの手紙を書きながら、自分の身分を獄吏によって定義されることを拒みます。地上の権力者たちが彼を閉じ込めたのは事実です。けれども彼の真の主人は、主ご自身です。彼はキリストの囚人であり、他の誰の囚人でもありません。
ジャン=リュック・ヴィルコさんは、こんなシンプルな作業をあなたに勧めます。「パウロ」のところに、自分の名前を入れてみてください。「〇〇、主の囚人。」この一文は、心にちくりと刺さる問いを投げかけます。あなたは今も何かに囚われていませんか。趣味でしょうか。物でしょうか。地位でしょうか。習慣でしょうか。信仰者にはただ一人の主人しかいません。それはキリストです。
2. あなたの召しにふさわしく歩む
パウロは続けてこう語ります。「そこで、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧めます。あなたがたが受けた召しにふさわしく歩みなさい」(エフェソ 4:1)。この召しとは、神があなたをご自身の計画に従って召してくださったという事実を思い起こさせるものです。あなたはキリストにある信仰者の共同体に属しています。あなたは教会という体の一部なのです。
動詞はシンプルです。歩む。しかし、どんな歩き方でもよいわけではありません。ふさわしく歩むのです。この歩みには、受けた召しにかなった行い、姿勢、態度が伴います。ここで問いは個人的なものになります。あなたの生き方は、家庭でも、職場でも、教会でも、神があなたを召してくださったことにふさわしいものになっているでしょうか。
3. 一致を保つための四つの姿勢
エフェソ4章2〜3節は、御霊による一致を平和の絆によって保とうと努めるために欠かせない、四つの大切な姿勢を挙げています。それは謙遜、柔和、互いに耐え忍ぶこと、そして愛です。
謙遜
謙遜とは、主ご自身の特徴でした。ピリピ2章5〜9節でパウロはこう描いています。「神の御姿であられるのに、神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえっておのれをむなしゅうして僕のかたちをとり……おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした」。主の主である方が、一人の人間となることを受け入れられたのです。
あなたにとって謙遜とは、兄弟姉妹を自分より大切な存在とみなすことです。それは従順として証しされます。もし主が求められるなら、兄弟姉妹の益のために何かを手放したり、正したりする用意はありますか。謙遜の土台は、自分の利益より相手を優先することにあります。
柔和
柔和とは、この世界で失われつつある美徳です。指摘や忠告、助言を受けたとき、あるいはあなたを心底いらだたせる相手の態度に接したとき、あなたはどう反応していますか。柔和は御霊の実の一つです(ガラテヤ5:22-23)。それはあなたの言葉に表れますが、何より言葉の調子に表れます。柔和さを欠くと、交わりが壊れやすくなります。柔和はまた、自己制御や振る舞いにも関わります。コロサイ3章12節はこう告げています。「あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、心からあわれみの情、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」。これはまさに実践すべき道であり、今この瞬間から始まります。兄弟に、姉妹に、配偶者に、子どもたちに、あなたはどんな話し方をしていくでしょうか。
互いに耐え忍ぶ
謙遜と柔和の欠けを正すことができれば、互いに耐え忍ぶことはもっと容易になります。意見の違い、異なる考え方、望ましくない態度、あなたの思い通りにしてくれない人を耐え忍ぶのです。兄弟姉妹に対していら立ちを覚えるとき、あなた自身が罪によって幾度も主を悲しませてきたことを思い出しましょう。
耐え忍ぶとは、あなたの気に入らない相手の態度について、あちこちで愚痴をこぼすことではありません。それは相手を担いながら愛することです。もし傷つけられたなら、聖書が示す道があります。マタイ18章15節は、まず二人だけで兄弟のところへ行くように勧めています。ただし、それは常に愛の霊のうちに行われるべきです。
互いへの愛
あなたがイエスの弟子であることを世に示すのは、あなたの愛です(ヨハネ13:35)。また、あなたが神の子であることを証しするのも愛です。「これによって、神の子たちと悪魔の子たちとの区別が明らかになる。すべて義を行わない者、また兄弟を愛さない者は、神から出た者ではない」(1ヨハネ3:10)。愛こそが、謙遜、柔和、そして一致しようとする意志を築く土台なのです。
4. 三位一体を映す一致
3節から6節にかけて、パウロは「ただ一つ」という言葉を繰り返し打ち込みます。一つの体、一つの御霊、一つの主、一つの神なる父。あなたが同じ御霊、同じ主、同じ神を持っているのですから、父・子・聖霊が一つであるように、あなたも他の信仰者と一つになるべきなのです。
ヨハネ17章20〜23節は、読むたびに心を揺さぶられる箇所です。イエスはこう祈られました。「わたしはこの人々のためばかりではなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いいたします。父よ、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、彼らをもひとつにならせ、世が、あなたのわたしをお遣わしになったことを、信じるようになるためであります……彼らを完全にひとつにならせ、そして、あなたがわたしをおつかわしになったこと、また、わたしを愛されたようにこの人々をも愛されたことを、世が知るためであります」。
イエスが求められる一致は、単なる飾りではありません。それは証しそのものです。父・子・聖霊が一つであるように、あなたは神。父・子・聖霊。と一つになるよう召されていると同時に、兄弟姉妹とも一つになるよう召されています。この二重の一致こそ、主ご自身の願いなのです。
覚えておきたいポイント
- あなたにはただ一人の主人しかいません。それは主です。今も何に囚われているか確かめましょう。
- 召しにふさわしく歩むとは、受けた召しに日々の生活を合わせていくことです。
- 一致を可能にする四つの姿勢は、謙遜、柔和、互いに耐え忍ぶこと、そして愛です。
- キリスト者の謙遜のモデルは、キリストご自身です(ピリピ2章)。自分より相手を優先すること。
- 信仰者同士の一致は、父・子・聖霊の一致そのものを映し出すものでなければなりません。
あなた自身への適用
- キリスト以外に、あなたが今も囚われているものは何でしょうか。
- 四つの姿勢(謙遜、柔和、忍耐、愛)のうち、あなたが最も成長すべきものはどれですか。
- 今週、交わりを回復すべき兄弟姉妹はいますか。
- 家庭や教会でのあなたの話し方の調子は、キリストの柔和さをどれだけ映していますか。
- もし主が求められるなら、一致を守るために何かを手放す備えはありますか。
引用聖句
よくある質問
エフェソ4章1節の「主の囚人」とはどういう意味ですか。
パウロは自分の投獄をローマのせいにすることを拒みました。彼は自分がキリストだけに属していることを思い起こさせます。あなたにとってこれは、主以外の何にまだ囚われているかを問う言葉です。趣味、持ち物、地位、習慣などです。
エフェソ4章2節によれば、一致を保つための四つの姿勢とは何ですか。
謙遜、柔和、互いに耐え忍ぶこと、そして愛です。これらの姿勢によって、3節に語られる、平和の絆による御霊の一致が可能になります。
教会の一致は、どのような点で三位一体に似ているべきですか。
ヨハネ17章20〜23節で、イエスは弟子たちが父と子が一つであるように一つになることを祈られました。信仰者同士の一致は人間の組織ではなく、神ご自身のいのちを映し出すものであり、それこそが世に対する証しとなるのです。
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