はじめに
「もう一度行こう。遅すぎることはありません。」これは、ロンドンのジーザス・ハウスの牧師アグ・イルクウが、10月4日の感謝の日曜日に語ったメッセージにつけた題です。牧師は会衆に、隣の人にこの言葉を力強く伝えるよう呼びかけます。
年の初めに、教会には「行け」というテーマが与えられていました。しかし、年末まで残り3か月となった今、牧師は正直に指摘します。全員が出発したわけではありません。事業は始まらず、応募書類は送られず、関係は回復せず、体重は減らず、聖書通読の計画は「レビ記のどこか」で止まったままです。
牧師はヨナ書3章から、この静かな失望を抱えている人々に励ましの言葉を語ります。神は二度目にも語られます。そして、今年の最後の90日は残りかすではないのです。
メッセージの流れ
1. 静かな失望と「遅すぎる」という嘘
- ヨナは、アッシリヤの首都であり、悪に満ちた大きな町で、イスラエルの宿敵でもあるニネベへ行って宣べ伝えるように命じられます。しかし彼は拒みます。ニネベが悔い改めれば、神が赦されることを知っていたからです。彼は反対の方向にあるタルシシュ行きの船に乗ります。
- 神は嵐を送り、ヨナは海に投げ込まれ、神は大きな魚を備えられます。牧師は認めます。「日曜学校では、あれはクジラだと教わりました。」しかし聖書にはそう書かれていません。三日三晩ののち、ヨナは祈り、神はそれを聞かれ、魚はヨナを陸地に吐き出します。
- 自分自身への失望は重い荷であり、ほかの痛みよりも静かなものです。私たちは歌い、微笑み、すぐに「大丈夫、私は勝利者です」と答えます。それは良い言葉ですが、ときにその陰で、こう言う声が聞こえます。「あなたは御言葉を聞いたのに、またしても何もしなかった。」
- 敵はもっともらしい嘘をささやきます。「もう遅い。1月まで待ちなさい。新しい年、新しいあなた。」実際には、敵は丸3か月、つまり1年の4分の1をあきらめさせようとしているのです。
- 牧師はこう例えます。ある人が1000ポンド持っていて、そのうち750ポンドを無駄にしてしまいました。手元には250ポンドが残っています。再び1000ポンドを渡されるのを待って、残りを捨ててしまうのは愚かなことです。「今年の最後の90日は残りかすではありません。それは贈り物です。」
2. 神は二度目にも語られる
- もしペンテコステ派に守護聖人がいるとしたら、ヨナは「行け」と言われたのに行かなかった人々の守護聖人でしょう。
- 彼の失敗は偶然ではなく、意図的な選択でした。ヨナは間違った場所へ行くために運賃を払い、船乗りたちの命まで危険にさらしました。
- 不従順は一つの方向にしか進みません。下へです。ヨナはヨッパに下り、船の中に下り、海に下り、魚の腹の中に下ります。「神の御言葉から離れる一歩一歩は、下へ向かう一歩です。」
- それは反抗ではなく、先延ばしであることもあります。気を散らすものであることもあります。牧師はそれを「オノの平野」と呼びます。ネヘミヤの敵は、オノの平野で会おうと彼を誘い出そうとしました。ネヘミヤの合言葉は、「ここはオノの平野だ。私は下りて行かない」となりました。ほかの人にとっては、それは恐れです。
- ヨナ書3章1節。「主の言葉は再びヨナに臨んだ、」そして「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに命じることを伝えよ」と言われました。神は使命を取り消されません。二度目の言葉は最初と同じです。「立って、ニネベに行け。」神はヨナを降格せず、脇に置かず、別の人を選ばれませんでした。
- ペテロはイエスを三度否定しました。イエスは彼に説教をしません。朝食を用意し、三度「わたしを愛するか」と尋ね、使命を返されます。失敗はペテロの物語の終わりではなく、最も大きな季節への入口となりました。
3. しかし、お言葉ですから
- ヨナのように逃げなかった人もいます。従い、腕をまくり、祈り、断食し、働き、信じてきたのに、示せるものがまだ何もありません。この失敗はいっそう厳しく、戸惑いも伴います。「私は本当に神の声を聞いたのだろうか。私に何か問題があるのだろうか。」
- 実を見ないまま忠実であり続けた人に、牧師は語ります。神はあなたの労苦を見ておられます。「空の網は、神があなたを忘れたという証拠ではありません。」
- シモン・ペテロはプロの漁師であり、よく知っている湖にいます。ルカによる福音書5章5節で彼は言います。「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう。」イエスは彼に、漁師としての知恵に反して、真昼に深みへ漕ぎ出して網を打つよう言われました。
- 奇跡を行う前に、イエスはペテロの舟を借りられます。「神にあなたの人生を貸しなさい。神に仕えなさい。仕えているその最中に、いつ神が人にはできないことをあなたのためにしてくださるか、あなたには分からないからです。」
- 物事はこうあるべきだと神に告げて、神に扉を閉ざしてしまった人がどれほどいるでしょうか。牧師は、神を神とさせ、「小文字の神」を演じるのをやめるよう招きます。
- ペテロの答えは、最後の四半期の鍵です。「しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう。」説教者が言うように、この「しかし」は失敗を正直に認め、御言葉を経験や知識や過去の上に置き、行動へと導きます。「行動を伴わない祈りは、むなしい営みです。」
- 一晩中何も取れなかった網が、獲物の重みで破れそうになった同じ網でした。新しい道具も新しい湖も必要なく、必要だったのは新しい御言葉だけでした。
4. 神は失われた時を回復される
- 「遅すぎる」という恐れは、時間に対する恐れです。「あまりにも多くの時間を無駄にした。もう十分に残っていない。あの9か月はどこへ行ったのだろう。」
- ヨエル書2章25節。「わたしがあなたがたの中に送った大軍勢、すなわち、いなご、ばった、食い荒す虫、かみ食う虫が食い尽した年々を、あなたがたに償う。」神は失われた時を赦すだけでなく、回復されます。神は時間の囚われ人ではなく、時間の管理者です。
- ヨエル書の文脈では、いなごがすべてを食い尽くし、ぶどうの木といちじくの木は枯れ、季節ごとの労苦が失われました。神は「来年はもっと頑張りなさい」とは言われません。「わたしに立ち返れ」と言われ、そして回復を約束されます。
- 聖書における回復には、余りが伴います。ヨブは持っていたものの倍を受けました(ヨブ記42章10節)。律法のもとでは、捕えられた盗人は、盗んだ以上のものを返さなければなりませんでした。
- 牧師は、「哀れな」祈りをやめるよう求めます。「主よ、この年の残りを何とか救い出せるよう助けてください。」そうではなく、無駄にした月々、失われた勢い、先延ばしにした従順を回復してくださるよう神に求めましょう。
- ニネベは歩いて3日かかる町でした。ヨナはまず1日分歩き始めただけで、王から身分の低い者まで町全体が神を信じました。「神が、9か月か10か月でなすべきことを3か月で成し遂げられないなどと言わないでください。」遅れて出発した預言者が、聖書に記された最大のリバイバルで締めくくります。
- マタイによる福音書20章のたとえでは、十一時に来た労働者が、一日中働いた者と同じ賃金を受け取ります。牧師は会衆の上に「十一時の祝福」を宣言します。
5. 立って行け: これからの90日のための六つの歩み
- 霊感だけでは足りません。「1月には私たちは感動していました。3月にはその感動は消えていました。」ヨナ書3章3節。「ヨナは主の言葉に従って立ち、ニネベに行った。」議論も、話し合いも、先延ばしもありません。
- 第一に、失敗が置き去りにした場所から立ち上がりましょう。自己憐憫のパーティーと、失敗を皆に語って回ることをやめましょう。だれもが傷跡を抱えています。35年の牧会のなかで、牧師はクリスチャンを外見で判断しないことを学びました。告白すべきことを告白し、恵みを受け、立ち上がりましょう。「罪責感はいつもあなたを下へ引きずります。恵みはいつもあなたを引き上げます。」
- 第二に、御言葉に立ち返りましょう。1月に、2月に、神はあなたに何と言われましたか。「神の御言葉は決して期限切れになりません。」
- 第三に、一度にすべてをしようとしないでください。ただ一つのことを選びましょう。毎朝いきなり42章を読もうとしたり、教会のある女性牧師がしているからといって10分の祈りを一気に3時間にしたりしないでください。配偶者に優しい言葉をかけることから始めたことがないのに、SNSの「ビフォー・アフター」写真や人前での愛情表現に惑わされないよう注意しましょう。一歩一歩進みましょう。
- 第四に、今週始めましょう。今日の午後、あるいは明日。過ぎた月々を失わせたのは先延ばしであり、それを回復するのは行動です。
- 第五に、深みへ漕ぎ出しましょう。つまり祈りの深みへです。まず祈ることから始めましょう。
- 第六に、ひとりで行かないでください。ペテロは仲間を呼んで、獲物を引き上げるのを手伝ってもらいました。多くの場合、何も変わらなかったのは、互いに責任を持ち合う関係がなかったからです。何をするつもりか、ホームグループや友人に伝え、彼らが声をかけてきたときには、ほかの教会へ逃げるのではなく、その励ましを受け入れましょう。
6. 警戒すべき敵の三つの武器
- 恥。「もう一度やってみようなんて、あなたは何様のつもりか。みんながあなたの失敗を見ている。」ミカ書7章8節で答えましょう。「わが敵よ、わたしについて喜んではならない。わたしは倒れても起きあがる。やみの中にすわっても、主はわたしの光となられる。」
- 恐れ。「また失敗したらどうしよう。笑われたらどうしよう。」牧師は答えます。「確実な失敗は、決して出発しないことだけです。」テモテへの第二の手紙1章7節で答えましょう。「神は、わたしたちに臆する霊をお与えになったのではなく、力と愛と慎みとの霊を与えて下さったのである。」
- とても理にかなって見える先延ばし。「1月の計画を立て始めたらどうだろう。」その狙いは、この90日を無駄にさせることです。コリント人への第二の手紙6章2節で答えましょう。「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」
7. 12月31日に言えるようになりたいこと
- 牧師は、新年の礼拝の場にいる自分を想像し、過ぎた一年を振り返るよう、一人ひとりを招きます。
- 「1月にやってみたけれど、あきらめました」とは言いたくないはずです。こう言えるようになりたいのです。「私は行き詰まり、失敗し、もがきました。でも10月に、神が二度目に語りかけてくださり、私は立ち上がって出かけました。そして、主がしてくださったことを見てください。」
- 牧師は、機会を逃したことを認めて立ち上がる人々のために祈ります。神がすべての罪責感から彼らを解き放ち、「遅すぎる」という声を黙らせ、二度目に御声を聞かせ、今週一歩を踏み出す勇気を与えてくださいますように。
心に留めたいこと
- 神のもとでは、失敗は終わりではありません。御言葉は二度目に臨み、使命は変わりません。
- 空の網は、神があなたを忘れたという証拠ではありません。「お言葉ですから」は失敗を認め、従順のうちにもう一度出発することです。
- 神は失われた時を赦すだけでなく、回復することができます。そして、はるかに多くの時間が必要に思えたことを、短い間に成し遂げることができます。
- 霊感だけでは足りません。立ち上がり、御言葉に立ち返り、一つのことを選び、今週始めましょう。
- 恥と恐れと先延ばしは、敵の武器です。私たちは神の御言葉をもってそれらに答えます。
個人への適用
- 年の初めにどんな御言葉を受け取りましたか。そして、正直なところ、今日あなたはどこにいますか。
- あなたの失敗は、ヨナの失敗(逃げる、先延ばしにする、気が散る)に似ていますか。それともペテロの失敗(働いたのに何も見えなかった)に似ていますか。
- 今週から取り戻すことを選べる、ただ一つのことは何ですか。
- 恥、恐れ、「1月まで待て」という三つの声のうち、どれをいちばんよく聞きますか。どの聖句でそれに対抗しますか。
- 年末までにしようと思っていることを、だれに話せば、続けるのを助けてもらえますか。
引用された聖書箇所
- ヨナ書1章
- ヨナ書3章1-10節
- ネヘミヤ記6章2節
- ヨハネによる福音書21章15-17節
- ルカによる福音書5章1-7節
- ヤコブの手紙2章26節
- ヨエル書2章12-25節
- ヨブ記42章10節
- マタイによる福音書20章1-16節
- ミカ書7章8節
- テモテへの第二の手紙1章7節
- コリント人への第二の手紙6章2節
よくある質問
ヨナ書3章は失敗について何を教えていますか。
主の言葉は「再び」ヨナに臨み、それは同じ使命でした。「立って、ニネベに行け。」アグ・イルクウによれば、神は召しを取り消さず、ヨナを降格せず、別の人を選ぶこともしません。神のもとでは、失敗は物語の終わりではありません。
従ったのに何も起こらなかったとき、どうすればよいですか。
説教者はルカによる福音書5章のペテロを例に挙げます。彼は夜通し働いたのに、何も取れませんでした。空の網は、神が彼を忘れた証拠ではありませんでした。彼の答え「お言葉ですから、網をおろしてみましょう」は、失敗を認め、イエスの言葉を自分の経験の上に置き、行動へと進むものです。
神は失われた時を回復してくださいますか。
はい。ヨエル書2章25節で、神はいなごが食い尽くした年々を償うと約束されています。アグ・イルクウは、神は時間の囚われ人ではなくその主であり、神の回復には余りが伴うと語ります。ニネベで3日かかるはずだったことは、1日で成し遂げられました。