ヨセフと牢獄とパロ:どん底から抜け出すには

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はじめに

あなたも、どん底にいるように感じたことがあるかもしれません。どんなにもがいても、状況は動きません。何か良いことが起きても、それが長続きせず、もっと激しく落ち込むのではないかと不安になります。過去、特に家族の過去に縛られていると感じます。不当な仕打ちが重なっているように思え、生きているというより、ただ生き延びているだけのような日々です。そしてクリスチャンであれば、時には神様に見捨てられたとさえ感じてしまうこともあるでしょう。

創世記40章から41章には、まさにそんな状況にあったヨセフが登場します。兄弟たちに売られ、その後、主人の妻に無実の罪を着せられて、10年以上も不当に牢獄に閉じ込められていました。そこに転機が訪れます。この機能不全に陥っていた家族が、再び回復し始めるのです。この箇所は、神様が沈黙しているように思えるとき、どん底に閉じこもったままにならないための3つの鍵を教えてくれます。

この記事の構成

1. 牢獄のヨセフ:二つの夢と、仕え続ける一人の男

パロの給仕役と料理役が、ヨセフと同じ牢獄に入れられます。ある夜、それぞれが夢を見ます。朝になると、二人とも浮かない顔をしています。しかしヨセフは、不平を言いません。神様を責めることもしません。彼はただ、自分の仕事を続けます。彼らのところに行き、こう尋ねるのです。「どうして今日はそんなに元気がないのですか」(創世記40章7節)。

解き明かしてくれる人がいないと二人が言うと、ヨセフの答えは驚くべきものでした。「解き明かしは神様のものではありませんか。どうか私に話してください」(創世記40章8節)。彼は夢を解き明かします。給仕役は三日後に元の地位に戻され、料理役は処刑される、と。すべてが彼の言った通りになります。それでも、給仕役は牢獄を出るとヨセフのことを忘れてしまいます。ヨセフはさらに二年、獄中にとどまることになります。

2. 一つ目の鍵:自分の殻に閉じこもらず、仕え続けること

あなたが苦しんでいるとき、サタンの戦略はいつも同じです。あなたを自分の殻に閉じ込めようとするのです。そして苦しみは、あなたの耳元でこう囁きます。「神様があなたを罰しているのだ」と。いいえ、それは因果応報の考え方であって、キリスト教の教えではありません。「あなたが苦しんでいるのは、神様に見捨てられたからだ」というのも違います。思い出してください。イエス様は、神様に最も愛された方でありながら、最も苦しみ、最も拒絶され、拷問を受け、母親の目の前で半裸のまま十字架につけられた方でした。あなたの苦しみの大きさは、神様があなたをどう思っているかとは、まったく関係がないのです。

ヨセフは、自分を閉じ込めません。彼は行動し、仕え続けます。実はこれこそ、彼の名前がヘブライ語で意味していること(「加える」「続ける」)なのです。そして仕えることを通して、彼は神様を経験します。この箇所には、忠実な奉仕を示す三つのしるしが記されています。

  • 仕えるとは、他者に与えることであって、自分を高めることではありません。ヨセフは、神様が自分ではなく他の人に夢を与えたことについて、不平を言いません。あなたの教会での立場は、あなたが何をしたかによるのではなく、キリストがあなたのために成し遂げてくださったことによって与えられているのです。
  • 賜物の目的は、人を喜ばせることではなく、人を建て上げることです。聖書における偽預言者の大きな特徴の一つは、人々が聞きたいことを語ることです。もしあなたが他者のために神様から受け取ったものが、「神様はあなたを祝福したいと思っています、待っていれば祝福の季節がやって来ます」というものばかりであれば、あなたは自分の声を神様の声と混同しています。神様の声は、聖さへ、奉仕へ、そして自分に死ぬことへと導くものです。
  • スポットライトは神様に当たるべきで、あなた自身に当たるのではありません。「解き明かしは神様のものではありませんか」。ヨセフは、優等生のように得意げに手を挙げたりしません。すべてを神様へと向け直すのです。パロの前でも同じです。「それは私ではありません。神様がパロに良いお答えを与えてくださるのです」(創世記41章16節)。

3. 補足:夢を通して神様が語られているかどうか、どう見分けるのか

聖書の中で、神様はいつの時代も夢を通して語りかけてこられましたし、それは今日も変わりません。キリスト教信仰が禁じられている国々から回心した人たちの多くが、夢の中でイエス様と出会ったと証ししています。しかし、あなたが見る夢のすべてが、必ずしも神様から来ているわけではありません。

この箇所に繰り返し出てくるしるしがあります。夢が神様から来ているとき、その人は心が乱されるということです。何か特別なことを経験したのだと、本人がわかるのです。給仕役と料理役は、朝になって不機嫌そうにしています。パロはエジプトのすべての賢者を呼び集めます。それほど彼の心を悩ませているのです。神様は非常に優れたコミュニケーターです。神様があなたに何かを告げられたなら、それは必ず起こります。あなたはそれを確信することになるでしょう。そして、その解き明かしは多くの場合、別の誰かを通して与えられます。最後に、神様から来たメッセージを「解き明かす」ことと、そのメッセージを「適用する」ことの間には、根本的な違いがあります。使徒の働き21章10節から14節では、パウロと教会が同じメッセージ(パウロがエルサレムで苦しみに遭う)を受け取りますが、その適用は異なります。パウロは行こうとし、他の人たちは行かないようにと彼に言います。解き明かしは正しく、適用は間違っていたのです。キリストの体(教会)と祈りは、やはり欠かせないものなのです。

4. 二つ目の鍵:マナセ、状況ではなくあなたの心を神様に変えていただくこと

それから二年後、パロは、七頭の肥えた牛が七頭の痩せた牛に食べられる夢と、実った七つの穂が焼けた七つの穂に飲み込まれる夢を見ます。誰もそれを解き明かせません。ようやく給仕役が思い出します。ヨセフが呼ばれ、彼はこう解き明かします。豊作の七年間の後に、飢饉の七年間が来る、と。パロは彼に、いわば総理大臣のような地位を任せます。ヨセフは家庭を築き、二人の息子に、自分の苦しみをどう理解したかを表す名前を付けます。

長男の名はマナセです。「神は私に、私のすべての苦労と父の家のすべてを忘れさせてくださった」(創世記41章51節)。よく注意してください。神様は出来事そのものを忘れさせたのではなく、苦しみを忘れさせてくださったのです。聖書では、自分の過去やトラウマを埋めてしまうことは求められていません。そうしなければ、それは圧力鍋のように、いつか爆発してしまいます。手当てされていないトラウマは、化膿した傷のようなものです。時間が経てば経つほど、痛みは増していきます。神様が来られるとき、その傷を洗いきよめてくださり、それは傷跡へと変わります。傷跡は消えることなくそこに残りますが、以前と同じようには痛まなくなるのです。

良い知らせは、神様があなたの心を変えるために、あなたの状況を変える必要はないということです。キリスト教が約束しているのは、境遇の快適さではなく、心の回復です。そしてイエス様が来られてからは、さらに大きな恵みがあります。聖霊によって、神様は私たちのうちに住んでくださっているのです。混乱のただ中で、祈りがただの嘆願になってしまうときでさえ、マタイ11章28節から30節は、たましいの休息を約束してくれます。私たちが解放を求めても、神様が「今ではない」とお答えになるときでさえ、コリント人への手紙第二12章9節は、神様の恵みが私たちに十分であると教えてくれます。そして、イエス様が私たちと同じ人としての人生を歩まれたからこそ、ヘブル人への手紙4章15節は、イエス様が憐れみのまなざしをもって、私たちのことをわかってくださっていると教えてくれるのです。

5. 三つ目の鍵:エフライム、苦しみのただ中で実を結ぶこと

次男の名はエフライムです。「神は私を、苦しみの地で実り豊かにしてくださった」(創世記41章52節)。マナセの名がヨセフの過去において神様がなさったことを振り返るものだとすれば、エフライムは彼の現在を語るものです。神様は彼を故郷に連れ戻してはくださいませんでした。兄弟たちとの和解もまだ起きていません。それでも神様は、彼が苦しんでいるその場所で、彼を実り豊かにしてくださったのです。

イエス様が死そのものに勝利されたのなら、あなたが今抱えている苦しみも、イエス様にとって大きすぎることはありません。ピリピ人への手紙2章6節から11節を見てください。最も苦しまれたイエス様こそ、神様が最も高く上げてくださった方です。無駄な苦しみなど、一つもありません。しかし神様は、いつも私たちの信仰を通して物事を逆転させてくださいます。もしあなたが希望を持つことをやめてしまえば、神様が働かれる手段、あなたを助けてくれる関係、そして神様があなたに与えたいと願っている解決を、自ら手放してしまうことになります。

そしてこの実り豊かさには、特別な一面があります。それは、あなたの家族です。ヨセフは家族を奪われましたが、新しい家族を与えられました。あなたのこれまでの家族が機能不全であったからといって、同じことを繰り返す運命にあるわけではありません。「自分が受けてきた生い立ちを考えると、与えられないものがある、自分には愛する力がない」と思うなら、それは嘘です。イエス様を迎え入れた瞬間から、あなたもまた、こう言うことができます。「主よ、私から始めて、変わっていきます。この名前はもう、離婚や、愛の欠如や、虐待とは結びつかないものになります」と、エフライムの名を自分のものとして宣言できるのです。

まとめのポイント

  • あなたの苦しみは罰ではありませんし、神様に見捨てられた証拠でもありません。神様に最も愛されたイエス様こそが、最も苦しまれた方です。
  • どん底にいるときこそ、自分の殻に閉じこもらないでください。ヨセフのように、仕え続けてください。そこであなたは神様を経験することになります。
  • 忠実な奉仕とは、他者に与え、たとえ心地よくなくても人を建て上げ、スポットライトを自分ではなく神様に当てるものです。
  • マナセ:神様は出来事を消し去るのではなく、苦しみを取り除いてくださいます。化膿した傷を、傷跡へと変えてくださるのです。
  • エフライム:神様は快適さの中ではなく、苦しみの中で実り豊かになることを約束してくださいます。そしてあなたは、避けられないと思っていた家族の連鎖を断ち切ることができるのです。

自分への適用

  • 状況が動かなくなってから、神様の民から自分を遠ざけてしまってはいませんか。今週、たとえ小さなことでも、また仕えることに戻るために何ができますか。
  • 今、神様があなたを罰している、試している、見捨てているのだと囁いてくる、心に忍び込む声はどんなものですか。福音はその代わりに何を語っていますか。
  • あなたが自分の賜物(言葉、奉仕、励まし)を用いるとき、それが不快であっても人を建て上げることを語っていますか。それとも、人が喜ぶことだけを語っていますか。
  • 神様に傷跡へと変えていただく代わりに、埋めてしまおうとしている家族の過去の傷はありますか。誰にそれを話すことができますか。
  • どの点で、神様にこう言いたいですか。「エフライム、私から始めて、変わっていきます」と。離婚、愛の欠如、親の不在、虐待。あなたの世代で断ち切りたい遺産は何ですか。

引用聖句

よくある質問

ヨセフが正しく行動していたのに10年も牢獄にいたのなら、神様は本当に報いてくださるのでしょうか。

すぐに報われるという考え方は、因果応報の論理であって、福音の論理ではありません。聖書の中で、ヨセフの忠実さは彼を10年以上にわたって牢獄から解放することはありませんでしたが、まさにそこで彼が神様を経験することを可能にし、やがて神様がすべてを逆転させてくださる日まで、彼を支え続けました。忠実な奉仕は解放を買い取るものではなく、待ち望む間も神様との関係を生き生きと保つものなのです。

「神は私に苦しみを忘れさせてくださった」(マナセ)とは、具体的にどういう意味ですか。

これは、ヨセフが兄弟たちにされたことを消し去ったとか、すべて大丈夫であるかのように振る舞っているという意味ではありません。神様は、トラウマを埋めてしまうようには求めておられません。神様は、化膿した傷を傷跡へと変えることを提案してくださいます。記憶はそこに残りますが、それはもうあなたをそれほど傷つける力を持たなくなるのです。この作業は、神様の臨在、御言葉、教会、そして赦しを通して進んでいきます。

夢が神様から来ているかどうか、どうすればわかりますか。

聖書の箇所に繰り返し出てくる三つの手がかりがあります。その人が明らかに心を乱され、何か特別なことを経験したとわかること。メッセージが明確であること(神様は上手にコミュニケーションを取られます)。そして、その解き明かしはしばしば別の誰かを通して与えられること、です。また、解き明かしと適用も区別してください。明確なメッセージを受け取るだけでは十分ではなく、キリストの体(教会)と祈りの助けを借りながら、どう応答すべきかを見極める必要があります。

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