聖霊があなたを神の家族の子として証印してくださる

読了時間 1分

聖霊があなたを神の家族の子として証印してくださる

聖書には、深く考えずに口にしてしまう言葉があります。「わたしたちは聖霊によって証印を押された」。あなたもきっと何十回と耳にしてきたはずです。でも、この証印があなたにとって何を意味するのか、じっくり考えたことはありますか。もはやあなたが一つの家族に、神の家族に属している、父なる神があなたの父であり、キリストがあなたの兄であり、聖霊が養子縁組の証印であるということを、あなたは味わったことがあるでしょうか。

ジョゼフ=デジレ・ミアル牧師が、家族特別週末(2日目午後)の中でエペソ人への手紙1章11〜14節を黙想しながら、あなたにこの問いを投げかけています。この箇所でパウロは、父・子・聖霊の御業を賛美しています。そしてその御業の目的は、あなたを神の家の子とすることです。奴隷でも、従業員でも、顧客でもありません。息子として。娘として。キリストにあって和解された家族の、正真正銘の一員として。

1. 牢獄を貫く賛美

パウロはこの手紙を牢獄の中から書いています。愚痴をこぼしてもおかしくありません。疑いを抱いてもおかしくありません。それなのに、彼は賛美を爆発させます。3節から14節はギリシア語では一つの文章となっており、使徒の口からあふれ出る奔流のようです。彼が神をたたえるのは、まず第一に、日々の生活を満たす恵み。その多くを今の彼は奪われています。のためではなく、父・子・聖霊によって成し遂げられた偉大な救いの御業のためです。

ここに、あなたにとっての最初の学びがあります。人生があなたから地上の恵みを奪い去るとき、賛美を断ち切らないでください。主が救いの壮大な計画の中で成し遂げておられることに、目を留め続けてください。霊的な祝福は、決してあなたから奪われることはありません。パウロが3節で語るとおりです。神は「天上において、キリストにあるあらゆる霊的祝福をもってわたしたちを祝福された」(エペソ人への手紙1:3)。地上の試練は、天の祝福を見つめることを妨げません。むしろその逆なのです。

2. 「わたしたち」と「あなたがた」:分断の終わり

この箇所には、見落としやすい人称代名詞の使い分けがあります。11節と12節で、パウロは「わたしたち」と語ります。「わたしたちは御国を受け継ぐ者と定められ……前もってキリストに望みをおいていたわたしたちが」。13節になると、「あなたがた」に切り替わります。「あなたがたもまた、真理の言葉……を聞いて……聖霊をもって証印されたのである」。そして14節で、再び「わたしたち」に戻ります。「わたしたちが神のものとなる贖いのための保証」。

これは偶然ではありません。「わたしたち」とは、ユダヤ教から来たクリスチャン、真っ先にメシアに望みを置いた人々を指します。「あなたがた」とは、異邦の諸国民から来たクリスチャン。あなた、私、今日の教会の大多数の人々。を指します。そして14節で「わたしたち」が戻ってくるのは、もはや一つの民、一つの相続財産、一つの家族しか存在しないからです。

パウロはここで、10節ですでに告げていたことが目の前で現実になるのを見て喜んでいます。すなわち、すべてのものがキリストにあって一つに集められるということです。引き離されていた者たちが一つにされます。「もはやユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」(ガラテヤ人への手紙3:28)。民族、社会的地位、世代の違いは、もはやあなたの立ち位置を決めません。あなたは兄弟姉妹と、神の前で対等なのです。そしてこの現実は、頭で信じるだけでなく、あなたの教会の中で実際に生きるべきものです。

3. 聖霊の証印:神があなたのうちの御業を確証してくださる

「あなたがたは、約束の聖霊をもって証印されたのである」。「証印」という言葉は、古代世界の非常に具体的な慣習を指しています。考古学者たちは何百もの印章を発見しており、中にはイエス・キリストよりずっと以前のものもあります。これらの印章は主に、手紙を証明するために使われました。折り目に蝋を垂らし、その上に印章を押すことで、受取人はその手紙が確かに署名した本人から届いたものだと分かったのです。

聖霊の証印も、あなたの人生の中で同じ役割を果たします。それは、あなたの信仰が自己暗示ではないことを証しします。また、人間が自分の弱さを慰めるために作り上げた松葉杖でもありません。そうではなく、創造を超えたところにおられるまったく他なる神御自身が、その御霊によってあなたのうちに、この御業の出所を確証しに来てくださるのです。あなたの信仰はあなた自身から出たものではありません。神から出たものです。そして神は、あなたの心の中に御霊が臨在することによって、それを確かなものとしてくださいます。

4. 聖霊の証印:あなたはもはや奴隷ではなく、神の家族に属する

古代社会において、証印にはもう一つの役割がありました。裕福な所有者は、自分の奴隷に印章を押して、その所有権を示すことができたのです。ヨハネの黙示録も、十四万四千人が「神の証印を押された」と語る場面で、このイメージを用いています(ヨハネの黙示録7:3-4)。

けれども、ここで解釈を取り違えないよう気をつけてください。新約聖書は、あなたがもはや奴隷ではないことを強調しています。救いの御業とは、まさにあなたを罪の奴隷状態から解放することなのです。パウロはローマ人への手紙の中で、非常に明確にこう書いています。「あなたがたは、再び恐れを起させる奴隷の霊を受けたのではなく、子とする霊を受けたのである。わたしたちはその霊によって、『アバ、父よ』と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、また相続人である。神の相続人であって、キリストと共同の相続人である」(ローマ人への手紙8:15-17)。

ですから、聖霊の証印は、あなたが神に属することを示す印です。奴隷としてではなく、息子として、娘として。聖霊の証印は、あなたの養子縁組の証明書です。神はあなたを御自分の子として迎え入れてくださいました。これはまた、新約聖書が他の箇所で「聖霊のバプテスマ」と呼んでいるものでもあります。あなたが神に向き直り、イエスの御名を告白し、その告白に信仰を置くとき、神は御自身の側で行動されます。あなたに証印を押し、御霊によってバプテスマを授け、養子として迎え入れてくださるのです。これらの表現は、異なる角度から見た同じ現実を指しています。

そして、この現実を公に宣言するのが、あなたの水のバプテスマです。バプテスマは、あなたが聖霊の証印を受けたことを告白する、目に見える行為です。イエスの洗礼の際に神が宣言されたのと同じ言葉が、あなたの上にも宣言されるかのようです。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(マタイによる福音書3:17)。

5. わたしたちの相続財産の保証:今の人生に前払いされた御国

パウロはさらに驚くべき表現を加えます。聖霊は「わたしたちが神のものとなる贖いの保証」となる、というのです。「保証」とは、残りを保証する前払い金、頭金のことです。よく注意してください。パウロは、御霊がわたしたちに保証金を払う、とは言っていません。御霊御自身が保証金である、と言っているのです。あなたのうちに宿る御霊は、すでに御国のひとかけらとして、あなたの今の人生に入り込んでいます。

これは担保です。保証です。神はあなたにこう語りかけます。「見よ、わたしの霊があなたのうちに生きている。だからあなたは確かにわたしの家に属し、確かにわたしの家族に属し、確かにわたしの御国に属している。あなたはただ相続財産を待っているだけではない。すでにそれを味わっているのだ、わたしの霊があなたのうちに宿っている限り」。あなたの国籍は天にあります(ピリピ人への手紙3:20)。そして御霊は、今この時から、その前味をあなたに与えてくださるのです。

6. 日常の中で御霊をどう見分けるか

これが単なる美しい観念で終わらないように、ジョゼフ=デジレ・ミアル牧師は、御霊のこの現実があなたの人生に現れる四つの具体的な現れ方を挙げてくれています。

  • 御霊は、あなたが神の子であることをあなたの霊にあかしします。神御自身があなたの心の中で語りかけ、それを確信させてくださいます。これはまず理屈の話ではありません。「アバ、父よ」と叫ぶことのできる、内的な確信を神が与えてくださるのです。
  • 御霊の実があなたのうちで成長します。あなたは、自然には愛せないものを愛し、赦せなかったものを赦し、直面している試練のただ中にあっても平安でいることができるようになります。これはあなたの努力の結果ではありません。御霊がそれを成長させてくださるのです(ガラテヤ人への手紙5:22-23)。
  • 御霊は共通の益のための賜物をあなたに与えます。より正確に言えば、御霊があなたを兄弟姉妹に、隣人に仕えるために装ってくださるたびに、あなたは御霊が働いているのを目にします。御霊はあなた自身のためにあなたを満たすのではなく、他者のためにあなたを満たすのです。
  • 教会が集うたびに、特に聖餐の時に、あなたはこの現実を生きます。そこにこそ、パウロが語る真理。もはやユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、ただ同じ一人の父の周りに集う兄弟姉妹がいるだけだという真理。が具体的な形をとります。

7. 聖餐:天の祝宴の予告編

イエスはあなたに、聖餐が御国の祝宴のしるしであり、御自身があなたを導いておられる希望の予告編であると信じるよう招いておられます。教会の中に聖霊が臨在することによって、この食事は、死んで復活し、今は父の右に座しておられるキリストとの、真の交わりとなります。

使徒行伝が、初代教会が聖餐にあずかるとき「喜びと真心とをもって」(使徒行伝2:46)そうしていたと記しているのは、偶然ではありません。彼らにとって、この時は悲しい時間ではありませんでした。むしろ、自分たちの希望の現実を改めて味わい、それによって養われ、キリストが招いておられる祝宴。神の家族全体が最終的に一つに集ってそれを祝う祝宴。を、前もって生きる時だったのです。

覚えておきたいポイント

  • 賛美はあなたの状況に左右されません。パウロは牢獄の中から、救いの御業に目を留めたまま神をたたえています。
  • キリストにあっては、民族、社会的地位、世代の境界線はもはやあなたのアイデンティティを決めません。あなたは兄弟姉妹と同じ家族に属しています。
  • 聖霊の証印は、あなたのうちに生きる信仰が確かに神から来たものであり、自己暗示ではないことを証しします。
  • この証印は、あなたが神の養子となった息子・娘であることを示すしるしであり、もはや奴隷のしるしではありません。
  • 御霊はあなたの相続財産の保証です。今のあなたの人生にすでに前払いされた御国です。

個人への適用

  1. 地上の恵みが失われたとき、あなたの思いは自然にどちらへ向かいますか。不平へ、それとも救いの御業を見つめることへ、どちらでしょうか。
  2. あなたは実際に、自分の教会の中で分断の終わりを生きていますか。それとも、出自や立場、年齢のために距離を置いてしまっている兄弟姉妹がいませんか。
  3. あなたが神の子であることを、御霊があなたの霊にあかししてくださったと感じた最近の瞬間はいつでしたか。もし思い当たらなければ、今週、静まって御霊に耳を傾ける時間を取ってください。
  4. 神は今、あなたのうちにどんな御霊の実を。時にはあなたも気づかないうちに。成長させておられますか。愛せなかったもの、赦せなかったもの、平安を保てなかったところで、あなたはどのように変えられましたか。
  5. 聖餐にあずかる前、あなたはどのように心を整えていますか。それはあなたにとって悲しい時間ですか、それとも喜びと、天の祝宴への期待に満ちた時間ですか。

引用聖句

よくある質問

「聖霊の証印」とは何ですか。

それは、イエス・キリストへの信仰に至った人に神が刻んでくださる印です。この証印は、あなたの信仰が確かに神から来たものであることを証明し(古代において手紙を証明した印章のように)、あなたが神の家族に属することを示します。奴隷としてではなく、養子として迎え入れられた子としてです。これは、新約聖書が他の箇所で「聖霊のバプテスマ」や「子とされること」と呼んでいるのと同じ現実です。

聖霊の証印を受けるには、水のバプテスマを受けなければなりませんか。

御霊の証印は、あなたがキリストに信仰を置き、その御名を告白する時に受けるものであり、水のバプテスマを条件とするものではありません。とはいえ、水のバプテスマは、あなたが御霊によって証印されたことを、公に宣言し、祝い、告白する目に見える行為です。福音派プロテスタントの立場では、両者の結びつきは密接ですが、バプテスマそのものが証印であるわけではありません。

なぜパウロは相続財産の「保証」について語るのですか。

保証とは、残りを保証する前払い金、頭金のことです。パウロは、聖霊があなたの相続財産の保証を「支払う」のではなく、聖霊御自身がその保証であると語っています。御霊があなたの人生に臨在すること自体が、すでにあなたのもとに入り込んでいる御国のひとかけらであり、あなたが確かに神の家族に属していること、そして相続財産の完全な現れを待ち望んでいることの保証となっているのです。

メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。

関連記事

説教の公開元 Efficient Church. 説教全体を見る のチャンネルで.

← ブログに戻る

聖霊があなたを神の家族の子として証印してくださる | Efficient Church