マタイの福音書5章:結婚は忠実な花婿を映し出す

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はじめに

「実を言うと、この説教は私にとって準備するのが難しいものでした。」Hugh Wesselは、Église Réformée Évangélique de Marseille Sudでのメッセージをこう切り出します。マタイの福音書5章31-32節の箇所は彼の心にさまざまな反論を呼び起こしたため、教会との別の分かち合いの時のために、一連の質問と答えを取っておいているほどです。

このメッセージは、山上の説教を順に学んでいる連続講解の一部です。タイトルは「契約の聖所:結婚は忠実な花婿を映し出す」。怒りと目に続いて、イエスは情欲から離婚へと話を進められます。説教者はわかっています。多くの人にとって、この箇所は痛みを伴うものだということを。

彼は「三つの『はい』の道」をたどることを提案します。神が私たちに守るよう召しておられる契約の「はい」、私たちのもろい「はい」、そして、神のすべての約束が成就するイエス・キリストの完全な「はい」です。全体を貫く糸は一文に収まります。「真実とは、神の愛に値する者となるための成果ではありません。神が私たちに約束を守ってくださることを知った心の応答なのです。」

メッセージの流れ

1. イエスは表面の下を見ておられる

  • 山上の説教は、クリスチャンの人格を示す幸いの教えから始まります。そしてイエスは警告されます。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさらなければ、天の御国に入ることはできない(マタイ5章20節)。
  • イエスはすでに、ささやかれる「ラカ」や隠れた軽蔑を神が見ておられることを示し、さらに「まなざしの聖所」について語られました。相手は私たちの空しさを満たすための物ではなく、神のかたちに造られた一人の人であり、敬われるべき存在です。
  • ここで、イエスは本当に話題を変えているわけではありません。ひそかな欲望から、公の契約へと話を進められるのです。「情欲は言いました。自分の幸せのためにあなたがほしい、と。離婚は言います。もうあなたは必要ない、と。」どちらの場合も危険は同じです。相手を、自分に何をもたらしてくれるかだけの存在に貶めてしまうことです。
  • 離婚の手続きを完璧に踏み、書かれた離縁状も整い、すべてが規則どおりであっても、神の御国を深く裏切っていることがあります。律法学者やパリサイ人は、書面が整っているかどうかを見ます。イエスは、私の心と行いが相手に何をしたのかを見ておられます。
  • イエスは道徳的なエリートに語っておられるのではなく、心の貧しい人々に語っておられます。中には、壊れた家庭の傷跡を負っている人もいるでしょう。置いていかれた人、去った人、そして何年たっても、あのとき別のやり方があったのではないかと考え続けている人もいます。イエスはこれらの言葉を、そうした人々を御国から追い出すために語っておられるのではありません。
  • イエスが私たちの真実をこれほど真剣に受け止めておられるのは、私たち人間の契約が、神の真実の何かを映し出すように召されているからです。

2. 最初の「はい」:手続きではなく契約

  • 「『妻を離縁する者は、離縁状を与えよ』と言われている。」イエスの時代には、どのような理由が離婚を正当化できるのかが議論され、厳格な解釈もあれば、はるかに広い解釈もありました。問いはこうなってしまいました。許された範囲にとどまりながら、どこまで行けるのか。
  • イエスは契約を手続きに矮小化することを拒まれます。どのような場合に離婚してよいのかを問うのではなく、契約が使い捨てになるとき、心がどうなるのかを問われます。のちにイエスは、モーセが離婚を許したのは心がかたくななためだと語られます(マタイ19章8節)。「ここにこそ本当の問題があります。」
  • これは形式主義の反射です。何が良いことなのかを問うのをやめて、技術的に落ち度とされない範囲でどこまで行けるのかを問うようになります。「形式主義は最低限の条件を探します。愛は真実を探します。」形式主義は問います。去る権利が私にあるだろうか。契約は問います。どうすれば真実に愛することができるだろうか。
  • 家のたとえです。賃貸では、しばらくの間そこにいるだけで、合わなくなれば出ていきます。そこに人生を築くと約束したことはありません。しかし家族の家には歴史があります。何かが傷んだとき、最初の反応は別の家を探すことではなく、修理することです。
  • 私たちの文化は、人間関係を賃貸のように扱うよう教えます。自分にとってうまくいっている間は留まる、というものです。結婚の「はい」は、「あなたが私の期待に完璧に応えてくれる間は愛すると約束します」という意味ではありません。「私はあなたに自分を捧げます」という意味です。
  • この契約は、正義や、危険にさらされている人を守る必要性を無効にするものではありません。しかしそれは、相手を自分の満足度に応じて処分できる商品のように見る考えを打ち砕きます。「契約書は条件を定めます。契約においては、私は自分の言葉を与えたのです。」

3. 結婚の千の小さな「はい」

  • 結婚している人へ、今週のとても単純な問いです。あなたが最後に自分の「はい」を思い返したのはいつですか。結婚式の日のロマンチックな「はい」だけでなく、今日の「はい」のことです。
  • 夫婦の真実は、大きな英雄的行為によって築かれることはめったにありません。千の小さな「はい」によって築かれます。「はい、話したいけれど、聞くことにします。はい、赦しを求めます。はい、最後の一言を言うことをあきらめます。はい、私たち二人のための時間を守ります。はい、あなたがいないところでも、あなたのことを敬意をもって話します。」
  • さらに、「はい、今日もまた、あなたに与えた約束に真実であることを選びます。」
  • 「結婚は、ある日の『はい』だけで生きるのではありません。日々、その『はい』が体現されることによって生きるのです。」

4. 私たちのもろい「はい」:窓と割れた鏡

  • イエスは続けられます。不貞のためでなくて妻を離縁する者は、妻に姦淫を犯させることになり、離縁された女と結婚する者は姦淫を行うことになる。なぜこれほど厳しいのでしょうか。それは、結婚が男と女を一つの体に結び合わせるからです(創世記2章24節)。
  • 結婚は、相性の合う二人の個人による単なる提携ではありません。与えられた言葉であり、ある命が別の命に結ばれることであり、未来を拘束する「はい」です。
  • 結婚は窓のようなものです。窓は風景そのものではありませんが、風景を眺めさせてくれます。結婚は神のご計画の中心ではなく、すべての人が結婚に召されているわけでもありません。しかし結婚が存在する限り、それは自分自身を超えて、神がご自分の民に示される真実を指し示しています。
  • 真実な結婚の一つひとつが、キリストの愛について何かを語っています。感情が揺れ動くときにも守られた約束の一つひとつが、私たちの神について何かを語っています。神の愛は、私たちの成果に左右されないのです。
  • 割れた鏡です。鏡は太陽の光を映します。鏡が割れても太陽は輝き続けますが、映る像は砕け、その破片は人を傷つけることがあります。壊れた契約も同じです。神の真実は変わっていませんが、夫婦も、子どもたちも、家族も、その破片によって深く傷つくことがあるのです。

5. 契約を破る者は相手を危うくする

  • 「ここでこそ、イエスの言葉にとても注意深く耳を傾けなければなりません。」そこには三人の人がいます。妻を離縁する夫、拒まれたあとも生きていかなければならない妻、そしてその後に彼女と結婚する男です。
  • イエスは誰の責任も取り去ってはおられません。女性は自分の選択に責任を負い、二人目の男も同様です。イエスは、彼が姦淫を犯すとはっきり言われます。
  • しかしイエスは、最初の男を指さされます。彼は妻を「姦淫を犯させることになる」のです。契約を破ったのは彼です。ほかの二人の行いのすべての責任を彼が負うわけではなく、それぞれが神の前に責任を負っています。しかし彼は、ほかの人々が生き、選び、自分自身の責任を担わなければならない状況をつくり出したという、重い責任を負っています。
  • 彼は言うことができません。私は離縁状を渡した、彼女がこれからすることはもう私とは関係ない、と。イエスは彼にこう答えられます。自分が何をしたのかを見なさい。あなたは彼女を危うくしたのだ。
  • ここでイエスの言葉は、離婚という問題だけをはるかに超えています。罪は私たちを有罪にするだけではありません。傷ついた世界をつくり出し、その中でほかの人々が生きていかなければならなくなるのです。
  • 第二次世界大戦中、コーリー・テン・ブームは、ナチスに追われるユダヤ人たちをかくまっていました。もし誰かが来て、彼らがここにいるのかと尋ねたら、彼女はどうすべきでしょうか。彼女は、本来なら決して迫られるはずのなかった選択の前に立たされます。ナチズムのない世界であれば、彼女がそのような選択の前に置かれることは決してなかったでしょう。
  • 同じように、ダビデは追われ、飢えて、神の家に入り、祭司のためだけに取り分けられた供えのパンを食べました。イエスがこの出来事を思い起こされるとき、彼を単に律法を軽んじた人として扱ってはおられません(マタイ12章3-4節)。すでに傷ついてはいない世界であれば、ダビデはこの選択の前に置かれなかったでしょう。そしてイエスが語っておられる女性も、夫が契約を破らなければ、そうではなかったでしょう。
  • 説教者は、自分が回心したころの牧師の言葉を引きます。「泥だらけのこの世界を、足に泥をつけずに歩き通すことはできない。」

6. 物語の全体を見つめ、恵みを受け取る

  • 牧師として、Hugh Wesselはこうした状況にある多くの人々に出会ってきました。見捨てられ、何年も独りで過ごし、それでもなお「あれは私のせいだったのだろうか」と自問する女性たちです。
  • また、夫が一度も家を出ていかなかった人々もいます。夫はいつもそこにいました。しかし、深刻で、持続的で、悔い改めのない形で、夫であり父である者としての基本的な責任を果たすことをやめていました。ついに去ったのは妻でした。周りの人はこう言うかもしれません。彼女のほうが彼を捨てたのだ、と。たしかに、場所の上ではそうかもしれません。しかし裁く前に、別の問いを立てなければなりません。すでに誰が誰を見捨てていたのか、と。
  • 家を離れなくても、契約を捨てることはできます。そして最終的に出ていく人が、相手を見捨てた人とは限りません。さらに、自分や子どもを守るために暴力から逃げなければならなかった人々もいます。
  • 物語はどれも同じではなく、責任も同じではありません。私たちは、私たちに示されていない神の隠された事柄に踏み込む必要はありません。しかし、物語の全体を見なければなりません。まさにそれがイエスのなさることです。イエスは、目に見える最後の行為だけを見るのではなく、その源までさかのぼって見ておられます。
  • イエスは、「足に泥をつけずにこの世界を通り抜けられた人々は幸いです」とは言われません。こう言われます。心の貧しい人々は幸いです。悲しむ人々は幸いです。義に飢え渇く人々は幸いです(マタイ5章3-6節)。心の貧しい人々は、非の打ちどころのない書類を持って神の前に出るのではありません。義に飢え渇く人々は、まさに世界がもはやこのようではなくなる日を切に望んでいるのです。
  • あなたが壊れた契約の傷跡を負っているなら、その傷跡は現実のものです。しかしそれは、神の前であなたが誰であるかを語るものではありません。神はあなたの物語の全体をご存じです。あなたがしたこと、あなたの選択、あなたが生きなければならなかった世界をつくったほかの人々の選択、傷、責任。神は心をご存じです。
  • 「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」(ローマ人への手紙8章1節)。傷ついた良心が必要としているのは、悪を善と呼ぶ恵みではなく、「あなたの傷跡は現実のものですが、あなたの罪責は別の方によって負われました」と語る恵みです。
  • 「恵みは傷跡を消し去りません。罪責を取り除くのです。」鏡は割れているかもしれません。それでも光は消えません。

7. キリストの完全な「はい」、忠実な花婿

  • 結婚は神の真実を映し出しますが、結婚そのものがその真実なのではありません。人間の契約は、傷つけられ、踏みにじられ、さらには壊れることもあります。しかし神の契約は決して壊れません。「結婚はクリスチャンの希望ではありません。」結婚は、忠実な花婿へと導く、しるしです。その「はい」が決して揺らぐことのない、ただ一人の方へと導くしるしなのです。
  • 聖書全体を通して、神はご自分の民の夫としてご自身を現され、その民はしばしば不真実な花嫁として自らを示します。私たちは、本来神から受けるべきものをほかに求めます。愛、安らぎ、成功、支配、お金、自分自身の栄光。それでも神は真実であり続け、その真実は十字架で頂点に達します。
  • 一度も契約を破らなかった方が、不真実な者たちへの裁きを負われました。いつも父に「はい」と言っておられた方が、私たちのすべての「いいえ」の重みを負われたのです。
  • 創世記15章です。神がアブラハムと契約を結ばれるとき、動物たちは二つに裂かれます。それは当時の契約を結ぶ方法でした。契約を破る者は呪いを負います。ところが、裂かれた動物の間を通り過ぎるのは神の臨在のしるしであり、そのときアブラハムは眠っています。神は、真実であり続けるという約束を自ら引き受けられ、さらに、不真実な者に降りかかるはずの呪いまでも引き受けられたのです。
  • 「私たちが契約を破りました。神がその呪いを負われました。」私たちは不真実でしたが、キリストの体は渡され、その血は新しい契約の血となりました。花婿の真実はそこまで及びます。
  • あなたが結婚しているなら、イエスはあなたを真実へと召しておられます。それは、イエスの愛に値する者となるためではなく、あなたがすでにイエスの真実の中に生きているからです。結婚が困難な時期を通っているなら、「この関係は今も私を幸せにしてくれるだろうか」と問わないでください。むしろこう問いましょう。「主よ、この状況の中で、どうすればあなたの真実を映し出すことができるでしょうか。」
  • あなたが不貞を経験したなら、あなたの過去は神の恵みより強くはありません。あなたが見捨てられたなら、その傷はあなたのアイデンティティではありません。あなたのアイデンティティはキリストにあります。あなたが重大な失敗をしたなら、その失敗があなたの名前ではありません。恵みは、罪は大したことではないとは言いません。キリストは私たちの罪よりも大きいと言うのです。
  • あなたが独身であっても、この箇所はあなたにも関わっています。結婚はクリスチャンの生涯の最終的な目的地ではなく、キリストがそうなのです。既婚者も、独身者も、死別した人も、離婚した人も、私たちに共通する希望は同じ忠実な花婿です。その赦しは私たちに赦すことを教え、その真実は私たちに約束を守ることを教えます。「私たちが真実を学ぶのは、決して揺らぐことのない愛で、すでに愛されているからです。」

心に留めたいこと

  • イエスは結婚を手続きに矮小化することを拒まれます。イエスは、私たちの心と行いが相手に何をしているのかを見ておられます。
  • 契約書は条件を定め、契約は自分の言葉を与えます。真実は、日々、千の小さな「はい」によって築かれます。
  • 結婚は神の真実に向かって開かれた窓です。契約が壊れても光は残りますが、破片は人を傷つけます。
  • 契約を破る者は、相手を危うくした責任を負います。それは、一人ひとりが神の前で負う自分自身の責任を取り去るものではありません。
  • 恵みは傷跡を消し去らず、罪責を取り除きます。私たちの希望は、私たちの約束が完璧であることではなく、キリストの真実に基づいています。

個人的な適用

  1. あなたは人間関係を、契約書として(「自分にとってうまくいっている間は留まる」)考えていますか。それとも契約として(「私は自分の言葉を与えた」)考えていますか。
  2. 結婚しているなら、最後に自分の「はい」を思い返したのはいつですか。今週、どんな小さな「はい」を言えるでしょうか。話を聞くこと、赦しを求めること、最後の一言をあきらめること、二人のための時間を守ることなどです。
  3. 壊れた夫婦の話に向き合うとき、裁く前に物語の全体を見る時間をとっていますか。
  4. あなたは、今もなお自分のアイデンティティを決めさせてしまっている傷跡や失敗を負っていませんか。ローマ人への手紙8章1節は、今日のあなたに何を変えるでしょうか。
  5. 既婚者、独身者、死別した人、離婚した人を問わず、決して失敗することのない花婿であるキリストの真実は、あなた自身の真実をどのように養っているでしょうか。

引用された聖書の箇所

よくある質問

マタイの福音書5章31-32節で、イエスは離婚について何と言っていますか。

Hugh Wesselによれば、イエスは契約を手続きに矮小化することを拒んでおられます。イエスの時代には、どのような理由があれば離縁状を渡せるのかが議論されていました。イエスは書類の向こう側を見ておられます。どのような場合に離婚してよいのかを問うのではなく、契約が使い捨てになるとき、心がどうなってしまうのかを問うておられるのです。

なぜイエスは、妻を離縁する者は妻を「姦淫を犯させることになる」と言われたのですか。

イエスは誰の責任も取り去ってはおられません。女性も、二人目の夫も、自分の選択に責任を負っています。しかしイエスは、最初に契約を破った人を指さしておられます。その人は、ほかの人々が生きて選ばなければならない状況をつくり出した責任を負っています。罪は私たちを有罪にするだけでなく、ほかの人々が生きなければならない世界をも傷つけるのです。

壊れた契約の傷を負っている人々に、恵みは何を語りますか。

Hugh Wesselによれば、恵みは傷跡を消し去るのではなく、罪責を取り除きます。恵みは悪を善と呼ぶのではなく、こう語ります。あなたの傷跡は現実のものですが、あなたの罪責は別の方によって負われました。こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません(ローマ人への手紙8章1節)。

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