ホセア書2章:神は悩みの谷を望みの門に変えてくださる

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はじめに

先週、オーストラリアのHoly Trinity Doncasterは、「聖書の中で最も不思議な結婚の一つ」とともに、ホセア書の連続メッセージを始めました。神は預言者ホセアに、不貞の女ゴメルと結婚するよう求め、この結婚は神とその民との関係を映し出す生きた絵となります。イスラエルは神のものであり、神に「嫁いだ」存在でしたが、ほかの神々を選びました。

ホセア書2章と3章で、説教者はこの関係を「さらに詳しく」見つめます。イスラエルの不貞をさらに詳しく、そして神の真実な恵みもさらに詳しく見るのです。本文は、さばき、荒野、約束を果たさない偶像について語ります。しかし何よりも、花嫁を誘い、その心に語りかけ、悩みの谷を望みの門に変えてくださる神について語っています。

メッセージは、一つの単純な問いで終わります。あなたの偶像は何でしょうか。そして、さらに大きな良い知らせで締めくくられます。ホセア書の良い知らせは、神の民が真実だったということではなく、神ご自身が真実だったということなのです。

メッセージの流れ

1. さばきの前に帰るようにとの呼びかけ

  • 「あなたがたの母と争え、争え。彼女はわたしの妻ではない、わたしは彼女の夫ではない」(ホセア書2章2節)。母は民としてのイスラエルを表し、子どもたちはイスラエルの中の一人ひとりを表します。
  • 神は母に直接語りかけません。彼女はもはや神の妻ではなく、神を裏切ったからです。しかし神は子どもたちに、母に帰るよう促すことを求めます。これは、神がなお彼女を気にかけておられることを示しています。
  • 神は、彼女の顔から淫行を取り除くよう求めます。イスラエルは、ほかの神々に対して自分を差し出すことをやめなければなりません。彼女は主のものであり、「自由に差し出せる存在ではない」のです。ところが、1章以来、イスラエルは自分の愛を売り続けています。
  • こうしてイスラエルは、悔い改めるよう招かれています。

2. さばきと恵みが出会う荒野

  • そうしなければ、と神は言われます。「彼女を裸にして、生れた日のようにし、彼女を荒野のようにし」(ホセア書2章3節)。イスラエルは遊女のようにふるまったので、遊女のようにさらされるのです。
  • 現代の私たちの耳には厳しく響きます。しかしこの表現は、赤ちゃんの無垢さも思い起こさせます。「生れた日のように」とあるとおりです。
  • 荒野は、エジプトを出たあとイスラエルが神との契約を始めた場所です。民は赤ちゃんのように、食べ物も水もなく、すべてを神に頼っていました。神はその原点へと民を連れ戻そうとされます。
  • 「さばきと神の恵みは、しばしば荒野で出会います。」これは私たちにも当てはまります。神は時に、私たちが「裸にされる」こと、頼っていた偶像が取り去られることをお許しになります。
  • それは痛みを伴います。しかし、自分が裸だと気づくとき、私たちは神に着せていただく必要に気づきます。渇いていると気づくとき、神に潤していただく必要に気づきます。そして神は、そのとおりにしてくださいます。

3. 何も与えない恋人たちと、取引のような愛

  • イスラエルは言います。「わたしは恋人たちについて行こう。彼らはわたしにパンと水と、羊毛と麻と、油と飲み物とをくれる」(ホセア書2章5節)。この恋人たちとは、周辺の国々が拝んでいた豊穣の神々、バアルのことで、収穫と繁栄を与えると考えられていました。
  • しかし実際には、麦も新しいぶどう酒も油も、そしてイスラエルがバアルのために用いた銀と金も、与えていたのは神でした(ホセア書2章8節)。民は神の祝福をバアルのおかげだとし、それをバアルにささげていたのです。
  • 神は彼女の道をいばらでふさごうとされます(ホセア書2章6節)。これは強制された愛なのでしょうか。説教者は「そうは思わない」と言います。7節で、彼女はなお恋人たちを追い求めることができるからです。彼女は自由です。道をふさぐとは、日照りや侵略によって祝福を取り去ることです。アッシリア帝国が攻めてくるときのようにです。地は実りをやめ、祭りも途絶えます(ホセア書2章9-13節)。
  • イスラエルはそのとき偶像を探しますが、見つけられません。まことの神が祝福を取り去られるとき、豊穣の神々には何の力もないからです。
  • そして彼女は言います。「わたしは初めの夫に帰ろう。そのときは今よりも、わたしはしあわせであった」(ホセア書2章7節)。彼女は帰りますが、それは関係から得られるもののためです。「彼女の愛は取引のようなものです。」
  • 私たちも同じようになりえます。まず、良いものを現代の偶像のおかげだとすることによって。「キャリアがこれを与えてくれた」「オーストラリアの経済がこれを与えてくれた」と。仕事や会社は私たちにお金を与えてくれますが、それは手段にすぎず、「水が流れる管」にすぎません。源ではないのです。真の与え主は、天と地の神です。
  • 次に、神の祝福のためだけに神のもとに帰ることによって。必要なときには、喜んで教会に来ます。しかし、キャリアやお金、あるいは家族までもがより多くを求めてくると、神は後回しになります。教会、聖書を読むこと、祈りに割く時間が減っていくのです。
  • 「私たちの神への献身は、自分の利益から来ているのでしょうか、それとも愛から来ているのでしょうか。私たちの愛は、最も多くを与えてくれる神に売られているのでしょうか。それとも、神の愛が真実であるように、私たちの愛も真実でしょうか。」

4. 聖書で最も驚くべき「それゆえ」

  • 13節は、彼女が耳輪や飾りで身を装い、恋人たちのあとを追って、主を忘れた、という言葉で終わります。私たちは「それゆえ、わたしは彼女を罰する」と続くことを予想します。
  • ところが神は反対のことを言われます。「それゆえ、見よ、わたしは彼女を誘って、荒野につれて行き、ねんごろに彼女に語ろう」(ホセア書2章14節)。これは、聖書全体の中で最も驚くべき「それゆえ」の一つかもしれません。
  • 神のさばきは現実です。アッシリア帝国が来ます。しかし、神が御自分の民に向き合うとき、さばきは最後の言葉ではありません。神は、あわれみ深く、情け深く、怒ることおそく、いつくしみに富む方です(出エジプト記34章6節)。
  • イスラエルが自分の利益のために帰っていたところで、今度は神が自ら進んで、彼女の心に愛を呼び覚まそうとされます。神は彼女を、3節と同じ荒野へ連れ戻されます。同じ理由からです。ご自分だけが彼女の養い主となり、彼女のただ一つの愛となるためです。
  • 「そこで、わたしは彼女にそのぶどう畑を与え、アコルの谷を望みの門として与える」(ホセア書2章15節)。アコルとは「悩み」という意味です。これはヨシュア記7章と、主にささげるべきものを取ったアカンの出来事を思い起こさせます。この谷は、罪、さばき、悩みと結びついていました。
  • さばきの場所が、望みの門になります。「クリスチャンである私たちは、これが何を意味するか知っています。」それは私たちを十字架へと導きます。さばきと刑罰の象徴であった十字架を、キリストは望みの門に変えてくださいました。
  • 「神が御自分の民の心に語りかけるのは、律法を与えることによってではなく、彼らを探しに来て、彼らのために死ぬことによってです。」

5. 「わが主人」ではなく「わが夫」へ:一つの約束

  • 「その日には、あなたはわたしを『わが夫』と呼び、もはや『わがバアル』とは呼ばない。わたしはバアルらの名を彼女の口から除く」(ホセア書2章16-17節)。
  • ヘブライ語で「わが主人」は、文字どおりには「わがバアル」です。この言葉自体は中立的ですが、バアル礼拝のために、神はもうそう呼ばれることを望まれません。神は「夫」と呼ばれることを望まれます。それは、排他的な契約の愛です。
  • この箇所は命令ではありません。神は「バアルの名を口にすることを禁じる」とは言われません。「わたしが除く」と言われます。それは、人を整えて可能にする約束です。
  • この約束はイエスにおいて成就します。イエスにあって、私たちは律法を心に書き記してくださる聖霊を受けます(エレミヤ書31章33節)。私たちは、律法に従うだけでなく、内側から真実な者となるのです。
  • 恵みはさらに続きます。野の獣との契約、弓と剣と戦いが砕かれること、安らかに休むこと(ホセア書2章18節)です。それは、秩序を取り戻した世界、被造物とも互いとも平和に生きる世界の姿です。
  • さばきを告げていたホセアの子どもたちの名前は、ひっくり返されます(ホセア書2章21-23節)。1章で暴力と偶像礼拝へのさばきを告げていたイズレエルは、約束となります。「神が種をまく」。神は御自分の民を植え直されます。天は地に答え、地は麦と新しいぶどう酒と油を産み出します。イスラエルは、永遠に荒野のままではありません。

6. 「わたしはあなたを婚約させる」:十字架で支払われた代価

  • この回復された世界の中心にあるのは、回復された結婚の約束です。「わたしは永遠にあなたとわたしを婚約させる。正義と公平と恵みとあわれみとをもって、あなたとわたしを婚約させる。まことをもって、あなたとわたしを婚約させる。あなたは主を知るようになる」(ホセア書2章19-20節)。
  • 「わたしはあなたを婚約させる」が三度繰り返されます。これは、神が渋々「まあ、帰りたいのなら、受け入れてあげよう」と言っているのではありません。繰り返しは、重みと確かさを与えます。神は、放蕩息子を走って抱きしめる父のように、花嫁を迎え入れたくてたまらないのです(ルカによる福音書15章20節)。「私たちは、神が御自分の民を取り戻すために走っておられる姿を見ます。」
  • 第一に、永遠に。この関係は、もう二度と壊れません。
  • 第二に、正義と公平と恵みとあわれみをもって。古代では、婚約には結納金、つまり結びつきを確かなものにする支払いが必要でした。神が支払われる代価は、正義と愛が完全に出会う十字架です。「それは高い代価です。神の御子の死です。」
  • この婚約は、キリストが再び来られるときに完全に実現します。黙示録19章は、小羊の婚宴の用意ができた花嫁を描きます。輝く清い麻布を着た花嫁です(ヨハネの黙示録19章7-8節)。私たちの衣は、キリストの血で洗われたのです。
  • ホセアは3章でこれを演じて見せます。ゴメルは愛人のもとにおり、ホセアは行って彼女を買い戻すよう命じられます(ホセア書3章1-2節)。神がイスラエルを贖うと約束されたからです。「イエスは、御自分の血によって、代価を払って私たちを買い取ってくださいました。私たちはもう偶像のものではありません。私たちはイエスのものです」(コリント人への第一の手紙6章20節)。
  • 第三に、まことをもって。もう裏切りはありません。これが新しい契約であり、聖霊が私たちのうちに住み、私たちが真実であり続けられるようにしてくださるのです。

7. あなたの偶像は何ですか

  • ホセア書1章から3章は、一つの旅路です。そこには神の民の不貞、つまり私たち自身の不貞が見えます。贖われてもなお、私たちは偶像を追いかけ、悔い改め、またやり直す傾向があります。
  • しかしそこには、私たちを追い続けてくださる神の真実も見えます。
  • 問いは残ります。「私たちの偶像は何でしょうか。私たちが望むいのちを与えてくれると思って追いかけている恋人は誰でしょうか。いのち、幸せ、意味、希望を、私たちはどこに求めているでしょうか。それを手にすれば人生がもっと満たされると思うものは何でしょうか。」
  • 答えが神ではなく、別の偶像だったと気づいて、自分に失望するかもしれません。「絶望しないでください。」
  • 「ホセア書2章と3章の良い知らせは、神の民が真実だったということではありません。良い知らせは、神が真実だったということです。」神はイエスにおいて自ら来られ、迷い出た花嫁を追い求め、その贖いの代価を払うために死んでくださいました。
  • この恵みの前で、応答が生まれます。「はい、主よ、あなたは私たちの神です。私たちはあなたの民になりたいのです。」

心に留めたいこと

  • 神は時に、私たちの偶像が取り去られることをお許しになります。荒野では、さばきと恵みが出会います。
  • 私たちの仕事や資源は、管にすぎません。真の与え主は神です。
  • 祝福のためだけに神のもとに帰る愛は、取引のような愛です。神は私たちの心を求めておられます。
  • 神は悩みの谷を望みの門に変えてくださいます。それは、キリストが十字架で成し遂げられたことです。
  • 良い知らせは私たちの真実ではなく、神の真実です。神は御子の代価によって、私たちを永遠にご自分と婚約させてくださいました。

個人的な適用

  1. 望むいのちを与えてくれると思って、あなたが追いかけている偶像は何ですか。
  2. あなたの人生の良いものを、誰のおかげだと考えていますか。キャリアですか、経済ですか、それとも真の与え主である神ですか。
  3. 神への献身は、自分の利益から来ていますか、それとも愛から来ていますか。生活が忙しくなったとき、神にはどれだけの場所が残っていますか。
  4. 今、荒野を通っていますか。神はその場所で、あなたの心に何を語ろうとしておられますか。
  5. 自分に失望したとき、あなたの真実ではなく神の真実が、どのようにあなたを立ち上がらせてくれるでしょうか。

引用された聖書箇所

よくある質問

ホセア書2章で、アコルの谷が「望みの門」になるとはどういう意味ですか。

アコルとは「悩み」という意味です。ヨシュア記7章のアカンの出来事以来、この谷は罪とさばきと結びついていました。神は、この谷を望みの門にすると約束されます。説教者にとって、これは十字架へと導くものです。さばきの場所を、キリストが望みの門に変えてくださったのです。

ホセア書2章で、神はなぜイスラエルを荒野に導かれるのですか。

荒野は、エジプトを出たあと、イスラエルが神との契約を始めた場所です。そのとき民は、赤ちゃんのように神に全面的に頼っていました。荒野には、ほかの偶像はありません。神がただ一人の養い主となり、御自分の民の心に語りかけてくださいます。そこで、さばきと恵みが出会います。

ホセア書2章で三度繰り返される「わたしはあなたを婚約させる」とはどういう意味ですか。

繰り返しは、約束に重みと確かさを与えます。神は渋々花嫁を迎え入れるのではなく、走って迎えに行かれます。この婚約は永遠であり、正義と公平と恵みとあわれみによって支払われます。それらは十字架で出会い、聖霊が与える真実のうちに生きられるのです。

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