ピリピ人への手紙2章:イエスの謙遜、一致への道

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はじめに

「私たちはデジタルでは非常につながっている社会に生きていますが、同時に、個人としても感情の面でもつながりを失っています。」オーストラリアのマウント・プレザント・バプテスト教会(Mount Pleasant Baptist Church)の説教者ジョナサンは、この洞察から、パウロのピリピ人への手紙を通して福音を中心とした生き方を学ぶシリーズのこのメッセージを始めます。

ピリピ人への手紙2章1-11節です。パウロは、分裂の危機にある教会に一致を求めるよう勧め、その模範としてイエスの謙遜を示します。イエスは自らを無にし、十字架の死に至るまで従われました。

説教者は、キリストにある一致の4つの側面を取り上げます。そして最初から、一つの選択を投げかけます。傍観者ではなく、解決の一部となり、貢献し、参加する者になるという選択です。

メッセージの流れ

1. ローマの植民都市に生まれた教会

  • パウロは約50の町や村で宣べ伝え、トルコとギリシャを中心にローマ帝国内で14から20の教会を建てました。3回の宣教旅行で、およそ1万6千キロメートルを旅しました。
  • ピリピはかつてのローマの植民都市で、当時「小さなローマ」と呼ばれていました。紀元前42年のピリピの戦いは、ローマ共和政を終わらせた決定的な内戦でした。その後、ローマは退役軍人をこの地に入植させました。
  • この町はローマに非常に忠実で、住民はローマやギリシャの神々を拝んでいました。商業、旅人、軍人であふれる活気ある都市でした。
  • ピリピの教会は、外からは迫害、内にはユダヤ人信者と異邦人信者の分裂、偽教師の脅威、そしてパウロの投獄への不安に直面していました。
  • 教会は贈り物を持たせてエパフロデトをパウロのもとへ遣わしました。彼は重い病気にかかり、予定より長く滞在しました。出発できるようになったとき、パウロはこの手紙を彼に託しました。

2. 一致の根本的な真理を理解する

  • 1節でパウロは4つの「もし」を並べます。「だから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、あわれみと同情があるなら」。
  • 説教者によれば、ギリシャ語の構文では、この「もし」は疑いも条件も表しません。「~なのだから」と読みます。ピリピの人々は福音を受け入れたときに、すでにイエスにあるこれらの祝福を受けていました。それが一致の土台です。
  • 最初の言葉パラクレーシスは、聖霊の名であるパラクレートスに近い言葉です。誰かのそばに立ち、助言し、励ますことを意味します。退役軍人たちは、仲間のそばに立つとはどういうことかを知っていました。
  • 2つ目のパラミュシオンは、慰め、和らげ、悲しみや苦悩を静める言葉をかけることを表します。戦場で傷ついた仲間のそばにいる兵士を思い浮かべてください。彼は仲間を落ち着かせ、慰めます。
  • 3つ目のスプランクナは、深く、誠実で、行動を伴うあわれみを指します。空虚な言葉ではなく、苦しみや必要の中にいる人に向かう心の動きです。
  • 最後のコイノーニアは交わりです。分かち合い、結びつき、親しさのことです。説教者は、前日に教会が、やもめや一人暮らしの女性たちのために開いた夕食会を思い起こします。それはまさに交わりのひとときでした。
  • 彼はビリー・グラハムの言葉を引用します。教会は単なる建物や集団ではなく、イエス・キリストに属するすべての人の霊的な交わりである、と。そして説教者はこう付け加えます。「私たちがキリストのものであるなら、私たちは互いのものでもあるのです。」

3. 一致の道を歩む

  • 2節と3節。同じ思いを持ち、同じ愛を持ち、心を合わせ、思いを一つにすること。何事も党派心や虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思うこと。
  • これらの原則は時流に逆らうものです。特に西洋では、自分自身や自分の必要と幸せを中心とする文化の中で、真剣な意志が求められます。「私たちはとても孤立してしまいました。」
  • 説教者はオーストラリア通信メディア庁の数字を挙げます。オーストラリアの成人の99.7%がインターネットを利用でき、93%の世帯が接続を持ち、人口の97%が携帯電話を持っています。今も固定電話を使っている人はと尋ねると、約12人が手を挙げます。
  • デジタルではつながっていても、個人的、社会的にはつながっていない社会です。孤独、孤立、うつ、不安、心の健康の問題が増えています。
  • 「個人主義的な宗教に気をつけなさい。」キリスト教は家族の体験です。神があなたを救われたとき、あなたが神の家族の一員となり、共同体に属するために救われたのです。
  • 聖書は東洋的な思考の書であり、家族、部族、共同体を中心としています。説教者はアフリカのウブントゥの哲学を引用します。「私たちがいるから、私がいる。」そして、子どもを育てるには村全体が必要だということわざも挙げます。
  • パウロは私たちに、彼らの中から出て行き、離れるように(コリント人への第二の手紙6章17節)、またこの世にならわず、心を新たにして造り変えられるように(ローマ人への手紙12章2節)と呼びかけます。ギリシャ語のメタモルフォオーは、いも虫が蝶に変わる姿を思わせます。
  • 「あなたの思いを占めているものは何ですか。若者たちの思いを占めているものは何ですか。誰が彼らに語りかけ、その考えを形づくっているのでしょうか。」

4. イエスの模範を見つめる

  • 5節から8節。神のかたちであられたイエスは、自らを無にして僕のかたちを取り、自らを低くして、死に至るまで、十字架の死に至るまで従順でした。
  • 十字架刑は恥ずべき死であり、ローマ市民には禁じられていました。ユダヤ人にとって、十字架にかけられることは神に呪われることを意味しました。それでも十字架は、神が愛を示し、人を救うためになさることに限りがないことを表しています。
  • 謙遜という言葉は、ラテン語のフミリタスに由来し、大地、地面、ちりと結びついています。古代のギリシャとローマでは、謙遜は美徳ではなく、弱さ、敗北、低い社会的身分のしるしと見なされていました。
  • イエスはこの考えをひっくり返されました。「謙遜は弱さではありません。」イエスにとって謙遜とは、父のみこころに従い、身をゆだねることです。イエスはゴルゴタで、私たちの罪のため、私たちの自由のため、あなたと私の赦しのために、死に至るまでご自身を差し出されました。
  • 説教者は、このテーマについて読んだ本の言葉を引用します。「謙遜は決して辱められることがない。」人々は恥ずべき死でイエスを辱めたと思いました。しかしイエスがいのちを献げられたとき、そこには大きな力がありました。
  • 完全な人であり、完全な神であるイエスは、あなたと私が救われるために、天のすべての特権を手放されました。説教者は、謙遜についてのジョン・ディクソンの著書を引用します。謙遜とは、自分の地位を手放し、自分の資源や影響力を他の人の益のために用いるという、高貴な選択です。

5. 低くなった後に来る高挙

  • 9節から11節。神はイエスを高く引き上げ、すべての名にまさる名を与えられました。イエスが高く上げられたことは、その謙遜、従順、服従に対する最大の報いです。
  • 「私たちの多くは報いだけを望みます。」苦しみも、犠牲も、忍耐も、辛抱も望みません。イエスは、神のご計画に従って謙遜で従順であられたから、高く上げられたのです。
  • 真の高挙は、謙遜、明け渡し、従順、そして神の栄光のための奉仕の後に来ます。私たちもまた、父なる神の栄光のために生きるよう召されています。
  • 「すべてのひざがかがむ」とあります。パウロは万人救済を語っているのではありません。いつの日か、すべての人がイエスは主であると告白します。イエスを知っているなら、それは喜びのうちに。イエスとの関係がないなら、それは絶望のうちに。「選ぶのはあなたです。」

6. 私たちを待っている使命

  • キリスト教は世界最大の宗教で、信者は24億人います。それでも2010年から2020年にかけて、特に西洋で、世俗化と豊かさの影響を受けて後退しました。ピュー研究所によれば、現在最も急速に成長している宗教はイスラム教です。
  • 説教者にとって、これらの数字は、福音を宣べ伝える使命がなお大きいことを物語っています。イエスについて語るべき人々が、まだ大勢いるのです。
  • エペソ人への手紙4章1-3節で結びます。召されたその召しにふさわしく歩み、あらゆる謙遜と柔和を尽くし、寛容を持って、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて、御霊の一致を守り続けるように努めることです。
  • 「私たちにはやるべき仕事、果たすべき使命があります。」あなたは神に「はい」と答えますか。「主よ、私はあなたの御国のパートナーとなり、キリストの体が、父に栄光と誉れをもたらす一致のうちに建て上げられるのを見たいのです」と。
  • メッセージは祈りで終わり、黙示録11章15節が引用されます。「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう。」

心に留めたいこと

  • 一致の土台は、すでにキリストにあって与えられています。励まし、慰め、御霊の交わり、そしてあわれみです。
  • キリストに属することは、互いに属することでもあります。キリスト教信仰は個人主義的な宗教ではありません。
  • 一致の道は時流に逆らいます。人を自分よりすぐれた者と思い、心を新たにされて造り変えられることです。
  • イエスの謙遜は弱さではありません。赦しへの道を開いた、自発的な服従です。
  • 真の高挙は、低くなった後に来ます。忍耐なしに報いだけを望むことはできません。

私たちへの問いかけ

  1. 教会生活の中で、あなたは貢献し参加する人でしょうか。それとも傍観者でしょうか。
  2. 今週、時間を取って祈ってください。「主よ、私はあなたの世界へのご計画にどのように参加できますか。何ができますか。」
  3. あなたの周りに、そばに立ち、慰め、具体的なあわれみを示してほしい人はいませんか。
  4. 今、あなたの思いを占めているものは何ですか。また、誰があなたの人の見方を形づくっていますか。
  5. どんな場面で、自分の地位を手放し、自分の資源や影響力を他の人の益のために用いることができますか。

引用された聖句

よくある質問

ピリピ人への手紙2章1節の「もし」は疑いを表していますか。

いいえ。説教者によれば、ギリシャ語の構文では、この「もし」は疑いも条件も表さず、「~なのだから」と理解します。パウロは、ピリピの人々がすでにキリストにあって、励まし、慰め、御霊の交わり、そしてあわれみを受けていることを思い起こさせています。それが一致の土台です。

なぜ謙遜は弱さではないのですか。

古代のギリシャとローマでは、謙遜は弱さ、敗北、低い社会的身分のしるしと見なされていました。イエスはこの考えをひっくり返されました。イエスにとって謙遜とは、父のみこころに従い、身をゆだねることです。十字架の死に至るまでご自身を差し出すことで、イエスは謙遜が力であることを示されました。

「すべてのひざがかがむ」とは、すべての人が救われるという意味ですか。

いいえ。説教者は、パウロが万人救済を語っているのではないと説明します。いつの日か、すべての人がイエスは主であると告白します。イエスを知る人は喜びのうちに、イエスとの関係がない人は絶望のうちに。選ぶのは、今日のあなたです。

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