神のみわざに驚き続ける(エフェソ2章)

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はじめに

前回のメッセージで味わったエフェソ1章のパウロの祈りに続いて、ステファン・ギエが2章の冒頭、もう数節先へとあなたを導きます。パウロはそこで、霊的に死んでいた者たちのために神が何をなさったかを語ります。ちょっとした修正でも、表面的な改善でもありません。それは復活です。新しい創造です。

この箇所はわずか10節と短いですが、密度の濃い内容です。「あなたがたは死んでいた」という厳しい現実の指摘から始まり、「神があらかじめ備えてくださった良いわざ」という輝かしい召命で締めくくられます。その間には、すべてを変える転換点があります。「しかし神は」。この説教は、教理の項目を確認するためではなく、神があなたのうちに成し遂げてくださったことへの驚きを新たにするために、この道のりをたどるようあなたを招いています。

メッセージの構成

1. 全体として味わうべき箇所

  • 説教者は強調します。神のみわざに驚き続けるためには、まず箇所全体を見渡すことが必要であり、一つの節だけをつまみ食いしてはならない、と。エフェソ2章1〜10節は、神が御霊によって、ひとつのまとまりとしてあなたに与えようとされた一体のものです。
  • 本文自体がそれを示しています。同じ動詞によって区切られているのです。1節と2節では、かつてあなたが「歩んでいた」過ちと罪について語られます。10節では、今日あなたが「歩む」べく召された良いわざについて語られます。「かつて」から「今日」へと続く一本の道が描かれているのです。
  • この箇所は通常、1〜3節、4〜7節、8〜10節の三つに分けられます。そして真ん中の5節が要となる節です。すべてをこう要約します。「わたしたちは、罪過によって死んでいた者であったのに、キリストと共に生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは、恵みによるのです。」
  • 三つの部分、そしてあなたの驚きを新たにする三つの宣言。あなたは死んでいた、あなたは生かされた、あなたは救われている、というものです。

2. あなたは死んでいた(1〜3節)

  • この節々は、いわゆる霊的な死について描いています。そう言われると、驚きの感覚はすぐに一段下がってしまいます。それでもこの指摘は語られます。「あなたがたは、自分の罪過と罪によって死んでいた者であって、そのころは、この世のならわしに従い、……生れながらの怒りの子であった。」
  • 説教者は、3節に記された神の怒りというテーマからこの箇所に入っていくことを提案します。最初は取り上げにくい主題ですが、旧約聖書にも新約聖書にも見られる、聖書に不可欠なテーマです。ローマ人への手紙の冒頭ですでに、パウロは天から現される、あらゆる不従順に対する神の怒りについて語っています。
  • 怒りは今日、広く共有されているものです。ニュースにはそれがあふれており、しばしば正当な怒りです。11歳の子どもを守れなかった社会に対する怒り、そしてその子を通してフランスだけで16万人にのぼる虐待された子どもたちに対する怒り。耐え難い暴力の被害を受けながら、その苦しみに見合うだけ耳を傾けてもらえない女性たちの怒り。あまりに多くの不正に服従させられている人々の怒り。挙げればきりがありません。
  • こうして表明される人間の怒りは、十分に聞き届けられず、考慮されないままですが、神の怒りと無関係ではありません。どこかで、それらはこうした苦しみを生み出す世の体制に対する神の正当な怒りと響き合っているのです。パウロがそれを「この世のならわし」「空中の権を持つ支配者」と呼んでいるものです。
  • しかしこのテーマは、内省へとも招きます。他人に責任を押しつけることではありません。あなた自身も、ある時、隣人の怒りを招いたことがあるはずです。上に挙げたような極端な規模ではなくとも、パウロが言うように肉の欲に従って歩んでいたとき、あなたも不正をおかしたのです。あなたのせいでも、正当な怒りが表明されたことがあるのです。
  • 「わたしたちは、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。」これがパウロの言う霊的な死です。カルヴァンは、印象的な言葉でこれを要約しました。私たちはみな死んだ状態で生まれる、と。問題なのは神が創造されたこの世界ではなく、私たちが自分の過ちと罪によって作り出している世界なのです。

3. あなたは生かされた(4〜7節)

  • 「あなたがたは死んでいた者であったが、しかし神は……」4節はこう始まります。この大きな「しかし神は」がここに置かれています。とても力強く響く言葉です。それは、神がこの世界の悲しい光景に甘んじることなどできないということをあなたに示しています。
  • なぜでしょうか。神は「あわれみに富む方であって、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって」おられるからです。パウロはこの手紙の中で、少し重なり合うような表現を好みます。神とその御心、その存在を描くために、次々と形容詞を重ねていくのです。
  • 神を行動へと駆り立てるものは、まず怒り、それが正当なものであってもそうではありません。神を行動へと駆り立てるのは、失われつつある者たちへの限りない愛です。神の存在そのものの中心にある愛、三位一体の現実の中心にある愛です。父の子に対する愛、子の御霊に対する愛、御霊の父に対する愛、あらゆる組み合わせにおいて。
  • 「わたしたちは罪過によって死んでいた者であったが、しかし神は……」――説教者は言います、ここからあなたは驚きに身を委ねはじめることができる、と。神は、あなたがいたその死の状態のままに事を放置されませんでした。神はキリストと共にあなたを生かしてくださったのです。
  • この「キリストと共に生かされる」という表現は、6節で二つの動詞に展開されます。神はあなたを共に(または一緒に)よみがえらせ、共に天上に座らせてくださいました。
  • この「共に」という語は、まず「キリストと共に」と理解すべきです。神はキリストと共にあなたを生かし、キリストと共によみがえらせ、キリストと共に座らせてくださったのです。
  • この手紙の少し前(エフェソ1:20)には、神が「その全能の力をはたらかせて、キリストを死人の中からよみがえらせ、天上において自分の右に座せしめ」たと記されています。この同じ力を、神はあなたのためにも働かせてくださいました。キリストと同じように、神はあなたをよみがえらせ、天上に座らせてくださったのです。
  • 神があなたを生かしてくださったその命は、キリストの栄光ある行く末への参与です。キリストに起こることは、あなたにも起こります。キリストの物語があなたの物語になります。あなたはキリストと同じ相続財産を分かち合っているのです。

4. あなたは救われている(8〜10節)

  • 「あなたがたが救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、自分から出たものではなく、神の賜物である。行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。」ここで、信仰は行いとしては提示されていません。
  • それをどう要約できるでしょうか。信仰とは、この祈りが表現するものです。「主よ、私は自分が行った悪を悔いていますから、すべてをあなたに委ねます。あなたの愛を全面的に信頼します。あなたがなすべきことをなしてください。」信仰とは、あなたを限りない愛で愛してくださったこの神の腕の中に、まるごと身を投げ出すことです。
  • そしてこの信仰を通して、神はあなたを救われます。しかし聖書において、救われるということは、赦されることだけには収まりません。神がなさることは、あなたの罪を赦すことだけではありません。神の怒りを免れることだけでもありません。神は、あなたが単に何かを免れた者であることを望んではおられないのです。
  • 10節によれば、救われるとは「キリスト・イエスにあって造られた」ことです。それは新しい創造であることです。あなたをその死の状態に放っておくことをよしとされなかった創造主なる神は、その創造の力すべてを働かせて、御子イエス・キリストの姿にかたどられた新しい存在としてあなたを造り、あらかじめ備えられた良いわざを歩ませてくださるのです。
  • その良いわざとは何でしょうか。説教者は、エフェソ4章から6章を読み返すようあなたを招きます。教会の中で、社会の中で、夫婦関係の中で、家庭の中で、職場の中での良いわざの描写です。もはや肉の欲に従って行動し他者の怒りを招くのではなく、神のように――神があなたのうちに再び創造してくださった愛に動かされて――行動すべき数々の場面です。
  • これこそがクリスチャン生活の全課題、弟子としての歩みです。単純ではない歩みですが、イエスがあなたを招いておられる歩みです。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ……自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。」神があなたの奥深くに再び創造してくださった愛に動かされて、この新しい命を生きること。あなたを新しい創造物としてくださったその愛によって。

覚えておきたいポイント

  • エフェソ2:1〜10は教理の一覧表ではなく、死の「かつて」から良いわざの「今日」へと至る一本の道です。ひとまとまりとして読むことが、驚きを保ちます。
  • 霊的な死は現実です。それは、神の怒りが、正当ないくつかの人間の怒りと同じように、「この世のならわし」が生み出す不正に対して立ち上がる理由を説明しています。
  • 4節の大きな「しかし神は」が要です。神を動かすのは怒りではなく、三位一体の愛と限りないあわれみです。
  • キリストをよみがえらせ天上に座らせたのと同じ力が、あなたのために働きました。あなたはキリストの物語、相続財産、栄光ある行く末を分かち合っているのです。
  • 救われるとは、裁きを免れることだけではありません。イエス・キリストにあって新たに造られ、神があらかじめ備えられた良いわざ――教会、社会、夫婦関係、家庭、職場において――を歩むことです。

実践への適用

  1. エフェソ2:1〜10をひとまとまりとして読み返すとき、どの部分を最も見失いやすいですか。以前の死、キリストと共に与えられた命、それともあらかじめ備えられた良いわざでしょうか。それはなぜでしょうか。
  2. 不正に対する神の怒りは、あなたを驚かせますか、それとも安心させますか。その反応は、あなたの周りにある不正に対してあなたがどう身を置いているかについて何を語っていますか。
  3. 今週、あなたは肉の欲に従って行動し、身近な人の正当な怒りを招いたことがありましたか。4節の「しかし神は」は、その人のもとへ戻る仕方をどう変えてくれるでしょうか。
  4. 説教者の言葉であなたの信仰を言い表すことができますか。「主よ、私は自分が行った悪を悔いています。すべてをあなたに委ねます。あなたがなすべきことをなしてください。」それとも、まだ果たすべき成果として信仰を言い表していますか。
  5. パウロがエフェソ4章から6章で語る「良いわざ」の一つ(夫婦関係、家庭、職場、教会での関わり)を選んでください。今週、その具体的な領域で、肉の欲にではなく「愛に動かされる」とは、具体的にどういうことでしょうか。

引用された聖句

  • エフェソ 2:1-10 ――「あなたがたは、自分の罪過と罪によって死んでいた者であって……しかるに神は、あわれみに富む方であって、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって……あなたがたが救われたのは、恵みによるのです。」
  • エフェソ 1:18-23 ――「その全能の力をはたらかせて、キリストを死人の中からよみがえらせ、天上において自分の右に座せしめて。」
  • ローマ 1:18 ――「神の怒りは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示されている。」
  • エフェソ 4〜6章 ――教会、社会、夫婦関係、家庭、職場において展開される良いわざ。
  • マルコ 12:30-31 ――「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ……自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。」

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よくある質問

なぜエフェソ2:1〜10を一つの箇所として読み、節ごとに切り離して読まないのでしょうか。

パウロがそれをひとまとまりとして書いたからです。この箇所は同じ動詞――「歩む」――によって縁取られており、かつての過ちから今日の良いわざへと展開しています。3つの部分(1〜3節、4〜7節、8〜10節)に分かれ、5節がその要として全体を要約します。他の部分から切り離して一節だけ(例えば「あなたがたが救われたのは、恵みによるのです」)を取り出すことは、「あなたがたは死んでいた」から「神があらかじめ備えてくださった良いわざ」へと至る、神が描かれた道筋を見失う危険を伴います。

戯画化することなく、どのように神の怒りについて語ればよいのでしょうか。

説教者はそれを、正当な人間の怒りと結びつけています。虐待された子どもに対する怒り、暴力の被害を受けた女性に対する怒り、不正に服従させられた人々に対する怒りです。神の怒りは気まぐれな感情ではなく、人を押しつぶす世の体制に対する正当な反応です。そしてそれはあなたにも問いかけます。私自身、どのような正当な怒りを招いたことがあるだろうか、と。それがパウロの語る霊的な死なのです。

行いでないとすれば、信仰とは何でしょうか。

信仰とは、説教者が要約するように、この祈りに宿るものです。「主よ、私は自分が行った悪を悔いていますから、すべてをあなたに委ねます。あなたの愛を全面的に信頼します。あなたがなすべきことをなしてください。」それはあなたが神に差し出す成果ではありません。あなた自身を神の腕の中に投げ出すことです。それに続く救いは、単なる赦しにとどまらず、新しい創造です。神があらかじめ備えられた良いわざのために、イエス・キリストにあって新しく造り変えられることなのです。

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