聖書の人物 パリサイ人と取税人

生涯、名前の意味、人生の教訓

要約

パリサイ人と取税人は実在の特定の人物ではなく、ルカ18章9-14節でイエスが語られた譬の二人の登場人物です。イエスは、自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちにこの譬を話されました。ふたりが祈るために宮に上り、パリサイ人は自分の義に頼り、取税人は神のあわれみを願います。神に義とされて家に帰ったのは取税人でした。神は、へりくだる者を高くされます。

パリサイ人と取税人という名前の意味

パリサイ人という語は、一般に「分離された者」を意味するヘブル語やアラム語と結びつけられます。取税人はローマのために税を集める人を指します。譬の中の二人は、どちらも固有名を持っていません。

パリサイ人と取税人の生涯

  1. イエスが語りかけた相手

    ルカの福音書18章9節

    しつこく祈るべきことを教える譬のあと、イエスは、自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに、またこの譬を話されました。パリサイ人と取税人は、自分の義に頼って隣人を軽んじる人々に届くように選ばれた、教えのための人物です。

  2. 宮に上った二人

    ルカの福音書18章10節

    イエスは、ふたりの人が祈るために宮に上った、ひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であったと語り始められます。聞く人々にとって対比は鮮やかでした。一方は敬虔と律法への忠実で知られ、他方は多くの人が罪人に数えた税の取り立て人です。

  3. パリサイ人の祈り

    ルカの福音書18章11-12節

    パリサイ人は立って、ひとりでこう祈ります。自分はほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、この取税人のような人間でもないことを感謝する、と。一週に二度断食し、全収入の十分の一をささげていると語りますが、神に何も求めません。

  4. 取税人の祈り

    ルカの福音書18章13節

    取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら「神様、罪人のわたしをおゆるしください」と言いました。彼は何の功績も持ち出さず、自分の罪を認め、ただ神のあわれみに身をゆだねています。

  5. イエスの判決

    ルカの福音書18章14節

    イエスは、神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかったと結ばれます。宗教的な人ではなく、恵みを求めた人が義とされました。そして「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」と加えられます。

パリサイ人と取税人から学ぶこと

  • 人は自分の功績ではなく、へりくだって受ける恵みによって神の前に義とされます。
  • 他人と比べて安心するのは、霊的な高ぶりの罠です。
  • 宗教的な実践は良いものですが、神の前で砕かれた心の代わりにはなりません。
  • 神は、自分を罪人と認める者の素朴な祈りを聞かれます。
  • 自分を低くする者は高くされます。へりくだりは恵みへの道です。

鍵となる聖句

ルカの福音書18章13節

取税人の祈りは数語で終わります。功績はなく、罪人の告白とあわれみを求める叫びだけがあります。それでも神が受け入れられたのはこの祈りでした。

ルカの福音書18章14節

イエスは外見を覆されます。義とされたのはパリサイ人ではなく取税人でした。自分を高くする者は低くされ、低くする者は高くされるという御国の原則が示されます。

ペテロの手紙第一5章5節

神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜います。ペテロは譬と同じ原則を述べます。高ぶりは恵みの戸を閉ざし、へりくだりは戸を開きます。

パリサイ人と取税人についての説教

よくある質問

パリサイ人と取税人は実在したのですか。

これは、イエスが語られた教えの物語である譬です(ルカ18章9節)。二人は名前を持たず、歴史上の人物として紹介されてもいません。神の前の二つの態度、自分の義に頼る心と、へりくだって恵みを求める心を表す人物です。

なぜ取税人は義とされ、パリサイ人は義とされなかったのですか。

パリサイ人は自分の行いに頼って他人と比べ、神に何も求めませんでした。取税人は自分が罪人だと認めてあわれみを願いました。イエスは「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」と結ばれます(ルカ18章14節)。

パリサイ人と取税人の譬は聖書のどこにありますか。

ルカの福音書18章9節から14節にあります。しつこい祈りを教える、不義な裁判官とやもめの譬のあとにあり、幼な子たちがイエスのもとに連れて来られる場面の前に置かれています。

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