聖書は天国を、漠然とした未来の報酬としてではなく、キリストに属する者のために備えられた、神ご自身が住まわれる実在の場所として描いています。イエスはこう明言されました。「わたしの父の家には、すまいがたくさんある」(ヨハネによる福音書 14章2節)。そして再び来て、ご自分のものを迎えると約束されました。信じる者にとって、この約束はすでに現在を変えます。「わたしたちの国籍は天にある」(ピリピ人への手紙 3章20節)とあるように、私たちの本当のアイデンティティは地上ではなく天にあるのです。
天国は退屈で実体のない存在ではなく、神の御前ですべてが完全に回復される場所です。黙示録は「彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さる。もはや死もなく、悲しみも、叫びも、苦しみもない」(ヨハネの黙示録 21章4節)と約束しています。パウロもまた、その栄光は私たちの想像をはるかに超えると語ります。「目が見たことのないもの…神は、自分を愛する者たちのために備えられた」(コリント人への第一の手紙 2章9節)。それは、私たちの創造主との、完全でとぎれることのない交わりとなるのです。
天国への道は行いによって得るものではなく、ただキリストへの信仰によって開かれます。イエスは、共に十字架につけられた犯罪人に「あなたは今日、わたしと共にパラダイスにいるであろう」(ルカによる福音書 23章43節)と言われました。この希望は無関心でよいという意味ではありません。むしろ、永遠を見据えて今を生きること、誠実で惜しみない生き方を通して「天に宝をたくわえる」(マタイによる福音書 6章20節)ことへと私たちを招いています。天国を信じることは、この地上での歩み方そのものを形づくるのです。
天国に関する聖書の言葉
« わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。 »
« しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。 »
« わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。 »
« 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 »
« しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。 »
« イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。 »
« むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。 »
天国についての説教
天国に関するよくある質問
聖書によれば、天国は本当に存在するのですか?
はい、聖書は天国を象徴やたとえ話としてではなく、神が実際に住まわれる場所として語っています。イエスは「わたしの父の家には、すまいがたくさんある」(ヨハネによる福音書 14章2節)と言われ、ご自身が弟子たちのために場所を備えると約束されました。
天国はどのようなところですか?
聖書は、涙も死も悲しみも苦しみもない、完全に回復された世界として天国を描いています(ヨハネの黙示録 21章4節)。そこでの経験は、私たちの想像をはるかに超えるものだとパウロは語っています(コリント人への第一の手紙 2章9節)。
天国に行けると、どうすれば確信できますか?
天国への道は、善い行いを積み重ねることではなく、キリストへの信仰によって開かれます。十字架上でイエスを信じた犯罪人に、イエスは「あなたは今日、わたしと共にパラダイスにいるであろう」(ルカによる福音書 23章43節)と告げられました。同じ信仰は、今日私たちにも開かれています。
天国では亡くなった家族や友人と再会できますか?
聖書は詳細な描写をしていませんが、天国が孤立や忘却の場ではなく、神と、そして共に信仰を持つ者たちとの完全な交わりの場であることを示しています。悲しみが完全に取り除かれる約束(ヨハネの黙示録 21章4節)は、大きな慰めとなります。
天国と楽園(パラダイス)は同じものですか?
はい、聖書の中でこの二つの言葉は同じ現実、すなわち神の永遠の御国を指して使われています。イエスが十字架上で「パラダイス」(ルカによる福音書 23章43節)と語られたのは、まさにご自分の御国、天国のことでした。