「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」(ヨハネによる福音書14章15節)。聖書における従順は強制や恐怖からではなく、愛から生まれます。神への従順とは、神が善い方であることを信頼し、その導きに喜んで従うことです。それは自由の放棄ではなく、真の自由への道です。なぜなら罪からの解放こそが本当の自由だからです。
サムエルはサウル王に告げました。「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる」(サムエル記上15章22節)。宗教的な行為よりも日々の従順が重要です。イエスご自身も「苦しみによって従順を学ばれ」ました(ヘブル人への手紙5章8節)。従順は完成品ではなく、成長の過程です。
聖書は「御言を行う人になりなさい。ただ聞くだけの者となってはいけない」(ヤコブの手紙1章22節)と教えます。知識だけでは十分ではありません。みことばを聞いて行う者は岩の上に家を建てた人にたとえられ、聞いても行わない者は砂の上に建てた人にたとえられます。また使徒たちは「人間に従うよりは、神に従うべきである」(使徒行伝5章29節)と宣言し、最終的な権威は神にあることを示しました。
従順に関する聖書の言葉
« もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。 »
« サムエルは言った、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。 »
« もし、きょう、わたしがあなたがたに命じるあなたがたの神、主の命令に聞き従うならば、祝福を受けるであろう。 »
« そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。 »
« あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。 »
« これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。 »
« 彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、 »
« もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。 »
従順に関するよくある質問
神に従うことは自由を手放すことですか?
見かけ上はそう思えるかもしれませんが、聖書は逆のことを教えます。ヨハネ8章32節で「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」とイエスは言われました。罪への従属こそが真の束縛であり、神への従順は罪からの解放です。神のいましめは制限ではなく、いのちへの道しるべです。
従うことが難しすぎると感じるとき、どうすればよいですか?
正直にその思いを神に伝えてください。イエスもゲツセマネで「この杯をわたしから取りのけてください。しかし…みこころのままになさってください」と祈られました。従順は自力で達成するものではなく、聖霊の助けによって可能になります。完璧を目指すのではなく、一歩ずつ神に近づく姿勢が大切です。
神のみこころをどう見分けて従えばよいですか?
神のみこころを知る道は複数あります。まず聖書のみことばが最も確かな基準です。次に祈りの中で聖霊の導きを求めます。信仰の共同体からの助言も重要です。また開かれた扉と閉ざされた扉を通して神は導かれます。みこころが明確でないときは、すでに知っている真理に忠実であり続けることが次のステップを照らします。