聖書は苦しみについて何と言っていますか?

苦しみについての重要な聖句と聖書の答え。

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聖書は苦しみの存在を否定も無視もしません。むしろ正面から向き合います。イエスご自身が「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネによる福音書16章33節)と言われました。神は苦しみのない人生を約束されませんでしたが、苦しみの中での臨在を約束されました。「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる」(詩篇34篇18節)。

苦しみには目的があると聖書は教えます。「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す」(ローマ人への手紙5章3-5節)。これは苦しみを歓迎せよという意味ではなく、神が苦しみをも用いて私たちを成長させてくださるということです。イエスご自身も「苦しみによって従順を学ばれ」ました(ヘブル人への手紙5章8節)。苦しみは無意味ではありません。

そして聖書は苦しみの終わりを約束しています。「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」(ヨハネの黙示録21章4節)。現在の苦しみは永遠ではなく、「やがて現されようとする栄光に比べると、言うに足りない」のです(ローマ人への手紙8章18節)。苦しみの中にいるあなたに、神は回復と希望を備えておられます。

苦しみに関する聖書の言葉

  • « わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。 »

    ローマ人への手紙 8章18節

  • « ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。 »

    コリント人への第二の手紙 1章3-4節

  • « あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。 »

    ペテロの第一の手紙 5章10節

  • « 主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。 »

    詩篇 34篇18節

  • « これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。 »

    ヨハネによる福音書 16章33節

  • « それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 »

    ローマ人への手紙 5章3-5節

  • « わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。 »

    ヤコブの手紙 1章2-4節

  • « 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 »

    ヨハネの黙示録 21章4節

苦しみに関するよくある質問

なぜ神は苦しみを許されるのですか?

これは信仰における最も深い問いの一つです。聖書はすべての答えを与えませんが、いくつかの光を示します。苦しみは堕落した世界の結果であり、人間の自由意志の代価でもあります。しかし神はそれをも用いて成長と贖いをもたらされます。ヨセフの物語(創世記50章20節)は、人が悪を企てても神が善に変えられることを示しています。

苦しみは神からの罰ですか?

必ずしもそうではありません。ヨブの物語はこの誤解を明確に否定しています。ヨブは義人でしたが苦しみました。イエスも「だれが罪を犯したのですか」という問いを退けられました(ヨハネ9章3節)。苦しみを自動的に罰と結びつけることは聖書の教えに反します。神は苦しむ者を責めるのではなく、慰め、回復させる方です。

苦しみに意味を見出すにはどうすればよいですか?

苦しみの渦中で意味を見出すことは難しく、無理に意味づけする必要はありません。しかし時が経つ中で、神がその経験を通して何をなさったかが見えてくることがあります。コリント第二1章4節は、自分が受けた慰めによって他者を慰めることができると教えます。あなたの苦しみは、誰かの希望となる日が来るかもしれません。

神は私たちと共に苦しまれますか?

はい。イエスは「悲しみの人で、病を知っていた」方です(イザヤ53章3節)。十字架の上で、神は人間の苦しみの極みを体験されました。私たちの大祭司は「わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない」(ヘブル4章15節)。神は遠くから見ておられるのではなく、苦しみの中に入ってきてくださる方です。

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