結婚は聖書の最初のページ(「人はその父と母を離れて、妻と結び合い」創世記2章24節)から最後のページ(小羊の婚宴)まで貫かれています。それは契約書ではなく契約 — 神の御前でふたりがひとつのからだとなることです。
聖書のモデルは高く、美しいものです。「キリストが教会を愛された」ように自らをささげる愛(エペソ5章25節)、コリント第一13章の寛容で情け深い愛、「人は離してはならない」絆。以下の聖句が土台を据えます。
結婚に関する聖書の言葉
« それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。 »
« 夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。 »
« 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。 »
« ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。 »
« だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。 »
« 妻を得る者は、良き物を得る、かつ主から恵みを与えられる。 »
« これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。 »
« すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。 »
結婚に関するよくある質問
聖書における夫と妻の役割とは?
エペソ5章が枠組みを与えます。夫の犠牲的な愛(「キリストが教会を愛されたように」)と、キリストへの畏れをもって互いに仕え合う相互の敬意です。聖書のモデルは自己犠牲であって、支配ではありません。
夫婦の危機を聖書とともにどう乗り越えますか?
コロサイ3章がサバイバルキットです。赦し(「主があなたがたをゆるして下さったように」)、柔らかな言葉、そして何より「すべてを完全に結ぶ帯」である愛。賢い助言者に伴走してもらうことも聖書的な歩みです。
クリスチャンは結婚しなければなりませんか?
いいえ。パウロは独身を、分かたれることのない献身を可能にする尊い召しとして示しています(コリント第一7章)。結婚と独身は二つの奉仕の道であり、優劣ではありません。