聖書 — 口語訳 (1955)

イザヤ書 59

概要

イザヤ書59章は、ひとつの指摘から始まります。神が救えないのではなく、民の罪が妨げとなっているのです。預言者は不義と暴虐を描き、やがて民は自分たちの罪を認めます。神は、とりなす者がだれもいないのをご覧になり、義を胸当として、救をかぶととしてまとい、ご自身で行動されます。章の終わりは、シオンにあがなう者が来るという約束と、御霊と神の言葉に基づく契約で結ばれます。

この章の4つの区分

  1. 1-8節罪が隔てる:神は救えないほど弱くはない
  2. 9-15節民は暗闇の中を手さぐりし、罪を認める
  3. 16-19節神ご自身が救うために身を整えられる
  4. 20-21節あがなう者と、御霊と言葉の契約

1見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。

2ただ、あなたがたの不義が あなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が 主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。

3あなたがたの手は血で汚れ、あなたがたの指は不義で汚れ、あなたがたのくちびるは偽りを語り、あなたがたの舌は悪をささやき、

4ひとりも正義をもって訴え、真実をもって論争する者がない。彼らはむなしきことを頼み、偽りを語り、害悪をはらみ、不義を産む。

5彼らはまむしの卵をかえし、くもの巣を織る。その卵を食べる者は死ぬ。卵が踏まれると破れて毒蛇を出す。

6その織る物は着物とならない。その造る物をもって身をおおうことができない。彼のわざは不義のわざであり、彼らの手には暴虐の行いがある。

7彼らの足は悪に走り、罪のない血を流すことに速い。彼らの思いは不義の思いであり、荒廃と滅亡とがその道にある。

8彼らは平和の道を知らず、その行く道には公平がない。彼らはその道を曲げた。すべてこれを歩む者は平和を知らない。

9それゆえ、公平は遠くわれわれを離れ、正義はわれわれに追いつかない。われわれは光を望んでも、暗きを見、輝きを望んでも、やみを行く。

10われわれは盲人のように、かきを手さぐりゆき、目のない者のように手さぐりゆき、真昼でも、たそがれのようにつまずき、強壮な者の中にあっても死人のようだ。

11われわれは皆くまのようにほえ、はとのようにいたくうめき、公平を望んでも、きたらず、救を望んでも、遠くわれわれを離れ去る。

12われわれのとがは、あなたの前に多く、罪は、われわれを訴えて、あかしをなし、とがは、われわれと共にあり、不義は、われわれがこれを知る。

13われわれは、そむいて主をいなみ、退いて、われわれの神に従わず、しえたげと、そむきとを語り、偽りの言葉を心にはらんで、それを言いあらわす。

14公平はうしろに退けられ、正義ははるかに立つ。それは、真実は広場に倒れ、正直は、はいることができないからである。

15真実は欠けてなく、悪を離れる者はかすめ奪われる。主はこれを見て、公平がなかったことを喜ばれなかった。

16主は人のないのを見られ、仲に立つ者のないのをあやしまれた。それゆえ、ご自分のかいなをもって、勝利を得、その義をもって、おのれをささえられた。

17主は義を胸当としてまとい、救のかぶとをその頭にいただき、報復の衣をまとって着物とし、熱心を外套として身を包まれた。

18主は彼らの行いにしたがって報いをなし、あだにむかって怒り、敵にむかって報いをなし、海沿いの国々にむかって報いをされる。

19こうして、人々は西の方から主の名を恐れ、日の出る方からその栄光を恐れる。主は、せき止めた川を、そのいぶきで押し流すように、こられるからである。

20主は言われる、「主は、あがなう者としてシオンにきたり、ヤコブのうちの、とがを離れる者に至る」と。

21主は言われる、「わたしが彼らと立てる契約はこれである。あなたの上にあるわが霊、あなたの口においたわが言葉は、今から後とこしえに、あなたの口から、あなたの子らの口から、あなたの子らの子の口から離れることはない」と。

鍵となる聖句

1-2節
見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。 ただ、あなたがたの不義が あなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が 主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。

預言者は誤った説明を正します。神の沈黙は無力さのためではなく、隔たりをつくる罪のためです。この箇所は悔い改めへと招いています。

16節
主は人のないのを見られ、仲に立つ者のないのをあやしまれた。それゆえ、ご自分のかいなをもって、勝利を得、その義をもって、おのれをささえられた。

神は、とりなす者がだれもいないことを不思議に思われます。この節は状況の深刻さを表し、神ご自身の介入への備えとなります。

17節
主は義を胸当としてまとい、救のかぶとをその頭にいただき、報復の衣をまとって着物とし、熱心を外套として身を包まれた。

神は義を胸当としてまとい、救をかぶととしていただかれます。パウロはこのイメージを、エペソ人への手紙6章で信者の武具を描くために用います。

20-21節
主は言われる、「主は、あがなう者としてシオンにきたり、ヤコブのうちの、とがを離れる者に至る」と。 主は言われる、「わたしが彼らと立てる契約はこれである。あなたの上にあるわが霊、あなたの口においたわが言葉は、今から後とこしえに、あなたの口から、あなたの子らの口から、あなたの子らの子の口から離れることはない」と。

罪を離れる者のために、あがなう者が来ます。神は永続する契約を約束し、御霊と言葉は、民のうちにとこしえにとどまります。キリスト者はそこにイエスを見いだします。

説教が語っていること

義の胸当て:与えられた義と生きられる正しさヤンは、エペソ人への手紙6章の背景がイザヤ書59章17節であることを語ります。神は義の胸当をまとい、その武具を信者と分かち合われ、信者はそれを受け、生きるのです。要約を読む →救いの兜 ― あなたの思考とアイデンティティを守るものアドリアンは、救のかぶとが、イザヤ書59章17節ではまず神ご自身によって身につけられていることに注目します。そこに戦われるイエスと、その戦いの中に置かれた信者を見ています。要約を読む →神の武具:悪しき日が来るときベンは、霊的な戦いがイエスの勝利から始まること、そして、イザヤ書59章17節を背景とする神の武具は、危機の前に整えられることを示します。要約を読む →和解への一歩を踏み出したのは神様でしたこの説教はイザヤ書59章2節を引きます。わたしたちの罪が、わたしたちを神から隔てていました。十字架によって、神はご自身ひとりで和解のために一歩を踏み出されたのです。要約を読む →スターになれ:輝いて、廃墟を建て直せ引用される聖書箇所のうち、この説教はイザヤ書59章1節に触れます。主の手は短くないと語ったうえで、立ち上がり、キリストの光を輝かせるようにと呼びかけます。要約を読む →

イザヤ書59章についてよくある質問

イザヤ書59章2節はどういう意味ですか

この節は、人を神から隔て、神の顔をおおうのは民の罪であって、神が救えない、あるいは聞けないからではないと説明します。メッセージは厳しく、同時に希望に満ちています。罪が妨げとなっていても、悔い改めはふたたび道を開き、神ご自身が解決を備えてくださるのです。

イザヤ書59章17節の義の胸当は何を表していますか

ここで神は、ご自分の民のために行動する戦士として、義と救をまとった姿で描かれています。パウロはこのイメージを、エペソ人への手紙6章で信者の武具のために用いました。そのつながりは、信者が身につける義と救が、神ご自身から来ることを示唆しています。

イザヤ書59章のメッセージは何ですか

この章は、罪が神から隔てること、民は自分の罪を認めなければならないこと、そして神は、とりなす者がだれもいないのをご覧になって、ご自身で行動されることを語ります。章は、罪を離れる者のためのあがなう者の約束と、御霊と言葉に基づく永続する契約で結ばれます。

なぜ神は、とりなす者がだれもいないことを不思議に思われるのですか

16節で、神は公平がないことを見て、だれも民のために立ち上がらないのを不思議に思われます。この箇所は、とりなしの大切さを強調しています。また、主ご自身が単独で行動されることへの備えともなります。キリスト者は、これを信じる者のためにとりなしてくださるイエスと結びつけています。

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