聖書 — 口語訳 (1955)
コリント人への第一の手紙 12
概要
コリント人への第一の手紙12章で、パウロは御霊の賜物をめぐって分裂していた教会に答えます。賜物は同じ御霊、同じ主、同じ神から来ると述べ、多様性は序列ではないと語ります。一人ひとりに、全体の益のために御霊の現れが与えられています。パウロは次に、教会をからだにたとえます。多くの肢体、一つのからだ、それぞれが必要で、弱く見える肢体がいっそう尊ばれます。章の終わりには、務めと賜物の一覧があり、さらにすぐれた道、愛が告げられます。
この章の5つの区分
1兄弟たちよ。霊の賜物については、次のことを知らずにいてもらいたくない。
2あなたがたがまだ異邦人であった時、誘われるまま、物の言えない偶像のところに引かれて行ったことは、あなたがたの承知しているとおりである。
3そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。
4霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。
5務は種々あるが、主は同じである。
6働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。
7各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。
8すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、
9またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、
10またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。
11すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。
12からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。
13なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。
14実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。
15もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。
16また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。
17もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。
18そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。
19もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。
20ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。
21目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。
22そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、
23からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、
24麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。
25それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。
26もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
27あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
28そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。
29みんなが使徒だろうか。みんなが預言者だろうか。みんなが教師だろうか。みんなが力あるわざを行う者だろうか。
30みんながいやしの賜物を持っているのだろうか。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くのだろうか。
31だが、あなたがたは、更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。そこで、わたしは最もすぐれた道をあなたがたに示そう。
鍵となる聖句
各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。
パウロは、賜物の存在理由を示します。御霊は全体の益になるために、一人ひとりに現れを与えられます。賜物は、他の人に仕えるために受けるもので、自分を目立たせるためではありません。
からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。 なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。
パウロはからだのたとえを導入します。からだは一つでも肢体は多い。キリストもそれと同様です。出身がどうであれ、みな一つの御霊によって一つのからだとなるバプテスマを受けました。
目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。 そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、
目は手に向かって、おまえはいらないとは言えません。パウロはさらに進み、からだの中でほかよりも弱く見える肢体が、かえって必要なのだと言います。教会に二次的な場所はありません。
もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
一つの肢体が苦しめば、すべての肢体がともに苦しみ、一つの肢体が尊ばれれば、すべてがともに喜びます。この節は、日曜日の集まりにとどまらない、信者同士の現実の連帯を描いています。
あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
パウロはコリントの人々に直接語りかけます。あなたがたはキリストのからだであり、ひとりひとりはその肢体です。教会は参加しに行く場所や行事ではなく、一人ひとりがその一員である共同体です。
説教が語っていること
コリント人への第一の手紙12章についてよくある質問
コリント人への第一の手紙12章のからだのたとえは何を意味しますか
パウロは教会を人間のからだにたとえます。異なる多くの肢体が一つの有機体をなします。このたとえは、一人ひとりの信者に必要な場所があること、だれも他の人なしではいられないこと、賜物の多様性が分裂ではなく連帯を生むべきことを語っています。
コリント人への第一の手紙12章に挙げられている御霊の賜物は何ですか
8節から10節で、パウロは知恵の言葉、知識の言葉、信仰、いやしの賜物、奇跡、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解く力を挙げます。28節から30節では、使徒、預言者、教師といった務めや、助ける者や指導者にも触れています。これらの賜物の一部が今日どう働くかについて、教会の見方は一致していません。
御霊の賜物は今日もありますか
キリスト者の答えは二つに分かれます。継続論者は、御霊のすべての賜物が今も働いていると考え、中止論者は、奇跡、異言、預言のような一部が、使徒たちの時代のあとに終わったと考えます。多くの教会は、この意見の違いがあっても一致を保っています。
なぜパウロは最も弱い肢体について語るのですか
22節でパウロは、からだのうちでほかよりも弱く見える肢体がかえって必要であり、神は劣っているところにいっそう多くの誉を与えられると述べます。その目的は、からだの中に分裂がなく、肢体が互いに配慮し合うことです。
コリント人への第一の手紙 12を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。