あなたの個性は、キリストが教会に与えた賜物

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はじめに

自分の賜物は何だろうと考えたことはありませんか。コリント人への第一の手紙12章のリストを見比べても、はっきりした答えが出てこない。そんな経験はありませんか。ステファヌ・ギエ牧師は、エペソ人への手紙4章7-16節から、この問いを逆転させることを提案します。「私の賜物は何か」ではなく、「私は教会にとってどんな賜物なのか」と問い直すのです。あなたの個性は、キリストのからだの一致を妨げるものではありません。むしろ、その一部なのです。あなたをその教会に与えたのはキリストご自身だからです。

メッセージの構成

1. 複数形の「個性」:教会はユニークな存在の集まり

  • 「神のご計画における教会」シリーズの中で、一致について語った1-6節に続き、パウロは7節から個性について語り始めます。
  • タイトルの言葉が複数形なのは、普遍的な教会が無数の個性から成り立っていることを思い出させるためです。
  • 問いは三つの階層にあります。諸教会の連合は他の教派の中でどのように独自なのか。あなたの地域教会はどのように独自なのか。そして、その群れの中であなた自身の個性はどこにあるのか。

2. ポストモダン社会は個性への執着を生み出した

  • ドイツの社会学者アンドレアス・レックヴィッツはこのテーマについて著書を書いています。今日、香水の匂いからワインボトルのラベル、車の色まで、あらゆるものをカスタマイズできます。
  • かつては全体の利益が個性を押しつぶす時代がありました。今は逆で、個性が共通の利益という感覚を脅かす時代です。
  • 文化が個性を強く後押ししているからこそ、聖書はまず一致から語り始め、そのあとで個性を秩序づけられるべき豊かさとして扱うのです。

3. 「私たち一人ひとり」:それぞれの唯一の存在が恵みを受けた(7節)

  • この箇所は文字どおりには「私たちのそれぞれ唯一の者に」とも訳せます。「ただ一つ」を繰り返す4-6節の後、パウロは念を押します。一致とは、混同でも画一化でもありません。個性同士を結びつけることなのです。
  • あなたのDNAはあなたを唯一の存在として定義しますが、同時にあなたを人類という一つのカテゴリーにも位置づけます。あなたは唯一であると同時に、他者と似ている存在でもあります。
  • パウロが「もはやユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない」と言うとき、それはバプテスマの水から上がった瞬間に違いが消え去るという意味ではありません。教会という、御国に向かって歩む民の中では、その違いがもはや分裂の理由にならないという意味です。そこでは、そうした隔ての壁がいつか完全になくなるからです。

4. 「キリストの賜物の量に従って」:重なり合う二つの解釈

  • 第一の解釈。ここでの「量」とは、神の無限の偉大さを指しています。イエス・キリストにおいて示された神の愛の大きさに応じて、恵みがあなたに与えられているのです。あなたを救い、変え、あなたとはまったく異なる人々と一つに結び合わせる恵みです。
  • 第二の解釈。それぞれが、自分の個性に応じた固有の量、固有の賜物を受けているという読み方です。多くの注解者がこちらを取り、ローマ人への手紙12章6節「私たちは与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っている」と並べて理解します。ここでは奉仕の恵みが語られています。
  • ステファヌ・ギエ牧師は率直に、どちらが正しいと決めることはできないと言います。二つとも同時に真実なのかもしれません。パウロの念頭には、その両方があったのかもしれません。

5. 勝利の王の帰還(8節、詩篇68篇19節の引用)

  • パウロは詩篇68篇を自由に引用します。「彼は高い所に上り、捕虜を捕らえ、人々に賜物を与えられた。」
  • これは、シオンに凱旋し、捕虜たちを自らの奉仕に組み入れる勝利の将軍のイメージです。古代近東では、戦から凱旋する王が戦利品を携えて帰ってくるこの場面はよく知られたものでした。
  • パウロはこれをキリストに当てはめます。勝利者とはイエスであり、地上に降り、死と復活を経て、天に昇られた方です。捕虜とは、私たちのことです。パウロ自身、「私はキリストの囚人です」(エペソ人への手紙3章1節)と語ります。「キリストのゆえに」ではなく、「キリストの」捕虜なのです。

6. 賜物とは能力ではなく、人そのもの(11節)

  • エペソ人への手紙4章のリストは限定的です。使徒、預言者、伝道者、牧師、教師。いずれも御言葉の奉仕を中心にしています。
  • ローマ人への手紙12章やコリント人への第一の手紙12章では、賜物とは御霊によって呼び起こされる能力です。ここでパウロは視点を変えます。賜物とは人そのものであり、群れ全体に仕えるために与えられた人々のことなのです。
  • 目的として掲げられているのは、「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建てる」こと(12節)、そして「調和のとれた成長」(16節)です。

7. 問いを変えよう:「私は教会にとってどんな賜物なのか」

  • 多くのクリスチャンが「自分の賜物は何だろう」という問いに苦しんでいます。コリント人への第一の手紙12章のリストを何度見返しても、明確な答えは見つかりません。
  • エペソ人への手紙4章は、この問いを逆転させるよう招いています。私はキリストのからだを建て上げる賜物だろうか。私は与えられたものに応じて、その調和ある成長を助ける賜物だろうか。
  • この問いは、抽象的な霊的賜物の発見に自分を縛りつけません。むしろ、あなたを今この瞬間の奉仕へと押し出します。今のあなた自身、あなたにできること、あなたの個性から始めて、「手にできることをする」ように。

8. あなたを困らせる、あの少し変わった兄弟姉妹も、キリストが与えてくれた人

  • できれば避けたいと思うような、少し変わった兄弟や姉妹がいるかもしれません。しかし、その人がキリストによってあなたに与えられた存在だと考えるなら、見方は変わってくるはずです。
  • その人は、あなたが自分の好みで選んだ相手ではありません。キリストご自身が、自らの教会に与えることを選ばれた人なのです。
  • ステファヌ・ギエ牧師は、ディートリヒ・ボンヘッファーの『共に生きる生活』第1章を紹介しています。自分では選べない兄弟姉妹関係について、非常に豊かな洞察が記されています。

9. 教会の使命:新しい人類の証し

  • もし教会の使命が、まさにこのことにあるとしたらどうでしょうか。男も女も、富める者も貧しい者も、もとからその地に住む者も異邦から来た者も、福音のゆえに調和をもって共に生きられることを示すという使命です。
  • これはエペソ人への手紙2章の「新しい人」であり、隔ての壁が取り除かれた姿です。多様性をかき集めるためではなく、個性そのものが豊かさへと変えられるためです。
  • これは地域教会同士の間でも同じです。それぞれの教会には、礼拝の仕方、伝道の仕方に独自のスタイルがあります。それは問題ではなく、むしろ望ましいことです。同じ主が真実に礼拝され、同じ福音が宣べ伝えられている限りは。自由教会連合の中でも、CNEF(フランス福音派全国協議会)、フランス・プロテスタント連盟、フランス・キリスト教会共同体の中でも、同じことが言えます。

覚えておきたいポイント

  • クリスチャンの一致とは画一化ではありません。ただ一人の主によって結び合わされた、無数の個性のことです。
  • エペソ人への手紙4章の賜物とは、教会に献げられた人そのものであり、自分の中に見つけ出すべき能力ではありません。
  • 正しい問いは「私の賜物は何か」ではなく、「私は教会にとってどんな賜物なのか」です。
  • あなたを困らせる兄弟姉妹は障害物ではありません。キリストが自らの教会に与えることを選ばれた贈り物です。
  • あなたの個性は、調和あるからだの成長に仕えるとき、教会を分裂させるのではなく、その豊かさを映し出します。

実践への問いかけ

  • もし今日、「私の賜物は何か」という問いを「今、私は教会にとってどんな賜物なのか」に置き換えたら、今週あなたの手はどんなことを見つけて行うでしょうか。
  • できれば避けたいと思う兄弟姉妹はいませんか。もしその人を、キリストがあなたの教会に与えた賜物として受け止めるなら、見え方はどう変わるでしょうか。
  • あなた自身の中に、これまで教会の成長に役立つとは考えたこともなかった個性。生い立ち、気質、能力、文化的背景。があるとしたら、それは何でしょうか。
  • 他のクリスチャンとのあなたの一致は、相手があなたに似ているかどうかによるものですか、それとも皆がただ一人の主を持っているという事実によるものですか。
  • あなたの地域教会には、礼拝や伝道における独自のスタイルがあります。それを豊かさとして受け止めていますか、それとも他の「理想の」教会と比べて評価していますか。

引用聖句

よくある質問

自分の霊的賜物を探し求めるべきですか。

その姿勢自体が間違っているわけではありませんが、エペソ人への手紙4章は問いの向きを変えます。「私の賜物は何か」という問いに立ち止まり続けるのではなく、ステファヌ・ギエ牧師は「私は教会にとってどんな賜物なのか」と問うことを勧めます。この問いかけは、あなたを麻痺させるような内省から解放し、あなたがすでに持っているもの。あなたの個性、生い立ち、能力、そして今この瞬間に差し出せるもの。から始まる具体的な奉仕へと導いてくれます。

教会の中で自分を困らせる兄弟姉妹には、どう向き合えばよいのでしょうか。

このメッセージは、あなたが教会の他のメンバーを自分で選んだわけではないことを思い出させてくれます。あなた自身を含め、彼らを教会に与えられたのはキリストです。あなたを困らせる兄弟姉妹は、偶然の産物ではありません。ボンヘッファーは『共に生きる生活』の中で、この現実を丁寧に描いています。クリスチャンの兄弟姉妹関係は、気の合う者同士の集まりではなく、私たちの好みに先立って与えられた賜物なのです。避けようとする前に、まずそのように受け止めてみてください。

今日の教会において、個性と一致はどう両立するのでしょうか。

聖書は、個性を一致に対立させて描いてはいません。まず一致を据え(エペソ人への手紙4章1-6節、「ただ一つ」を繰り返す箇所)、そのあとで個性(7節以降)を、からだへの奉仕のために秩序づけられるべき豊かさとして位置づけます。クリスチャンの一致とは、混同でも画一化でもありません。ただ一つの主、ただ一つの信仰、ただ一つのバプテスマのもとに結び合わされた個性が、一つのからだの中で調和をもって成長していくことなのです。

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