聖書 — 口語訳 (1955)

ペテロの第一の手紙 2

概要

ペテロは、散らされて少数派となったクリスチャンたちに書き送ります。悪を捨て、成長するためにみことばを慕い求めるよう勧め、続いて彼らのアイデンティティを描きます。隅の親石であるキリストを中心に建てられる生ける石であり、王の祭司、神のものとされた民です。さらに、旅人として正しい行いをもって生き、権威を敬い、当時のしもべたちには、キリストにならって不当な苦しみを耐えるよう求めます。キリストは十字架で私たちの罪を負われ、魂の牧者でいらっしゃいます。

この章の5つの区分

  1. 1-3節悪を捨て、純粋な霊の乳であるみことばを慕い求める
  2. 4-8節生ける石であるキリストと、霊の家として建てられる信仰者たち
  3. 9-10節選ばれた種族、王の祭司、神の民
  4. 11-17節旅人、寄留者として、正しい行いをもって生きる
  5. 18-25節苦しまれ、私たちの罪を負われたキリストにならう

1だから、あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて、

2今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。

3あなたがたは、主が恵み深いかたであることを、すでに味わい知ったはずである。

4主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。

5この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。

6聖書にこう書いてある、「見よ、わたしはシオンに、選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、決して、失望に終ることがない」。

7この石は、より頼んでいるあなたがたには尊いものであるが、不信仰な人々には「家造りらの捨てた石で、隅のかしら石となったもの」、

8また「つまずきの石、妨げの岩」である。しかし、彼らがつまずくのは、御言に従わないからであって、彼らは、実は、そうなるように定められていたのである。

9しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。

10あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。

11愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。

12異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。

13あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。主権者としての王であろうと、

14あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい。

15善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。

16自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動しなさい。

17すべての人をうやまい、兄弟たちを愛し、神をおそれ、王を尊びなさい。

18僕たる者よ。心からのおそれをもって、主人に仕えなさい。善良で寛容な主人だけにでなく、気むずかしい主人にも、そうしなさい。

19もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。

20悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。

21あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。

22キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。

23ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。

24さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。

25あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。

鍵となる聖句

2節
今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。

生まれたばかりの乳飲み子が乳を求めるように、信仰者は成長するために神のみことばを慕い求めるよう招かれています。このたとえは、時折の努力ではなく、素朴で絶えない渇望を語っています。

5節
この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。

信仰者は生ける石であり、ともに霊の家を形づくります。信仰は一人で持つものとは考えられておらず、一人ひとりが共同の建物の中に自分の場所を見いだします。

9節
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。

ペテロは、かつてイスラエルに与えられていた称号を教会に当てはめます。その目的も語られています。暗やみから驚くべき光の中に招いてくださった方の御徳を宣べ伝えるためです。

21-24節
あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。

キリストは模範であり、同時に救い主です。ののしり返さずに苦しみ、十字架で私たちの罪を負われました。聖書は、その犠牲を、義のために生きる新しい生活に結びつけています。

25節
あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。

迷っていた者たちは、魂の牧者であり監督者である方のもとに帰されました。このたとえは、キリストのみわざに、いたわりと守りの面差しを与えています。

説教が語っていること

純粋なみことばの乳:あなたに欠かせない養いこの説教は、ペテロの第一の手紙2章1節から3節を二つの行動で読みます。神なき世の論理をきっぱり退けること、そしてみことばを純粋な乳として慕い求めることです。それは、決意よりもしっかりした糧を与えてくれます。要約を読む →王であり祭司である ― キリストにある二重の冠ジョエルは、ペテロの第一の手紙2章9節と出エジプト記19章に基づき、聖なるとは神のために取り分けられることだと語ります。そこから、祈りと奉仕を養う、王また祭司としてのアイデンティティを引き出します。要約を読む →忍耐しなさい:イエス様と共に立ち続けるための4つの柱サミュエル・マボーは2章4節と5節を引き、一つだけの石はただの小石にすぎないと語ります。忍耐は、祈り、教え、交わり、パンを裂くことの中で、ともに生きるものです。要約を読む →羊と羊飼い、ヨハネ10章に見るあなたの居場所説教者は2章25節を引いて、私たちが迷う羊であり、魂の牧者のもとに連れ戻されたことを思い起こさせます。この聖句を、ヨハネの福音書10章の良い羊飼いのたとえと結びつけています。要約を読む →すべては成し遂げられた:十字架があなたのために解決したことバンジャマン・ペテルシュミットは2章24節から、キリストが私たちの罪を木の上で負われたことを語ります。そこに、過去、現在、そして父との関係を解決する十字架を見ています。要約を読む →

ペテロの第一の手紙2章についてよくある質問

ペテロの第一の手紙2章9節の「王の祭司」とはどういう意味ですか

ペテロは、かつてイスラエルに与えられた称号を教会に当てはめています。祭司とは、すべての信仰者が神に近づくことができ、自分の生涯と賛美をささげられるということです。王とは、彼らが王に属しているということを思い起こさせます。キリスト教の諸伝統は、この箇所を少しずつ違う仕方で理解していますが、どれも、一人ひとりの信仰者が神のものであることを見ています。

ペテロの第一の手紙2章5節の「生ける石」とは何ですか

信仰者のことです。生ける石であるキリストに結ばれているので、生ける石にたとえられています。彼らはともに、神が礼拝される霊の家を形づくります。このたとえは、信仰が共同体の中で生きられるものであることを示しています。独りだけの石は何も築かず、どの石にも建物の中の場所があります。

ペテロの第一の手紙2章24節の「その傷によって、あなたがたは、いやされた」とはどういう意味ですか

ペテロは十字架について語るために、イザヤ書53章を引いています。文脈では、語られているいやしは、まず罪からのいやしです。キリストは、私たちが義のために生きるように、私たちの過ちを負ってくださいました。この聖句における肉体のいやしの位置については、信仰者の間で議論がありますが、本文の中心は、赦しと新しい生活です。

なぜペテロは、権威や主人に従うことについて語るのですか

ペテロは、悪口を封じるために、正しい行いを示さなければならない少数派のクリスチャンに書いています。その求めは、不正を是認するものではありません。しもべたちに語りかけ、悪を返さずに苦しまれたキリストの模範を示しています。そのうえで、各自が自分の状況の中で、識別力をもってこれらの聖句を適用しようとします。

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