聖書 — 口語訳 (1955)

マタイによる福音書 18

概要

マタイによる福音書18章は、弟子たちの間の生き方についてのイエスの教えです。「天国ではだれがいちばん偉いのですか」という問いに、イエスは幼な子を真ん中に立たせて答えられます。続いて、羊飼いが探し求める迷い出た一匹の羊を語り、兄弟が罪を犯したときの具体的な手順を示します。御名によって集まる者のうちにいてくださるという約束もあります。章は赦しで結ばれます。ペテロの問いに、イエスは、莫大な負債を免除されながら、小さな負債を赦そうとしない家来のたとえで答えられました。

この章の5つの区分

  1. 1-5節幼な子のようになって、天国にはいる
  2. 6-14節小さな者をつまずかせない、そして迷い出た羊
  3. 15-20節兄弟を戒める、そして二、三人のまん中におられるイエス
  4. 21-22節ペテロの問い:何度赦すべきか
  5. 23-35節仲間を赦さない家来のたとえ

1そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。

2すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、

3「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。

4この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。

5また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。

6しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。

7この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。

8もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。

9もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。

10あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。

11〔人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕

12あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。

13もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。

14そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。

15もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。

16もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。

17もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。

18よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。

19また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。

20ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。

21そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。

22イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

23それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。

24決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。

25しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。

26そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。

27僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。

28その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。

29そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。

30しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。

31その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。

32そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。

33わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。

34そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。

35あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。

鍵となる聖句

3節
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。

イエスは偉さの問いを、逆転させて答えられます。重要な人になるのではなく、すべてを受け取る幼な子のように、素直に、頼る者に戻ることが求められています。

15節
もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。

信者同士の争いに向き合う、いくつかの段階の最初の一歩です。まずふたりだけで話し合います。目的は議論に勝つことではなく、兄弟を得ることです。

20節
ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。

小さな群れに向けられた、主の臨在の約束です。この章の文脈は教会の生活と和解であり、グループでの祈りだけを指しているのではありません。

21-22節
そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。 イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

ペテロは七たびで十分に寛大だと考えました。イエスの答えは、新しい上限を決めるものではありません。数えること自体をやめるようにという招きです。

35節
あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。

たとえの厳粛な結びです。莫大な赦しを受けた者が、兄弟に対して心を閉ざしたままでいることはできません。

この章に登場する人物

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説教が語っていること

情け容赦のない家来のたとえ話:真の赦しとは説教者はマタイ18章21節から35節を取り上げます。イエスはペテロに、帳簿をつけるのをやめ、赦しを生き方にするよう招かれます。このたとえは鏡となり、なぜ赦すことが可能なのか、それなのになぜ実行がなお難しいのかを教えてくれます。要約を読む →赦すことは大目に見ることではない:あなたを解き放つ三つの段階説教者は、赦すことは忘れることでも、大目に見ることでも、必ずしも和解することでもないと語ります。しなければならないという義務ではなく招きとして示し、傷を否定せずに解き放たれていく、いくつかの段階の道として紹介します。要約を読む →赦しによって日々新たにされる心このメッセージは、赦しを、返しようのない負債の帳消しと定義します。それはイエスが十字架で負われたものです。自分が多く赦されたことを思い出すとき、今度は自分が赦す力が与えられます。要約を読む →赦しの力があなたの負債を消し去る説教者は、恨みを、相手が死ぬことを願って自分が飲む毒にたとえます。神ご自身が負債を完全に消してくださったので、赦しはまず赦す人を自由にすると語ります。要約を読む →祈りの奥に隠された赦しの心神との関係をテーマにしたこのシリーズでは、赦しは祈りの奥に隠れた中心として語られます。赦すことと大目に見ることは違います。負債があることを認めたうえで、それを相手に負わせ続けないと決めるのです。要約を読む →

マタイによる福音書18章についてよくある質問

マタイによる福音書18章のメッセージは何ですか

18章は弟子たちの間の生き方を語ります。野心ではなく謙遜、最も小さな者への配慮、迷い出る者を探すこと、兄弟間の率直な和解、そして数えない赦しです。一貫しているのは、だれもが莫大な恵みを受けており、それを教会の中で巡らせなければならないということです。

「七たびを七十倍する」赦しとはどういう意味ですか

イエスは、七たびと言ったペテロに答えておられます。490回の赦しを数えるようにという意味ではなく、赦しは測るものではないということです。この数字は限りがないことを表し、続くたとえも、だれにも返せない負債によってそれを示しています。

「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には」とはどういう意味ですか

この聖句は、兄弟を戒める教えと、心を合わせる祈りの教えに続いています。ごく小さな群れでも、御名によって集まるなら、イエスがそこにおられるという約束です。神の臨在が人数に左右されるという意味ではなく、共同体は大きくなくても、主がお住まいになるということです。

赦すことは、大目に見ることや和解することですか

いいえ。赦すとは、悪が重大でなかったふりをすることではなく、負債を取り立てることをあきらめることです。和解には、さらに相手が認めて変わることが必要で、それはあなたの力の及ばないことです。虐待の場合、赦しは、保護や正義や支援を妨げるものではありません。

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