はじめに
この朝、Église Évangélique Paris Métropole の朝の献身礼拝は、「愛と赦しと和解のうちに一つに集められて」というテーマのもと、断食と祈りの時間で始まります。エペソ人への手紙4章1節から6節です。「そこで、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、」
導入では、この箇所が一つの思い起こしとして示されます。教会の一致は、神からの賜物であると同時に、私たちの責任でもあります。私たちは一つの御霊に導かれ、一人の主のもとにある一つの体です。この一致を守るとは、互いに忍耐し合い、平和を求め、高ぶりと分裂を捨てることです。
賛美の時間のあと、ダリル牧師がメッセージを語ります。このテーマを託されたとき、心の中で「主よ、感謝します」と言ったと牧師は話します。このテーマは「神ご自身について直接語り、イエス・キリストという方について直接語っている」からです。
メッセージの流れ
1. 神がどのような方かを語るテーマ
- まず愛です。「神は愛である」(ヨハネの手紙第一 4:8)。神を定義しようとするなら、愛を語ることになります。
- 次に赦しです。赦しは神の属性です。中風の人が友人たちに連れて来られたとき、イエスはまず彼の罪が赦されたと宣言されます。宗教指導者たちは驚きます。罪を赦すことができるのは神だけだからです(マルコ 2:7)。そこでイエスはその人をいやし、ご自分にその力があることを示されます。
- 最後に和解です。私たちはまずイエス・キリストによって神と和解させられ、それから和解の務めを任されました(コリント人への手紙第二 5:18)。この愛と赦しのメッセージが諸国民に宣べ伝えられるためです。
2. 召しにふさわしく歩む
- エペソ書の最初の数章で、パウロはキリストにある私たちのアイデンティティを思い起こさせます。私たちは変えられ、造り変えられました。この新しいアイデンティティが、私たちをある生き方へと押し出します。
- かつて私たちは、空中の権を持つ君に従って歩んでいました(エペソ人への手紙 2:2)。今は、主から与えられた新しい召しに従って生きています。
- この召しは、一人の人だけに向けられたものではありません。人々の集まりに向けられたものです。あなたも私も、キリストに従うと決めました。その決心のうちに、私たちは一つに集められています。
3. うわべだけではない一致
- 最初に来るのは謙遜です。今の私たちの姿は自分によるものではなく、神の恵みによるものだからです。あなたの兄弟姉妹も、主に召された人です。その人を軽蔑のまなざしで見ることはしません。
- イエスは大祭司としての祈り(ヨハネによる福音書 17:21)の中で、私たちが一つとなるように祈られました。
- 見せかけの一致があります。一致しているふりをしていても、心の奥には苦々しさ、怒り、恨み、傷があるのです。使徒行伝では、弟子たちは心も思いも一つでした(使徒行伝 4:32)。それは「うわべだけでなく、内側においても」でした。
- 牧師は数日前に舌をかんでしまいました。そのことを考えるうち、なぜ舌はもう一度かまれないように口から出て行かないのだろうと思ったそうです。それは、そこが自分の居場所であり、歯と一緒に一つの働きを果たすために集められていることを知っているからです。ときに私たちは心が乱れ、離れたい、バラバラになりたいと思います。牧師は、何が起こっても私たちが一つに集められたままでいられるようにと祈っています。
4. 新たにされて、苦々しさとそしりを捨てる
- この箇所の続きにはこうあります。「無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を、あなたがたから取り除きなさい。互にいつくしみ深く、あわれみの心で、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい」(エペソ人への手紙 4:31-32)。
- 人間の弱さのままでは、これを生きるのは難しいことです。しかし神は私たちを新しく生まれさせ、新しい思いを与えてくださいました。私たちは心の深みまで新たにされています(エペソ人への手紙 4:23)。この新しくする働きをなさるのは神ご自身です。
- こうして新たにされた私たちは、物事を御霊による見方で理解でき、古い生き方を脱ぎ捨てて、友情と兄弟愛をもって生きることができます。
- そしりとは、偽りや確かめられていない事柄だけを指すのではありません。ときには事実であっても、誇張され、大げさに、「物語のように」脚色されたものです。牧師は、私たちが「互いに対して全き誠実さをもって」生きるようにと祈っています。
5. 神が赦してくださったように赦す
- 兄弟姉妹があなたを傷つけたとき、本人は気づいていないこともありますが、恨みが根を下ろすことがあります。聖書はあなたに赦すよう呼びかけています。そのとき、私たちの内に栄光に満ちたことが起こったと気づきます。それが神の恵みです。
- イエスが教えてくださった祈りの中で、私たちはこう言います。「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください」(マタイによる福音書 6:12)。もし赦せないなら、「この祈りは歪んでしまいます。神にうそをついているようなものです」。
- 私たちには何の資格もありませんでした。イエスは、罪人であり、神をののしり、迷い出ていた私たちのために、十字架でご自身をささげられました。この献身を前にして、「主よ、あの人たちをすでに赦してください。そして私にも赦す力をください」と言うことができます。
- 何回赦すべきかと弟子たちが尋ねたとき、主は常に赦すべきだと答えられました(マタイによる福音書 18:21-22)。赦しは、福音にふさわしく歩むことの一部です(ピリピ人への手紙 1:27)。
- 祈りの家でのヨエル牧師のメッセージを引きながら、牧師は苦々しさを、それを抱える人の心を毒する毒だと言い表します。周りを汚し、死に至らせる毒ではなく、いのちを広げる良い香りとなりましょう(コリント人への手紙第二 2:15-16)。
6. 一致は教会にとって大きな課題
- 教会が直面する課題の中でも、牧師が特に心に留めているのが一致の課題です。使徒行伝には、分裂に向かう傾向が何度も出てきます。
- ギリシア語を話すユダヤ人のやもめたちが日々の配給で見落とされていたとき、議論が起こりました。主は使徒たちを導いて、知恵ある決断へと至らせました(使徒行伝 6:1-6)。
- 使徒行伝15章では、異邦人を信仰に迎え入れることをめぐって分裂が起こりかけました。主はヤコブとほかの使徒たちに知恵の言葉を与え、一致が保たれました。
- 「教会とは、左に石が一つ、右に石が一つあるということではなく、組み合わされた石のことです。」主は一人、信仰は一つ、御霊は一つであり、御霊は分けることができません。
- メッセージは、ローマ人への手紙12章2節にもとづく祈りで終わります。主が私たちの思いを新たにしてくださり、一致と赦しと謙遜の大切さを理解し、一致に反するすべてを降ろすことができますように、という祈りです。
心に留めたいこと
- 愛、赦し、和解は、まず価値観であるというより、神がどのような方か、そしてキリストにあって神が私たちのために何をしてくださったかを表しています。
- 神の召しは一つの民に向けられています。この召しにふさわしく歩むとは、謙遜のうちに共に歩むことです。
- 見せかけの一致では足りません。神は、苦々しさも隠れた恨みもなく、心の奥底まで私たちを一つにしたいと願っておられます。
- 赦すことを拒むと、私たちの祈りは歪みます。十字架で受けた赦しが、私たちに赦す力を与えてくれます。
- かまれても舌が自分の場所にとどまるように、人間関係が難しくなったときにも、私たちは一つに集められたままでいるよう召されています。
個人への適用
- あなたの内に、一致の妨げとなる苦々しさや傷、人間関係はまだありませんか。
- 兄弟姉妹との一致は本心からのものですか。それとも、平和なふりをすることがありますか。
- 人のことを話すときに、話を誇張したり「脚色」したりすることはありませんか。
- 「私たちの負債をおゆるしください、私たちも赦しましたように」と祈るとき、まだ赦すべき相手として誰が思い浮かびますか。
- 離れたいと思う状況の中で、自分の場所にとどまり、ほかの人たちと一つに集められたままでいるとは、あなたにとってどういうことでしょうか。
引用された聖句
- エペソ人への手紙 4:1-6
- エペソ人への手紙 4:23
- エペソ人への手紙 4:31-32
- エペソ人への手紙 2:2
- ヨハネの手紙第一 4:8
- マルコによる福音書 2:1-12
- コリント人への手紙第二 5:18
- ヨハネによる福音書 17:21
- 使徒行伝 4:32
- マタイによる福音書 6:12
- マタイによる福音書 18:21-22
- ピリピ人への手紙 1:27
- コリント人への手紙第二 2:15-16
- 使徒行伝 6:1-6
- 使徒行伝 15章
- ローマ人への手紙 12:2
よくある質問
なぜ愛、赦し、和解は神ご自身について語っているのですか。
ダリル牧師にとって、このテーマは神がどのような方かに直接触れています。神は愛です(ヨハネの手紙第一 4:8)。罪を赦すことができるのは神だけであり、宗教指導者たちも中風の人を前にそれを認めています(マルコ 2:7)。そして、キリストによって私たちを神ご自身と和解させ、和解の務めを任せてくださったのも神です(コリント人への手紙第二 5:18)。
なぜ祈りの中で赦しが欠かせないのですか。
イエスが教えてくださった祈り(マタイによる福音書 6:12)の中で、私たちはこう言います。「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。」説教者によれば、もし赦せないなら、この祈りは歪んでしまいます。神にうそをついているようなものです。
教会における見せかけの一致とは何ですか。
うわべだけの一致のことです。一致しているふりをし、平和を示しているようでも、心の奥には苦々しさ、怒り、恨み、傷があります。最初の弟子たちは心も思いも一つでした(使徒行伝 4:32)。それはうわべだけでなく、内側においてもそうでした。