聖書 — 口語訳 (1955)
マルコによる福音書 9
概要
マルコによる福音書9章は、弟子たちを十字架へと備えさせます。山の上でイエスは姿を変えられ、父の声が、御子に聞けと告げます。山の下では、弟子たちは一人の子を解放することができず、その父親が祈ります。「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。イエスはご自分の死と復活を告げ、偉さについての弟子たちの議論には、仕えることで答えられます。章の終わりは、つまずかせるものと塩についての、きっぱりしたことばです。
この章の5つの区分
1また、彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。神の国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。
2六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、
3その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。
4すると、エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
5ペテロはイエスにむかって言った、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
6そう言ったのは、みんなの者が非常に恐れていたので、ペテロは何を言ってよいか、わからなかったからである。
7すると、雲がわき起って彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。
8彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた。
9一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
10彼らはこの言葉を心にとめ、死人の中からよみがえるとはどういうことかと、互に論じ合った。
11そしてイエスに尋ねた、「なぜ、律法学者たちは、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。
12イエスは言われた、「確かに、エリヤが先にきて、万事を元どおりに改める。しかし、人の子について、彼が多くの苦しみを受け、かつ恥ずかしめられると、書いてあるのはなぜか。
13しかしあなたがたに言っておく、エリヤはすでにきたのだ。そして彼について書いてあるように、人々は自分かってに彼をあしらった」。
14さて、彼らがほかの弟子たちの所にきて見ると、大ぜいの群衆が弟子たちを取り囲み、そして律法学者たちが彼らと論じ合っていた。
15群衆はみな、すぐイエスを見つけて、非常に驚き、駆け寄ってきて、あいさつをした。
16イエスが彼らに、「あなたがたは彼らと何を論じているのか」と尋ねられると、
17群衆のひとりが答えた、「先生、口をきけなくする霊につかれているわたしのむすこを、こちらに連れて参りました。
18霊がこのむすこにとりつきますと、どこででも彼を引き倒し、それから彼はあわを吹き、歯をくいしばり、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」。
19イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまで、あなたがたに我慢ができようか。その子をわたしの所に連れてきなさい」。
20そこで人々は、その子をみもとに連れてきた。霊がイエスを見るや否や、その子をひきつけさせたので、子は地に倒れ、あわを吹きながらころげまわった。
21そこで、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのか」と尋ねられると、父親は答えた、「幼い時からです。
22霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。
23イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。
24その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。
25イエスは群衆が駆け寄って来るのをごらんになって、けがれた霊をしかって言われた、「言うことも聞くこともさせない霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな」。
26すると霊は叫び声をあげ、激しく引きつけさせて出て行った。その子は死人のようになったので、多くの人は、死んだのだと言った。
27しかし、イエスが手を取って起されると、その子は立ち上がった。
28家にはいられたとき、弟子たちはひそかにお尋ねした、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
29すると、イエスは言われた、「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」。
30それから彼らはそこを立ち去り、ガリラヤをとおって行ったが、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
31それは、イエスが弟子たちに教えて、「人の子は人々の手にわたされ、彼らに殺され、殺されてから三日の後によみがえるであろう」と言っておられたからである。
32しかし、彼らはイエスの言われたことを悟らず、また尋ねるのを恐れていた。
33それから彼らはカペナウムにきた。そして家におられるとき、イエスは弟子たちに尋ねられた、「あなたがたは途中で何を論じていたのか」。
34彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一ばん偉いかと、互に論じ合っていたからである。
35そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。
36そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らのまん中に立たせ、それを抱いて言われた。
37「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。
38ヨハネがイエスに言った、「先生、わたしたちについてこない者が、あなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちについてこなかったので、やめさせました」。
39イエスは言われた、「やめさせないがよい。だれでもわたしの名で力あるわざを行いながら、すぐそのあとで、わたしをそしることはできない。
40わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である。
41だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。
42また、わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい。
43もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、片手になって命に入る方がよい。
44〔地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。〕
45もし、あなたの片足が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両足がそろったままで地獄に投げ入れられるよりは、片足で命に入る方がよい。
46〔地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。〕
47もし、あなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出しなさい。両眼がそろったままで地獄に投げ入れられるよりは、片目になって神の国に入る方がよい。
48地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。
49人はすべて火で塩づけられねばならない。
50塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい」。
鍵となる聖句
すると、雲がわき起って彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。
父の声は、イエスをご自分の愛する子と示し、ただ一つの命令を与えます。これに聞け。モーセとエリヤは姿を消し、弟子たちにはイエスだけが見えます。
イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。
イエスは父親の「もしできれば」を取り上げ直されます。問われているのは、イエスの能力ではなく、願う者の信頼です。この言葉は、神に置く信仰の力を語るものであり、保証された公式ではありません。
その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。
正直な祈りです。父親は、自分の信仰と疑いの両方を告白し、その両方への助けを求めます。イエスは、この率直さを責められません。
そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。
イエスは偉さの論理を逆転させます。先頭に立つには、すべての人のしんがりとなり、すべての人に仕える者とならなければなりません。この言葉は、道々の弟子たちの議論に対する答えです。
塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい」。
自分自身の中に塩を持つとは、弟子の生活に味わいを与え、いのちを保つものを持ち続けることです。結びは、偉さについての議論のあと、この比喩を弟子たちの間の平和に結びつけます。
この章に登場する人物
このテーマで祈る
説教が語っていること
マルコによる福音書9章についてよくある質問
マルコ9章の変貌は何を意味しますか
イエスは三人の弟子たちの前で、モーセとエリヤとともに栄光のうちに現れ、父の声が、聞くべき御子としてイエスを示します。六日前、イエスはご自分の死を告げておられました。この場面は弟子たちの信仰を強め、苦しもうとしておられる方がだれであるかを示しています。
「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」とはどういう意味ですか
これは、苦しむ息子を見ている父親の祈りです。彼は信じていますが、疑いと戦っており、それを率直に語ります。イエスは、その子を解放することで答えられます。本文は、不完全な信仰でも、神に向かうなら、神が受け入れてくださることを示しています。
なぜイエスは、この種のものは祈りによらなければ追い出せないと言われるのですか
29節で、イエスは、その子を解放できなかった弟子たちの疑問に答えておられます。祈りに表れる、神への依存へと彼らを向かわせます。写本によっては断食が加えられています。いずれにしても、力は弟子ではなく、神から来ます。
手や足や目についての43節から48節は何を意味しますか
イエスは、神とともにあるいのちを失うほど価値のあるものはないと語るために、わざと衝撃的な言葉を使われます。多くのキリスト者は、これらの言葉を、体を傷つけることの求めではなく、強い比喩と理解しています。つまずかせるものと、ためらわずに断ち切るということです。
マルコによる福音書 9を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。