聖書 — 口語訳 (1955)

ユダの手紙 1

概要

ヤコブの兄弟ユダの手紙は、聖徒たちに一度だけ伝えられた信仰のために戦うようにとの、短い呼びかけです。教会に入り込んだ者たちは、恵みを悪をなす自由に変え、主を否定しています。ユダは旧約聖書からさばきの例を挙げ、偽教師たちの姿を描いたあと、信者に向かって語ります。自分を建て上げなさい、御霊によって祈りなさい、神の愛のうちにとどまりなさい、と。手紙は、あらゆるつまずきから守ることのできるお方への頌栄で終わります。

この章の5つの区分

  1. 1-4節あいさつと、信仰のために戦うようにとの呼びかけ
  2. 5-7節さばきの三つの例:イスラエル、御使いたち、ソドム
  3. 8-16節偽教師たちの姿と、エノクの預言
  4. 17-19節使徒たちが告げていた:あざける者たちが来る
  5. 20-25節神の愛のうちにとどまり、ほかの人を助け、守ってくださるお方に栄光を

1イエス・キリストの僕またヤコブの兄弟であるユダから、父なる神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人々へ。

2あわれみと平安と愛とが、あなたがたに豊かに加わるように。

3愛する者たちよ。わたしたちが共にあずかっている救について、あなたがたに書きおくりたいと心から願っていたので、聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧めるように、手紙をおくる必要を感じるに至った。

4そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。

5あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたい。

6主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。

7ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。

8しかし、これと同じように、これらの人々は、夢に迷わされて肉を汚し、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちをそしっている。

9御使のかしらミカエルは、モーセの死体について悪魔と論じ争った時、相手をののしりさばくことはあえてせず、ただ、「主がおまえを戒めて下さるように」と言っただけであった。

10しかし、この人々は自分が知りもしないことをそしり、また、分別のない動物のように、ただ本能的な知識にあやまられて、自らの滅亡を招いている。

11彼らはわざわいである。彼らはカインの道を行き、利のためにバラムの惑わしに迷い入り、コラのような反逆をして滅んでしまうのである。

12彼らは、あなたがたの愛餐に加わるが、それを汚し、無遠慮に宴会に同席して、自分の腹を肥やしている。彼らは、いわば、風に吹きまわされる水なき雲、実らない枯れ果てて、抜き捨てられた秋の木、

13自分の恥をあわにして出す海の荒波、さまよう星である。彼らには、まっくらなやみが永久に用意されている。

14アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った、「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。

15それは、すべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」。

16彼らは不平をならべ、不満を鳴らす者であり、自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらう者である。

17愛する者たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが予告した言葉を思い出しなさい。

18彼らはあなたがたにこう言った、「終りの時に、あざける者たちがあらわれて、自分の不信心な欲のままに生活するであろう」。

19彼らは分派をつくる者、肉に属する者、御霊を持たない者たちである。

20しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り、

21神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。

22疑いをいだく人々があれば、彼らをあわれみ、

23火の中から引き出して救ってやりなさい。また、そのほかの人たちを、おそれの心をもってあわれみなさい。しかし、肉に汚れた者に対しては、その下着さえも忌みきらいなさい。

24あなたがたを守ってつまずかない者とし、また、その栄光のまえに傷なき者として、喜びのうちに立たせて下さるかた、

25すなわち、わたしたちの救主なる唯一の神に、栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イエス・キリストによって、世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、あるように、アァメン。

鍵となる聖句

3節
愛する者たちよ。わたしたちが共にあずかっている救について、あなたがたに書きおくりたいと心から願っていたので、聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧めるように、手紙をおくる必要を感じるに至った。

ユダは共通の救いについて書きたかったのですが、緊急の事態に迫られて勧めを書くことになりました。信仰のために戦うとは、人と争うことではなく、一度だけ伝えられたものを守ることです。

4節
そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。

危険は内側から来ます。恵みを悪い生き方の言いわけにする人々です。ユダは、口には出さなくても、行いによってキリストを否定しうることを示しています。

14-15節
アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った、「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。 それは、すべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」。

ユダは、主が聖徒たちとともに来てさばきを行うと告げるエノクの預言を引きます。この引用は、ユダが取り上げた古いユダヤの文書に由来します。

20-21節
しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り、 神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。

堅く立つための四つの行動があります。信仰の上に自分を建て上げること、御霊によって祈ること、神の愛のうちにとどまること、主のあわれみを待ち望むことです。これが手紙の実践的な中心です。

24-25節
あなたがたを守ってつまずかない者とし、また、その栄光のまえに傷なき者として、喜びのうちに立たせて下さるかた、 すなわち、わたしたちの救主なる唯一の神に、栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イエス・キリストによって、世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、あるように、アァメン。

手紙は、あらゆるつまずきから守り、御前に責められるところのない者として立たせることのできるお方への賛美で結ばれます。忍耐は、信者の力ではなく神に支えられています。

この章に登場する人物

説教が語っていること

誰に遣わされているのか:召しの四つの隠れた源マレシャル牧師はユダの手紙11節から、召命の四つの出どころを区別します。自分自身、人間、サタン、そして神です。奉仕がどこから来ているかを見分ける目安と、自分が受ける召命についての手がかりを示します。要約を読む →神に仕えること、神を利用しないことマレシャル牧師は、神への奉仕は天から下り、人から人へ受け渡されるものではないと語ります。ユダの手紙11節を引き、利益のために仕える人々への警告とします。要約を読む →終わりの時:携挙と再臨、あなたは違いを説明できますかジャン=クロード・ヴィラは、ユダの手紙14節を引き、教会の携挙と、主が聖徒たちとともに戻ってこられる公の目に見える再臨を区別します。クリスチャンの全員がこの図式で一致しているわけではありません。要約を読む →第二の出エジプト:神は散らされた民を集める散らされた人々の帰還についてのクリスマスのメッセージで、ユダの手紙5節は、主がご自分の民を救い出したあと、信じない者をもさばかれたことを思い起こさせます。救いと真実は、ともにあります。要約を読む →忠実な管理者として生きる(1)タラントのたとえに関して、このメッセージは、ユダを含む信仰の偉人たちが、自らをキリストのしもべと名乗っていたことを思い起こさせます。神の前で自分の立場を認めるとき、主人にすべてをささげることができます。要約を読む →

ユダの手紙1章についてよくある質問

ユダの手紙の中心的なメッセージは何ですか

ユダは信者たちに、恵みを曲げる偽教師たちから、聖徒たちに伝えられた信仰を守るよう呼びかけます。さばきの例で警告したあと、自分を建て上げ、御霊によって祈り、神の愛のうちにとどまり、疑う人々を助けるようにと励まします。

ユダの手紙の著者は誰ですか

著者は、イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟ユダと名乗っています。多くの人はこれをイエスの兄弟と見ており、ここに出てくるヤコブはエルサレム教会の指導者だったとされます。聖書は明言していませんが、この手紙は新約聖書に含まれています。

ユダの手紙3節の、信仰のために戦うとはどういう意味ですか

使徒たちから受けた教えに忠実にとどまり、それをゆがめないということです。ユダは暴力のことを言っているのではありません。戦いは、真理と祈りと、一貫した生き方を通して行われます。信仰は一度だけ伝えられたもので、私たちはそれを守ります。

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