はじめに
「何かがおかしい。」マシュー・グロック(Matthew Glock)は、このメッセージのタイトルを、コーネリアス・プランティンガの著書から借りています。その副題は「罪の祈祷書」とでもいうべきもので、今日における罪の現実について「とても有益で、非常に深い」本だと彼は評価しています。このメッセージは、神の創造と罪がもたらした結果をたどる、創世記の連続説教の一つです。
これを実感するのに、遠くを見る必要はありません。説教者は、前日が「暗い一日」だったと振り返ります。各地で暴力があり、怒りがあり、その背後には多くのものがありました。
創世記4章は、人類史上最初の暴力を語ります。カインが弟アベルを殺す場面です。マシュー・グロックは、失われた楽園、カインの選択、そして恵みと真理をもって行動される神のみわざという、三つの流れで本文をたどります。
メッセージの流れ
1. 失われた楽園
- 創世記の最初の数章は、すべてがあるべき姿にあった調和の世界を描いています。「それは私たちの夢です。」罪が入り込む前のエデンは、そのような状態でした。
- エデンで驚くべきことは、暮らしの素朴さと、アダム、エバ、そして神との近さでした。それは創世記4章にも見られます。カインに語りかけるのは主であり、そこにおられるのも主です。
- 罪はこの調和の世界を打ち砕きました。罪はまず神に向けられます。神がどなたかを疑い、神の善良さを問い、神なしでも生きていけると考えることです。そして神との関係を壊します。
- 創世記3章の堕落のあと、4章は、罪がどのように暴力へと変わり、人生を支配し、ゆがめていくかを示しています。
2. カインの選択:ささげ物の問題
- カインはこの物語の中心人物であり、彼の選択を理解する必要があります。カインは土の実りをささげ物として持ってきました。アベルは群れの初子とその脂肪を持ってきました(3節と4節)。
- ここで使われている言葉は、旧約聖書では一般に、貢ぎ物、贈り物、ささげ物を指します。レビ記では、それは献身のささげ物です。罪のためのいけにえではなく、神との関係の表れです。
- この種のささげ物は、地の産物でも動物でもかまいませんでした。ですから、一方が土の実りを、もう一方が動物をささげたことが問題だったわけではありません。
- ヘブル人への手紙11章4節で鍵を示しています。「信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ」。問われたのはささげ物の種類ではなく、心の姿勢でした。アベルは信仰をもって神のもとに来ました。カインにはその信仰が欠けていました。
3. 罪は戸口で待ち伏せしている
- 神はカインに語りかけ、彼が自分の状況を理解できるよう助けます。「なぜあなたは憤るのか、なぜ顔を伏せるのか。あなたがもし正しい事をしているならば、顔をあげうるはずではないか」(6節と7節)。神は彼に出口を示しておられます。状況は変えられます。もっと良くなれるのです。
- しかし神はこう続けます。「もし正しい事をしていないならば、罪は門口に待ち伏せている。それはあなたを慕い求めるであろう。しかし、あなたはそれを治めなければならない。」とても力強い描写です。獲物に飛びかかる前に、見つからないよう身をひそめる、狩りの構えをしたライオン、あるいは猫の姿です。
- 罪は、最初は隠れていることが多いものです。それが表に噴き出したとき、罪は私たちの内側で生まれたのだということを思い出す必要があります。エバは蛇の言葉に耳を傾け、神から目をそらし、その実に欲望を向けました。食べるという行為は、先に心の中で起きたことの結果にすぎませんでした。
- 説教者はプランティンガの定義を引用します。「罪とは、人の内にあって、人間の思い、言葉、行いを損ない、それらを神に喜ばれないものとし、行った者を罪に定めてしまう力である。」この力は「私たちの怠慢、手落ち、無関心の背後にあり、また、あらゆる種類の暴力や行き過ぎの背後にもある」のです。
- アダムの過ちのゆえに、罪は世界に入り、私たちの心に入りました。罪は戸口にうずくまり、飛びかかる用意をしています。カインの心に起きたのは、まさにそのことでした。
4. 失敗から怒りへ
- カインは失敗を経験しました。自分は正しいことをしていると思っていたのに、神は彼のささげ物を喜んで受け入れられなかったのです。「憤る」と訳された言葉は、原語では怒りに燃えるという意味にまで及びます。
- 「私たちは何度、失敗のために、何かに腹を立てたために、悪を選んできたでしょうか。」私たちをとらえ、悪へと押しやるのは罪です。
- カインの顔は沈んでいます。私たちはこの反応を知っています。叱られた子どもや、傷つけたと友人に告げられたときの反応です。顔はうつむき、悲しみが居座ります。
- 神は言われます。そのような状況にあるとき、罪はすぐそばにいるが、あなたは立ち上がることができる、と。カインはそれを乗り越えられませんでした。いらだち、怒りに燃え、暴力へと進んだのです。
5. カインの道:神から何かを得ようとすること
- 新約聖書の著者たちは、カインの態度を取り上げています。信仰によってささげるとは、「私が神にこれをささげるのは、何かが欲しいからではなく、神が善であり正しい方だと知っているからです」と言うことです。一方のカインは、神から何かを得ようとしていました。
- ヨハネの第一の手紙3章で、使徒は、初めから聞いている教えは互いに愛し合うことだと思い起こさせています。アダム、エバ、兄弟姉妹の関係の中から、人は愛するよう召されていることを知っていました。カインはそうではありませんでした。「カインのようになってはならない。彼は悪しき者から出た人で、兄弟を殺した。なぜ兄弟を殺したのか。彼自身の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからである。」
- その背後には、ほかのどんな嘘にもまさる、悪魔の大きな嘘があります。「神はあなたのことを気にかけたくないのだ。神はあなたの味方ではない。だからあなたは、すべてを自分ひとりでやらなければならない。」
- カインは、神に影響を与え、神の態度を変えられると期待していました。「そして、それはいつの時代も宗教的な人々の態度です。」フィリップ・ライケン(Philip Ryken)は創世記1章から11章の注解書で、新約聖書において「カインの道」とは、自分の努力だけで神の恵みを得られると教える、律法主義的な宗教者たちの道を指すと書いています。
- 弟をねたんだカインは、助けを求めて神に向かうことをしませんでした。そのいらだちを、燃えるような怒りになるまで抱え込み、弟を殺しました。この暴力は世代から世代へと繰り返されます。七世代後、レメクは、カインのための復讐が七倍ならば、自分のためには七十七倍だと宣言しています。
6. 恵みと真理
- さらに大切なのは、神がどのように行動されるかを見ることです。3章のときと同じように、神は怒りや力ではなく、問いかけをもって来られます。「なぜ憤るのか。」そして「あなたの弟アベルは、どこにいますか。」
- 神は何が起きたかをご存じです。目の前の相手に、真実を語り、告白し、悔い改める機会を与えようとされるのです。カインは、世代を超えて響く答えを返します。「知りません。わたしが弟の番人でしょうか。」
- 神は真実を告げます。アベルがどこにいるかを知っておられ、彼は死に、その血が流されたのです。カインはのろわれ、弟の血を飲んだ土地から追い出され、地上をさまよい歩く者となります。家族と神との交わりの中にいるはずが、追い出されるのです。神は罪を裁きなしに見過ごされません。
- 同時に、神は恵みに満ちた方であり、人と世界の回復のために絶えず働いておられます。旧約聖書は、神が打ち立てる系譜をたどります。アダム、セツ、ノア、アブラハム、ダビデ、そしてイエス・キリストへと続きます。エバに与えられた、その子孫が蛇の頭を踏み砕くという約束は続いていきます。章の終わりで、アダムとエバはもう一人の息子セツを授かり、セツがアベルに代わる者となります。
- 「神は戒めるときも、穏やかにそうされます。罰するときも、私たちの益のためにそうされます。」ローマ人への手紙2章4節はこう語ります。神のいつくしみは、私たちを悔い改めに導くのです。そのいつくしみが、カインを別の道へ進ませようとしていました。しかし、彼はそうしませんでした。
7. 恵みと真理に満ちたキリストを仰ぐ
- 今日、この招きはその場にいる一人ひとりに向けられていますが、態度を改める必要のあるこの国にも向けられています。罪の赦しと新しいいのちの申し出が、ここにあります。
- 福音を宣べ伝えるべき時です。神は裁きの日を定めておられるからです。その日、心の姿勢が明らかにされ、神が正しくないと言える人は一人もいなくなります。「この真理を告げ知らせるために、ともに働きましょう。」
- ヨハネによる福音書1章14節から18節は、イエスご自身が恵みと真理であると示しています。言は肉となり、恵みとまことに満ちており、「恵とまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。」
- この恵みと真理を見るには、キリストを仰ぎ見るだけで十分です。キリストは、私たちの罪の代価を支払い、神との関係を回復するために来られました。神は私たちとの交わりを望んでおられます。
- 神は私たちに、イエス・キリストに「はい」と言う機会を与えてくださいます。罪が私の心をとらえてしまい、自分では何もできません。けれども私は、私のすべての罪を負い、死と悪魔の力に勝利されたキリストを仰ぎます。私は解き放たれ、今日からキリストのために生きることができるのです。
心に留めたいポイント
- 罪はまず神に向けられます。神の善良さを疑わせ、神との関係を壊し、やがて私たちの人間関係をゆがめて、暴力にまで至らせます。
- 神が見ておられたのは、ささげ物の種類ではなく、心の信仰でした。アベルは信仰によってささげ、カインは神から何かを得ようとしました。
- 罪は隠れたところで生まれ、私たちの心の戸口にうずくまっています。失敗やいらだちが罪に扉を開くことがありますが、神は言われます。「あなたはそれを治めなければならない」と。
- 神は問いかけをもって来られ、私たちを告白へと導きます。罪についての真実を告げながらも、恵みに満ちた方であり続けます。
- 恵みと真理には顔があります。私たちの罪の代価を支払い、神との関係を回復するために来られたイエス・キリストです。
個人への適用
- 最近の失敗やいらだちを、神に助けを求めて向かう代わりに、自分の中で大きくしてしまっていませんか。
- 神とともに歩む中で、あなたは神が善であり正しい方だと知っているからささげていますか。それとも、神から何かを得るためですか。
- 今日、あなたの心の戸口に隠れている罪は何でしょうか。それを治めるために、どのように始められますか。
- もし神が「あなたの弟は、どこにいますか」とあなたに尋ねられたら、まず思い浮かぶのはどの人との関係でしょうか。
- 恵みと真理に満ちたイエス・キリストに、すでに「はい」と答えましたか。今週、キリストを仰ぎ見るとは、あなたにとってどういうことでしょうか。
引用された聖書箇所
- 創世記4章
- 創世記3章15節
- レビ記2章
- ヘブル人への手紙11章4節
- ヨハネの第一の手紙3章11-12節
- ユダの手紙1章11節
- ローマ人への手紙2章4節
- 使徒行伝17章31節
- ヨハネによる福音書1章14-18節
よくある質問
なぜ神はアベルのささげ物を受け入れ、カインのささげ物は受け入れなかったのですか。
マシュー・グロックによれば、問題はささげ物の種類ではありません。レビ記では、献身のささげ物は動物だけでなく、地の産物でもかまいませんでした。ヘブル人への手紙11章4節が鍵を示しています。アベルは信仰によってささげたのです。一方のカインは、神から何かを得ようとしていました。違いを生んだのは、心の姿勢でした。
創世記4章7節の「罪は戸口で待ち伏せしている」とはどういう意味ですか。
この表現は、獲物に飛びかかる前に身を隠し、狩りの構えでうずくまるライオン、あるいは猫を思わせます。罪は多くの場合、最初は心の内に隠れていて、やがて表に噴き出します。しかし神はカインにこうも語っています。「あなたはそれを治めなければならない」と。
神はアベルの殺害にどのように応えられましたか。
神は「あなたの弟は、どこにいますか」という問いかけをもって来られます。知りたいからではなく、カインに告白する機会を与えるためです。神は真実を告げ、裁きを宣告されますが、恵みに満ちた方であり続けます。アダムとエバにセツを与え、約束の系譜を、恵みと真理に満ちたイエス・キリストへと続けていかれるのです。