聖書 — 口語訳 (1955)

ヨハネによる福音書 15

概要

ヨハネの福音書15章で、イエスは十字架の前夜に弟子たちに語りかけます。イエスはまことのぶどうの木、父は農夫、弟子たちは枝です。メッセージは一つの動詞に集約されます。とどまることです。イエスから離れた枝は何もできず、結ばれた枝は多くの実を結びます。イエスはこの結びつきを、従順、喜び、愛に結びつけ、わたしがあなたがたを愛したように互いに愛し合いなさいと言います。弟子たちを友と呼び、世が憎むと予告し、証しをする真理の御霊を約束されます。

この章の5つの区分

  1. 1-8節ぶどうの木、枝、そして実
  2. 9-11節イエスの愛にとどまる
  3. 12-17節わたしがあなたがたを愛したように愛し合う:選ばれた友
  4. 18-25節世の憎しみ
  5. 26-27節真理の御霊が証しする

1わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

2わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。

3あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。

4わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。

5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

6人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。

7あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

8あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。

9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。

10もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。

11わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。

12わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

13人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

14あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

15わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。

16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。

17これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。

18もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。

19もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。

20わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。また、もし彼らがわたしの言葉を守っていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう。

21彼らはわたしの名のゆえに、あなたがたに対してすべてそれらのことをするであろう。それは、わたしをつかわされたかたを彼らが知らないからである。

22もしわたしがきて彼らに語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし今となっては、彼らには、その罪について言いのがれる道がない。

23わたしを憎む者は、わたしの父をも憎む。

24もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを、わたしが彼らの間でしなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし事実、彼らはわたしとわたしの父とを見て、憎んだのである。

25それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。

26わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。

27あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。

鍵となる聖句

1-2節
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。

イエスは自分をまことのぶどうの木、父を農夫と言います。実を結ばない枝は取り除かれ、実を結ぶ枝はもっと豊かに結ぶように刈り込まれます。この箇所は、期待される実りについて真剣に語っています。

5節
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

章の中心です。イエスを離れては、私たちは何もできません。実は外からの努力ではなく、イエスとの生きた結びつきから生まれます。

9節
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。

イエスは、御自分の愛にとどまるよう招きます。その愛は、父がイエスを愛される愛にたとえられています。とどまるとは、行動する前に、まずこの愛を受けることから始まります。

12-13節
わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

イエスの戒めは、イエスが愛してくださったように互いに愛し合うことです。その愛の大きさは、友のために命を捨てることだと示されます。

16節
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。

選びはイエスから出ています。弟子たちは、出て行って、いつまでも残る実を結ぶように立てられ、その祈りはイエスの名によって聞かれます。

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説教が語っていること

ヨハネによる福音書15章についてよくある質問

ヨハネ15章の、イエスにとどまるとはどういう意味ですか。

とどまるとは、枝がぶどうの木につながっているように、イエスと結ばれていることです。みことばを聞き、語りかけ、従い、イエスの愛によって生きることです。まず努力ではなく、日々の関係です。イエスは、すべての実はこの結びつきから生まれると言われます。

ヨハネ15章の実は何を表していますか。

本文は、実を愛、従順、喜び、祈りへの答えと結びつけています。キリスト者はそこに、造り変えられた品性や、信仰に導かれる人々を加えることも多いです。章の強調は、実は個人の功績ではなく、キリストとの結びつきの結果だということです。

2節の、取り除かれる枝とは何ですか。

キリスト教の伝統によって解釈は分かれます。キリストから離れていく信者への警告と見る人もいれば、ユダのように、本当の信仰がないままつながっているように見える人々の姿と見る人もいます。どの立場も、イエスにとどまるようにという呼びかけでは一致しています。

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