聖書 — 口語訳 (1955)

ヨハネによる福音書 18

概要

ヨハネによる福音書18章は、受難の物語の幕開けです。イエスは自ら園に入り、捕えに来た人々に身を委ね、弟子たちを守られます。アンナスとカヤパのもとで尋問されている間に、ペテロはイエスを三度否認します。朝になるとイエスはピラトの前に立ち、ピラトはイエスに何の罪も見いだしません。章の中心で、イエスは、わたしの国はこの世のものではなく、真理についてあかしをするために来たと語られます。それでも群衆はバラバを選びます。

この章の6つの区分

  1. 1-11節園で:イエスは身を委ね、ご自分の者たちを守られる
  2. 12-14節イエスは縛られ、アンナスのもとへ連れて行かれる
  3. 15-18節ペテロが主を初めて否認する
  4. 19-27節大祭司のもとでの尋問とペテロの否認
  5. 28-38節ピラトの前で:この世のものではない国
  6. 39-40節群衆はバラバを選ぶ

1イエスはこれらのことを語り終えて、弟子たちと一緒にケデロンの谷の向こうへ行かれた。そこには園があって、イエスは弟子たちと一緒にその中にはいられた。

2イエスを裏切ったユダは、その所をよく知っていた。イエスと弟子たちとがたびたびそこで集まったことがあるからである。

3さてユダは、一隊の兵卒と祭司長やパリサイ人たちの送った下役どもを引き連れ、たいまつやあかりや武器を持って、そこへやってきた。

4しかしイエスは、自分の身に起ろうとすることをことごとく承知しておられ、進み出て彼らに言われた、「だれを捜しているのか」。

5彼らは「ナザレのイエスを」と答えた。イエスは彼らに言われた、「わたしが、それである」。イエスを裏切ったユダも、彼らと一緒に立っていた。

6イエスが彼らに「わたしが、それである」と言われたとき、彼らはうしろに引きさがって地に倒れた。

7そこでまた彼らに、「だれを捜しているのか」とお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスを」と言った。

8イエスは答えられた、「わたしがそれであると、言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人たちを去らせてもらいたい」。

9それは、「あなたが与えて下さった人たちの中のひとりも、わたしは失わなかった」とイエスの言われた言葉が、成就するためである。

10シモン・ペテロは剣を持っていたが、それを抜いて、大祭司の僕に切りかかり、その右の耳を切り落した。その僕の名はマルコスであった。

11すると、イエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」。

12それから一隊の兵卒やその千卒長やユダヤ人の下役どもが、イエスを捕え、縛りあげて、

13まずアンナスのところに引き連れて行った。彼はその年の大祭司カヤパのしゅうとであった。

14カヤパは前に、ひとりの人が民のために死ぬのはよいことだと、ユダヤ人に助言した者であった。

15シモン・ペテロともうひとりの弟子とが、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いであったので、イエスと一緒に大祭司の中庭にはいった。

16しかし、ペテロは外で戸口に立っていた。すると大祭司の知り合いであるその弟子が、外に出て行って門番の女に話し、ペテロを内に入れてやった。

17すると、この門番の女がペテロに言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではありませんか」。ペテロは「いや、そうではない」と答えた。

18僕や下役どもは、寒い時であったので、炭火をおこし、そこに立ってあたっていた。ペテロもまた彼らに交じり、立ってあたっていた。

19大祭司はイエスに、弟子たちのことやイエスの教のことを尋ねた。

20イエスは答えられた、「わたしはこの世に対して公然と語ってきた。すべてのユダヤ人が集まる会堂や宮で、いつも教えていた。何事も隠れて語ったことはない。

21なぜ、わたしに尋ねるのか。わたしが彼らに語ったことは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。わたしの言ったことは、彼らが知っているのだから」。

22イエスがこう言われると、そこに立っていた下役のひとりが、「大祭司にむかって、そのような答をするのか」と言って、平手でイエスを打った。

23イエスは答えられた、「もしわたしが何か悪いことを言ったのなら、その悪い理由を言いなさい。しかし、正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか」。

24それからアンナスは、イエスを縛ったまま大祭司カヤパのところへ送った。

25シモン・ペテロは、立って火にあたっていた。すると人々が彼に言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではないか」。彼はそれをうち消して、「いや、そうではない」と言った。

26大祭司の僕のひとりで、ペテロに耳を切りおとされた人の親族の者が言った、「あなたが園であの人と一緒にいるのを、わたしは見たではないか」。

27ペテロはまたそれを打ち消した。するとすぐに、鶏が鳴いた。

28それから人々は、イエスをカヤパのところから官邸につれて行った。時は夜明けであった。彼らは、けがれを受けないで過越の食事ができるように、官邸にはいらなかった。

29そこで、ピラトは彼らのところに出てきて言った、「あなたがたは、この人に対してどんな訴えを起すのか」。

30彼らはピラトに答えて言った、「もしこの人が悪事をはたらかなかったなら、あなたに引き渡すようなことはしなかったでしょう」。

31そこでピラトは彼らに言った、「あなたがたは彼を引き取って、自分たちの律法でさばくがよい」。ユダヤ人らは彼に言った、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」。

32これは、ご自身がどんな死にかたをしようとしているかを示すために言われたイエスの言葉が、成就するためである。

33さて、ピラトはまた官邸にはいり、イエスを呼び出して言った、「あなたは、ユダヤ人の王であるか」。

34イエスは答えられた、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか」。

35ピラトは答えた、「わたしはユダヤ人なのか。あなたの同族や祭司長たちが、あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは、いったい、何をしたのか」。

36イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。

37そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」

38ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。こう言って、彼はまたユダヤ人の所に出て行き、彼らに言った、「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。

39過越の時には、わたしがあなたがたのために、ひとりの人を許してやるのが、あなたがたのしきたりになっている。ついては、あなたがたは、このユダヤ人の王を許してもらいたいのか」。

40すると彼らは、また叫んで「その人ではなく、バラバを」と言った。このバラバは強盗であった。

鍵となる聖句

5-6節
彼らは「ナザレのイエスを」と答えた。イエスは彼らに言われた、「わたしが、それである」。イエスを裏切ったユダも、彼らと一緒に立っていた。 イエスが彼らに「わたしが、それである」と言われたとき、彼らはうしろに引きさがって地に倒れた。

イエスが「わたしが、それである」と答えると、捕えに来た人々はうしろに引きさがって倒れます。この場面は、捕えられるときでさえイエスの言葉に権威があることを示しています。だれもイエスのいのちを奪うことはできません。イエスがご自分でいのちを与えられるのです。

11節
すると、イエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」。

イエスは剣を抜いたペテロをいさめます。十字架をただ受けるのではなく、父が与えてくださった杯として、自ら進んで受け入れられます。

36節
イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。

イエスは王であることを否定せず、その国の性質を示されます。武力で押し通す国でも、この世の権力から来る国でもありません。クリスチャンはここから、力の用い方や社会への関わり方について、さまざまな適用を引き出しています。

37-38節
そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」 ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。こう言って、彼はまたユダヤ人の所に出て行き、彼らに言った、「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。

イエスは真理についてあかしをするために来たと語り、ピラトは有名な問いで答えます。この福音書で真理は抽象的な考えではなく、ピラトの目の前に立っておられる方です。

この章に登場する人物

説教が語っていること

守ることと縛ること、その違いこのメッセージは、ゲツセマネの園で剣を抜くペテロから始まります。真実な愛が支配や人を傷つける言葉に変わりうることを示し、知恵をもって大切な人を守るよう勧めます。要約を読む →人生を改める:信仰を成長させる真理の力メッセージはゲツセマネで終わります。ペテロがマルコスの耳を切り落とすと、イエスは壊れたものを癒やされました。最後まで愛し、いやしてくださる主の姿が語られます。要約を読む →title説教者は36節のピラトへのイエスの答えを引用し、新しい契約の霊的な御国と、国境と軍隊をもつ古い契約のイスラエルを区別します。要約を読む →神が求める男性像:支配者ではなく仕える指導者、家族の拠り所としてサミュエル・ペーターシュミットは、イエスを模範として示します。捕えに来た人々の前で、イエスは自分が何者かを知っておられました。明確な自己理解があってこそ、家庭の中で踏みとどまることができます。要約を読む →マタイによる福音書6章:御国が来ますように、神の国に向かって走るブレンダン・ホワイトは、ピラトへのイエスの宣言を取り上げ、神の国があらゆるこの世の権力を超えていること、そしてまず神の国を求めるべきことを語ります。要約を読む →

ヨハネによる福音書18章についてよくある質問

「わたしの国はこの世のものではない」(ヨハネ18:36)とはどういう意味ですか。

イエスは、王であるかと問うピラトにこう答えられました。イエスの国は人間の権力から出たものではなく、武力で守られるものでもありません。だからこそ、イエスに従う者たちは戦わなかったのです。これはイエスの支配が地上に及ばないという意味ではなく、信仰によって人の心の中から始まるということです。政治や力についての結論は、クリスチャンの間でさまざまです。

ヨハネによる福音書18章の中心的なメッセージは何ですか。

ヨハネ18章は、イエスが自ら進んで、すべてを掌握したまま十字架へ向かわれたことを示しています。イエスは弟子たちを守るために身を委ね、暴力を退け、教えについて何も隠さず、真理についてあかしをするために来た王としてピラトの前に立たれます。その一方で、ペテロの恐れ、指導者たちの敵意、バラバを選んだ群衆の姿は、人の心の状態をあらわにします。

ヨハネ18章でペテロはなぜイエスを否認したのですか。

園で剣を抜いたペテロは、大祭司の中庭でひとりきりになります。炭火のそばで問われると、恐れのあまり、三度までも弟子ではないと言い、ついに鶏が鳴きます。この記述はペテロを弁護しませんが、誠実な信仰者の弱さを示しています。福音書の続きは、ペテロが赦され、立ち直らされたことを伝えています。

ヨハネによる福音書 18を引用している記事

← すべての章

口語訳(1955年)— パブリックドメイン。