聖書 — 口語訳 (1955)

詩篇 37

概要

詩篇37篇は、ダビデが年を重ねてから書いた知恵の詩です。なぜ悪しき者が栄えるように見えるのかという、古くからの問いに答えます。その答えは、いくつかの命令に集約されます。腹を立てるな、主に信頼せよ、主をおのれの喜びとせよ、道を主にゆだねよ、静かに主を待て。詩篇は、正しい者は見捨てられず、悪しき者は過ぎ去ると約束します。ねたみ、怒り、焦りの誘惑にある人に向けた詩篇です。

表題はこの詩篇をダビデの作とし、25節では、若かったがいま老いたという人が語っています。特定の状況は記されていません。これは知恵の詩篇で、祈りというより箴言の書に近く、神にではなく読者に語りかけます。弟子に助言する賢者のようです。ヘブル語では、各連(多くは二節ごと)がアルファベットの文字で順に始まる、いわゆるアルファベット詩になっています。詩篇73篇も取り上げる問い、つまりなぜ悪しき者が栄えるのかという問いに答え、ねたみではなく信頼と忍耐を勧めます。国を継ぐという約束は、その文脈の中で読むものです。人生を長い目で見る知恵であり、イエスも山上の説教でそれを受け継がれました。今日、不正やねたみや待つ時期のただ中で、この詩篇を黙想する人は多くいます。

この章の4つの区分

  1. 1-8節腹を立てるな:信頼し、主をおのれの喜びとし、待て
  2. 9-20節悪しき者は過ぎ去り、正しい者は守られる
  3. 21-31節正しい人の歩みは主によって堅くされる
  4. 32-40節主を待ち望め:正しい者の救いは主から来る

1悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。

2彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。

3主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。

4主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。

5あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、

6あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。

7主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。

8怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。

9悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。

10悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。

11しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。

12悪しき者は正しい者にむかって はかりごとをめぐらし、これにむかって歯がみする。

13しかし主は悪しき者を笑われる、彼の日の来るのを見られるからである。

14悪しき者はつるぎを抜き、弓を張って、貧しい者と乏しい者とを倒し、直く歩む者を殺そうとする。

15しかしそのつるぎはおのが胸を刺し、その弓は折られる。

16正しい人の持ち物の少ないのは、多くの悪しきの者の豊かなのにまさる。

17悪しき者の腕は折られるが、主は正しい者を助けささえられるからである。

18主は全き者のもろもろの日を知られる。彼らの嗣業はとこしえに続く。

19彼らは災の時にも恥をこうむらず、ききんの日にも飽き足りる。

20しかし、悪しき者は滅び、主の敵は牧場の栄えの枯れるように消え、煙のように消えうせる。

21悪しき者は物を借りて返すことをしない。しかし正しい人は寛大で、施し与える。

22主に祝福された者は国を継ぎ、主にのろわれた者は断ち滅ぼされる。

23人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。

24たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない、主がその手を助けささえられるからである。

25わたしは、むかし年若かった時も、年老いた今も、正しい人が捨てられ、あるいはその子孫が 食物を請いあるくのを見たことがない。

26正しい人は常に寛大で、物を貸し与え、その子孫は祝福を得る。

27悪をさけて、善を行え。そうすれば、あなたはとこしえに住むことができる。

28主は公義を愛し、その聖徒を見捨てられないからである。正しい者はとこしえに助け守られる。しかし、悪しき者の子孫は断ち滅ぼされる。

29正しい者は国を継ぎ、とこしえにその中に住むことができる。

30正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を述べる。

31その心には神のおきてがあり、その歩みはすべることがない。

32悪しき者は正しい人をうかがい、これを殺そうとはかる。

33主は正しい人を悪しき者の手にゆだねられない、またさばかれる時、これを罪に定められることはない。

34主を待ち望め、その道を守れ。そうすれば、主はあなたを上げて、国を継がせられる。あなたは悪しき者の 断ち滅ぼされるのを見るであろう。

35わたしは悪しき者が勝ち誇って、レバノンの香柏のようにそびえたつのを見た。

36しかし、わたしが通り過ぎると、見よ、彼はいなかった。わたしは彼を尋ねたけれども見つからなかった。

37全き人に目をそそぎ、直き人を見よ。おだやかな人には子孫がある。

38しかし罪を犯す者どもは共に滅ぼされ、悪しき者の子孫は断たれる。

39正しい人の救は主から出る。主は彼らの悩みの時の避け所である。

40主は彼らを助け、彼らを解き放ち、彼らを悪しき者どもから解き放って救われる。彼らは主に寄り頼むからである。

詩篇37篇を節ごとに読む

1-2節心を悩ますな:悪しき者の成功は長続きしない

詩篇は二つの命令で始まります。「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。」多くの詩篇とは違い、神にではなく読者に語りかけます。年下の者に助言する賢者のようです。問題は確かに現実です。ごまかし、踏みつけ、嘘をつく人のほうが、うまくいくように見えることがよくあります。そこから、内側をむしばむいら立ちと、他人の持つものを欲しがるねたみが生まれます。2節は、それに引き込まれない理由を示します。彼らの成功は東方の太陽の下の草のようで、ある日は青々としていても、まもなくしおれます。詩篇は不正を否定しません。今この瞬間とは別の地平から、それを見るよう招いています。

3-6節主に信頼し、主をおのれの喜びとし、道をゆだねる

怒りやいら立ちの代わりに、詩篇は別の生き方を示します。主に信頼して善を行うこと。信頼は、正しく歩むことを免除しません。この国に住んで安きを得るとは、神が置かれた場所にとどまり、人と比べず、神の真実に養われて安らぐことです。「主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。」主をおのれの喜びとするとは、神ご自身に喜びを見いだすことです。これは白紙の小切手ではなく、神が喜びとなるとき、願いそのものが変えられていきます。道を主にゆだねるとは、重荷を主の上に転がすことです。自分で制御できないことを渡せば、主が働かれます。6節は、あなたの義が光のように明らかにされると告げます。不当に責められても、休みなく弁明しなくてよいのです。主がご自身の時に、あなたの正しさを示されます。

7-11節黙して待ち、怒りを捨てる:もうしばらくのこと

「主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。」この沈黙はあきらめではなく、慌てることも思い悩むことも手放した、信頼に満ちた待望です。詩篇は再び「心を悩ますな」と言い、怒りをやめ、憤りを捨てよと加えます。不正への怒りは理解できますが、抱え続けると、8節のとおり、ただ悪を行うに至るのみです。10節は尺度を変えます。「悪しき者はただしばらくで、うせ去る。」今は果てしなく見えることも、神の目には短いのです。11節は、柔和な者が国を継ぎ、豊かな繁栄を楽しむと告げます。イエスは山上の説教でこの約束を取り上げ、さらに広げられました。忍耐は時間の無駄ではなく、神に頼る人の歩む道です。

12-15節悪しき者のはかりごとは、自分に返ってくる

詩篇は悪しき者の暴力を描きます。正しい者にむかってはかりごとをめぐらし、歯がみし、つるぎを抜き、弓を張って、貧しい者と乏しい者とを倒そうとします。狙われるのは、身を守るすべのない最も弱い人々です。それに対して、驚くべき言葉があります。「主は悪しき者を笑われる」。この笑いは残酷なあざけりではなく、脅かされることのない方の落ち着きで、主は彼の日の来るのを見ておられます。15節は逆転を示します。そのつるぎはおのが胸を刺し、その弓は折られます。悪はしばしば、それを行った者自身を傷つけます。この箇所は、あなたが不正を一度も受けないとは約束しません。力ある者も神の手の届かない所にはおらず、最後の言葉は神にあることを思い出させます。

16-20節正しい人のわずかなものは、悪しき者の豊かさにまさる

「正しい人の持ち物の少ないのは、多くの悪しきの者の豊かなのにまさる。」この節は、成功の測り方を逆転させます。正しく生きて得たわずかなものは、不正の上に築いた財産にまさります。確かな支えの上にあるからで、主は正しい者を助けささえられます。18節は、主が全き者のもろもろの日を知っておられると言います。あなたの人生は、よい日も悪い日も、主の目から離れません。19節は、正しい人が災いやききんを知らないとは言わず、そのときにも恥をこうむらず、飽き足りると言います。困難のただ中でも神はともにおられます。悪しき者は牧場の栄えのように枯れ、煙のように消えうせます。この箇所は、豊かなときも乏しいときも満ち足りることを学んだ使徒パウロの、足ることを知る心を育てます。

21-26節正しい人は施し与え、主はその歩みを定めて起こされる

お金に対する二つの態度が対比されます。「悪しき者は物を借りて返すことをしない。しかし正しい人は寛大で、施し与える。」寛大さは正しい人のしるしで、26節にも出てきます。続く二つの節は、とくに愛されています。人の歩みは主によって定められ、倒れても全く打ち伏せられることはありません。主がその手を支えられるからです。約束は倒れないことではなく、起こしてくださる御手です。25節は老いた人の証しで、若いときも年老いた今も、正しい人が捨てられるのを見たことがないと語ります。これは例外のない規則ではなく知恵の言葉で、聖書には飢えを知った忠実な信者もいます。26節が手がかりです。正しい人は貸し与えます。神は、しばしば信じる人々の寛大さを通して、乏しい人を養われます。

27-31節神のおきてを心に抱いて、善を行う

「悪をさけて、善を行え。」詩篇の知恵は具体的です。悪を避けるだけでは足りず、善を行わなければなりません。その理由は神の真実にあります。主は公義を愛し、その聖徒を見捨てられません。29節は国の約束を繰り返し、クリスチャンはそれが、聖書の終わりに告げられる新しい創造において完全に実現すると見ています。30節と31節は正しい人の姿を描きます。その口は知恵を語り、その舌は公義を述べ、何より「その心には神のおきてがあり、その歩みはすべることがない」とあります。正しさは外からの強制ではなく、み言葉に満たされた心から生まれます。預言者エレミヤは、神が律法を人々の心に書き記す新しい契約を告げました。正しい人は内なる羅針盤とともに歩むので、すべらないのです。

32-36節悪しき者は正しい人をうかがうが、その勢いは過ぎ去る

悪しき者は正しい人をうかがい、殺そうとはかります。詩篇は、正しく生きることが敵意を招くことを隠しません。しかし主は、正しい人を悪しき者の手にゆだねられず、さばかれるときにも罪に定められません。人の裁きが誤ることがあっても、神の判決が最後です。34節は求められる態度をまとめます。「主を待ち望め、その道を守れ。」待ち望むことと道を守ることは一つで、待つことは受け身ではありません。続いて賢者は思い出を語ります。悪しき者が勝ち誇り、レバノンの香柏のようにそびえ立つのを見た。だが通り過ぎると、彼はいなかった。揺るがないと思えた地位や帝国も、そのように消えました。力ある者に押しつぶされそうなときも、その支配は永遠ではなく、永遠なのは神だけだと、この箇所は教えます。

37-40節正しい人の救いは主から出る:主こそ避け所

詩篇は、見るようにという招きで終わります。「全き人に目をそそぎ、直き人を見よ。」初めのように悪しき者の成功を見るのではなく、読者は正しい人を見つめるよう呼ばれます。おだやかな人には子孫、つまり未来があり、罪を犯す者どもは共に滅ぼされます。最後の二つの節が、詩篇全体の鍵です。「正しい人の救は主から出る。」正しい人は、自分の力や完全さで救われるのではありません。主に寄り頼むので、主が助け、解き放ち、救われます。福音の光のもとでは、正しい人とはまず、神に信頼し、イエス・キリストにある恵みによって生きる人です。詩篇は悩みのない人生を約束せず、悩みの時の避け所となる方を約束しています。

詩篇37篇の祈り方

この詩篇を祈るとき

  • 不誠実な同僚が、あなたの望んでいた昇進を手にしたとき。
  • 不正への怒りが頭の中で巡り続け、眠れないとき。
  • 他の人と自分を比べて、ねたみが心に住みつきそうなとき。
  • 不当に責められ、うまく弁明できないとき。
  • お金に困っている時期に、将来を神にゆだねたいとき。
  • 失敗して倒れたあと、神に手を取って起こしていただく必要があるとき。

詩篇37篇に基づく祈り

主よ、あなたは私の周りで起きていることを見ておられます。ごまかす人々が成功しているように見え、私の中にいら立ちとねたみが込み上げます。あなたの真実よりも彼らの成功を見つめてしまったことを赦してください。今日、私はあなたに信頼し、何の得にならなくても善を行うことを選びます。あなたが私の喜びとなってください。期待していることより先に、あなたに喜びを見いだせるようにし、私の心の願いを造り変えてください。私の道を、自分では制御できないすべてのこと、仕事も家族も将来も、あなたにゆだねます。あなたのやり方で、あなたの時に、働いてください。あなたの前で黙ること、そして怒りをやめることを教えてください。怒りは私を悪へ押しやるからです。倒れるときは、私の手を取ってください。私の歩みを堅くし、あなたのおきてを私の心に置いてください。私は自分の義に頼りません。私の救いは、イエス・キリストにあって、あなたから来ます。悩みの時の避け所となり、あなたを待ち望む者の平安を与えてください。アーメン。

鍵となる聖句

4節
主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。

主をおのれの喜びとすることは、願いをかなえるのではなく、心の願いを変えます。この節は、望みの目録を約束するのではなく、望むものを方向づける関係を約束します。

5節
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、

道を主にゆだねるとは、人生の舵取りを主に渡し、主に働いていただくことです。ヘブル語は、重荷を主の上に転がすことを示唆します。

7節
主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。

神の前で沈黙することは、待つ姿勢です。慌てることも、成功している人と比べることも拒みます。

24節
たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない、主がその手を助けささえられるからである。

正しい人は倒れることがあっても、打ち捨てられはしません。主がその手を支えてくださるからです。約束は倒れないことではなく、神が起こしてくださることです。

このテーマで祈る

説教が語っていること

詩篇37篇についてよくある質問

詩篇37篇はどんな意味ですか

詩篇37篇は、悪しき者に腹を立てたり、ねたんだりしないように信仰者を招きます。その成功は一時的だからです。主に信頼し、善を行い、待ち、静かにしているよう求めます。神は正しい者を支え、倒れたときは起こし、悪しき者は長く続かないと約束しています。

主をおのれの喜びとするとはどういう意味ですか

4節のこの表現は、神が与えるものよりも、神ご自身に喜びを見いだすことを語っています。神が喜びの源となるとき、心の願いが変えられます。この節は、望むものがすべて得られる保証ではなく、望むものを方向づける関係への招きです。

詩篇37篇は誰が、いつ書いたのですか

表題はダビデの作としています。25節は、若かったがいま老いたという人について語っており、人生の終わりに近い頃、神の真実の体験をもって書いたことを思わせます。これは知恵の詩篇で、節がヘブル語のアルファベットの順に続く詩として構成されています。

詩篇37篇はどのように祈り、黙想すればよいですか

一日に一節選びます。たとえば5節です。主にゆだねたいことを書き出し、求めることなく数分間、静かに祈ります。ねたみや怒りが戻ってきたら、8節の、怒りをやめよ、をくり返してください。この詩篇は、特に待つ時期と、人と比べてしまう時期に役立ちます。

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