はじめに
金魚の集中力は9秒だと言われています。エディンバラのシャーロット・チャペルの主任牧師ポール・リースは、それをどうやって証明できたのかは分からないと認めつつ、ソーシャルメディアを使えば使うほど私たちの集中力は金魚に近づいていくと指摘します。ペテロの第一の手紙について約24回の説教を重ねた今、問いかけてみる価値があります。私たちは何を覚えているでしょうか。この手紙は何について書かれているのでしょうか。
牧師はかつて、聖書は大きなゴルフバッグに入ったクラブのようなものだと教わったそうです。聖書を教える人、日曜学校の教師や家庭集会のリーダーは、それぞれの書がどんな種類のクラブなのかを知っていて、人生の場面ごとにいつそれを取り出すべきかを分かっていなければなりません。では、ペテロの第一の手紙はどんなクラブでしょうか。
このシリーズ最後のメッセージで、牧師は手紙の結びに目を向けます。そこではペテロ自身が、書いてきたことを要約しています(ペテロの第一の手紙5章12〜14節)。牧師はそこから二つの柱、つまりペテロが証ししていることと勧めていることを取り上げ、一つの呼びかけにまとめます。それは、神の真の恵みの中にしっかり立ちなさい、ということです。
メッセージの流れ
1. シルワノと手紙の目的
- ペテロは、信頼する忠実な兄弟シルワノを通して、この短い手紙を書き送ったと述べます(ペテロの第一の手紙5章12節)。電話や電子メールがなかった時代には、郵便を運ぶシルワノ(シラス)のような人が必要でした。
- シラスはエルサレム教会で尊敬されたクリスチャンで、ペテロとパウロの両方の協力者でした。使徒の知らせを運ぶのはこれが初めてではありません。エルサレム会議は、ユダヤ人以外の諸教会に手紙を届ける役目を彼に託し、その知らせは諸教会を喜びで満たしました(使徒行伝15章)。
- 続いてペテロは目的を語ります。読者を励まし、彼らが結ばれている神の恵みこそ真の恵みであると証しするためです。牧師が読んだ訳では、その呼びかけははっきりしています。その中にしっかり立ちなさい、と。
- 彼らがイエスにあって持っているものは、神の真の恵みです。彼らは福音というこの土台から決して離れてはなりません。
2. 苦しむクリスチャンのための手紙
- 「愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかってくる火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしんではいけない」(ペテロの第一の手紙4章12節)。苦しみというテーマは、手紙全体を貫いています。
- さて、ゴルフクラブの話です。ペテロの第一の手紙は、苦しむクリスチャンへの励ましです。「信仰のゆえに苦しんでいるクリスチャンに出会ったら、聖書を手に取り、ペテロの第一の手紙を取り出して、そこからボールを打ち始めなさい。」
- この必要は今も変わりません。ペテロが手紙を書き送った地域であるトルコでも同じです。20年近く前、国の東部のマラティヤで、3人のクリスチャンが殺されました。ドイツ人の宣教師と、イスラム教から改宗した二人のトルコ人です。聖書を学びたいと言って近づいてきた男たちが、彼らを縛り、拷問し、殺したのです。裁判では、被告よりも被害者のほうが裁かれているように見え、他のクリスチャンの住所も公になりました。
- この手紙は私たちのためでもあります。社会がますます異教的になるとき、家族や友人が私たちの信仰を拒むとき、配偶者がまだクリスチャンではなく、時にそれを耐えがたく思うようになるときです。
- 試練の中では、自然とこんな問いが湧いてきます。「自分は正しい方向に進んでいるのだろうか。正しい選択をしたのだろうか。」ペテロは、そうだと保証します。これは神の真の恵みです。だから、そこにしっかり立ちなさい。
3. ペテロが証しすること:神はあなたを、ご自身の特別な民として選ばれた
- バビロンにいる選ばれた者たちの教会が、あなたがたによろしくと言っています(ペテロの第一の手紙5章13節)。当時、バビロンはもはや存在しませんでした。ペテロはおそらくローマから書いており、このようにあいさつを送っているのは教会です。
- バビロンに捕え移されたイスラエルのように、クリスチャンは天の故郷から遠く離れて生きています。バビロンのダニエルのように、異教の文化の中にいる霊的な亡命者です。実際、この手紙は「ポントス、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに離散している」旅人たちへのあいさつで始まっています(ペテロの第一の手紙1章1節)。
- 礼拝で読まれたイザヤ書46章は、その対比を際立たせています。異教徒は偶像のベルとネボを自分で運ばなければなりませんが、神の民は、自分たちを担ってくださる神を知っています。
- イエス・キリストに信頼するとき、根本的なアイデンティティの変化が起こります。「あなたはエディンバラで一生育ってきたかもしれません。けれどもクリスチャンになるとき、まったく新しいアイデンティティを受け取るのです。」自分の文化の中で違和感を覚えるなら、それはあなたが本当に違う者だからです。
- この召しは従順への招きであり、キリストの血は私たちのあらゆる不従順を覆ってくださいます(ペテロの第一の手紙1章2節)。「あなたがたは聖なる者となれ。わたしが聖なる者だからである」(ペテロの第一の手紙1章16節)。
- 大学生活を始める学生のみなさんへ。イエスのために生きるなら、そうしない人たちの目にはあなたの生き方が衝撃的に映り、あざけられるかもしれません。彼らは、あなたが同じ放蕩の乱行に一緒に走り込まないのを不思議に思うのです(ペテロの第一の手紙4章4節)。
- けれども、なんという特権でしょう。「私たちは、運ばなければならない偶像のために生きているのではありません。私たちは、創造主なる神に担われ、神に知られ、愛されているのです。」
4. ペテロが証しすること:しばらく苦しんだのち、栄光へと召されている
- 世がイエスを迫害したなら、イエスに従う者たちも迫害します。けれども、キリストとともに苦しむ道は、永遠の栄光へと続いています。あなたがたはこのために召されたのです。キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、模範を残されました(ペテロの第一の手紙2章21節)。
- ペテロは、むしろキリストの苦しみにあずかっていることを喜びなさいと勧めます。それは、キリストの栄光が現れるときにも、大きな喜びにあふれるためです(ペテロの第一の手紙4章13節)。
- ペテロは目撃証人でした。彼は、罪を犯さず、ののしられてもののしり返さなかったイエスを見ました(ペテロの第一の手紙2章22〜23節)。彼はその死の意味も知っています。キリストは、私たちの罪をその身に負って木にかかってくださいました(ペテロの第一の手紙2章24節)。正しい方が、正しくない者たちのために、私たちを神のみもとに導くために死なれたのです(ペテロの第一の手紙3章18節)。
- なぜ苦しみにあずかることを受け入れるのでしょうか。私たちのために苦しまれた方と一つに結ばれることこそ、罪が赦され、恥が覆われ、罪責が取り除かれる道だからです。
- 神は、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを与えてくださいました(ペテロの第一の手紙1章3節)。「私たちには生ける望みがあります。生ける救い主がおられるからです。」苦しんでいるなら、これらの真理に立ち返ってください。
5. 第一の勧め:聖なる者となりなさい
- 召してくださる神は聖なる方であり、神に召された者たちは、傷もしみもない小羊であるキリストの尊い血によって、聖さのために贖われました。
- 牧師は、ペテロの第一の手紙2章11〜12節に手紙の要となる箇所を見ています。魂に戦いを挑む肉の欲を避け、異邦人の中で立派に生活すること。そうすれば、彼らがその良い行いに気づき、神をあがめるようになるのです。
- この聖さは、小さな修道院に引きこもることでも、集会の中に隠れることでもありません。「私たちは、バビロンで生きる聖なる民として召されているのです。」神が私たちに良くしてくださるように、私たちも他の人に良くするのです。
- 具体的には、主のゆえに権威に従うこと(国家の指導者から警察官まで)、上司が難しい人であっても職場で従うこと、妻は夫に従い、夫は妻を深い敬意をもって扱うことです。
- それはイエスに似た聖さです。のろわれても、私たちは祝福します。侮辱に侮辱で返しません。
6. 第二の勧め:証し人となりなさい
- 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王の祭司、聖なる国民、神につける民である。それは、暗やみからあなたがたを驚くべき光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである」(ペテロの第一の手紙2章9節)。
- 「私たちの生き方は、神の恵みの広告キャンペーンです。」だからこそ、夫が信じていない妻たちは、その行いによって「言葉なしで」夫を得ることができ(ペテロの第一の手紙3章1節)、だれもが自分の内にある希望について、柔和と敬意をもって弁明できるよう備えていなければならないのです(ペテロの第一の手紙3章15節)。
- 牧師は、メズ・マコーネル(Mez McConnell)の著書 The Least, the Last and the Lost から一つの話を語ります。シャーロット・チャペルのスタッフだったメズは、キリスト教的な基準がまったくない環境から信仰に入りました。ある日、クリスチャンではない父親のサプライズ誕生会に招かれます。ストリッパーの代金を払うよう頼まれましたが、彼は断り、代わりにDJの代金なら払うと申し出ました。
- 彼は妻とともに行くことにします。ショーが始まると、二人はやじとあざけりの中で部屋を出て、それから戻って静かな隅に座りました。夜が更けるにつれて、彼の信仰をあざけっていた人たちが一人、また一人と二人のテーブルに来て座り、信仰について尋ね、壊れた人生や心の空しさを語りました。最後には、彼が福音を説明するあいだ、人々の輪がテーブルを囲みました。「早く帰るどころか、私たちは最後まで残った人になりました。」
- ポール・リースにとって、これは美しい光景です。自分が神に選ばれた民に属していると知っている夫婦が、その場から退かずに、そこで聖なる者であろうという難しい選択をしたのです。二人はおそらく、この家族や友人たちが初めて出会ったクリスチャンだったでしょう。聖なる者となり、良いことを行いなさい。そうすれば、あなたは神の恵みの証し人となります。
7. 第三の勧め:愛する者となりなさい
- ペテロは一つの命令で結びます。「愛のくちづけをもって互にあいさつをかわしなさい」(ペテロの第一の手紙5章14節)。これは恋愛のキスではなく、しばらく会えなかった兄弟姉妹が再会するときの、家族のような温かさのことです。
- 信仰に敵対的な社会で生きているなら、教会が愛にあふれた共同体であることが不可欠です。そうやって私たちは持ちこたえます。神の恵みがどれほど素晴らしいかを思い起こさせ、ほかのところがすべて厳しいときに励ましてくれる場所です。
- ペテロは、心から熱く互いに愛し合うこと(ペテロの第一の手紙1章22節)、そして何よりも互いに熱い愛を持つこと、愛は多くの罪をおおうからです。また、不平を言わずに互いにもてなし合うことを勧めます(ペテロの第一の手紙4章8〜9節)。
- エディンバラではキスの習慣がないので、牧師は文脈に合わせて置き換えることを提案します。ハグ、温かい握手、「親愛を込めたグータッチ」など、それぞれが心地よくできる形で、敬意を保ちながら。
- 「私たちは、自分が神のために何をするかに左右される土台の上に立っているのではありません。すべては、神がイエスにあって私たちのためにしてくださったことにかかっています。」牧師はイエスの言葉で結びます。「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える」(ヨハネによる福音書14章27節)。
心に留めたいこと
- ペテロの第一の手紙は、苦しむクリスチャンへの励ましの手紙です。イエスにあって受けた恵みは神の真の恵みであり、その中にしっかり立たなければなりません。
- 自分の文化の中で違和感を覚えるなら、それは神があなたを選び、取り分けてくださったからです。あなたは亡命者であり、創造主なる神に担われています。
- キリストとともに受ける苦しみは、ほんのしばらくのものです。それは永遠の栄光へと続き、生ける救い主に基づく生ける望みに支えられています。
- クリスチャンの聖さは、世から逃げることではありません。周りの人々に良いことを行い、人々に問いを抱かせる証しとなるのです。
- 信仰に敵対的な社会の中で持ちこたえるには、愛にあふれた教会が欠かせません。
自分への適用
- あなたの生活のどんな場面で、イエスに従うという選択は正しかったのだろうかと、今思っていますか。
- キリストにある新しいアイデンティティは、周りの人たちとあなたをどのように違う者にしていますか。その違いをどう生きていますか。
- あなたの聖さは、世から退くことに向かわせていますか。それとも、イエスのように世の中で良いことを行うことに向かわせていますか。
- 周りのだれが、いつかあなたの内にある希望の理由を尋ねるでしょうか。柔和と敬意をもって答える備えはできていますか。
- 今度の日曜日、つらい時期を過ごしている兄弟姉妹を、どのように温かく迎えられますか。
引用された聖句
- ペテロの第一の手紙 5章12〜14節
- 使徒行伝 15章
- ペテロの第一の手紙 4章12〜13節
- ペテロの第一の手紙 1章1〜3節
- イザヤ書 46章1〜10節
- ペテロの第一の手紙 1章14〜17節
- ペテロの第一の手紙 4章3〜4節
- ペテロの第一の手紙 2章21〜24節
- ペテロの第一の手紙 3章18節
- ペテロの第一の手紙 2章9〜12節
- ペテロの第一の手紙 3章1節
- ペテロの第一の手紙 3章15節
- ペテロの第一の手紙 1章22節
- ペテロの第一の手紙 4章8〜9節
- ヨハネによる福音書 14章27節
よくある質問
ペテロの第一の手紙の中心的なメッセージは何ですか。
ペテロ自身が第一の手紙5章12節で要約しています。彼は、読者が結ばれている神の恵みこそ真の恵みであると、励まし、証しするために書いたのです。ポール・リースにとって、これは信仰のゆえに苦しむクリスチャンへの励ましの手紙です。彼らは正しい道の上にいて、この恵みの中にしっかり立たなければなりません。
ペテロの第一の手紙によると、なぜクリスチャンは苦しむのですか。
ポール・リースは、関連する二つの理由を挙げます。神は彼らをご自身の特別な民として選ばれました。彼らは旅人、亡命者として生きており、その違いが人々を落ち着かなくさせるのです。そして神は、しばらくのあいだキリストとともに苦しんだのち、キリストの栄光にあずかるよう彼らを召されます。キリストご自身が彼らのために苦しまれたように。
「愛のくちづけをもって互にあいさつをかわしなさい」は、今日どういう意味ですか。
これは恋愛のキスではなく、再会した家族の温かさのことです。ポール・リースは、その行為を私たちの文化に置き換えることを提案します。ハグ、温かい握手、親しみのあるあいさつを、敬意をもって。大切なのは、教会が、信仰に敵対的な世界で生きる人々にとって愛にあふれた共同体であることです。
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