マタイ28章:イエスは諸国民のために鍵を取り戻された

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はじめに

ジャック・リード(Jack Reed)氏は、妻とともにアルメニアに住んでいます。約25年前から、最も福音が届きにくい民族のもとへ働き人を訓練し、送り出してきました。最初は英国、次に朝鮮半島、そしてネパールのカトマンズで10年近く、チベット系仏教徒の村々の中で働きました。Kingdom Faith Churchに招かれた彼は、誰もが知っているつもりの聖句、大宣教命令について語ります。

学生たちに「神の心が諸国民に向いていることは、どこから来ているのか」と尋ねると、すぐに「マタイ28章」という答えが返ってきます。そこで彼はさらに問いかけます。「新約聖書を閉じて、旧約聖書から証拠を示してください。」多くの場合、沈黙が訪れます。このメッセージは、創世記から昇天の山までその流れをたどり、大宣教命令が「とても長い文章の終わりに置かれた感嘆符」であることを示します。

彼はこうも警告します。イエスに従うことは、私たちを地上で最も暗い場所と「衝突する進路」に乗せます。そこにこそ、イエスは光を届けたいと願っておられるからです。そして時には、通りを渡るだけで足りるのです。

メッセージの構成

1. イエスに従うことは、イエスを知らない人々のもとへ私たちを導く

  • イエスは弟子たちに、そして私たちに言われます。「だれでもわたしについてきたいと思うなら、己れを捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(ルカ9:23)。
  • 「暗闇の中に座っている人々を見つけるために、世界の反対側まで行く必要はありません。ひょっとすると、この町の通りを渡るだけでいいのかもしれません。」
  • ジャック・リード氏は、自分中心の信仰、つまりキリストの宣教に従うことなく「自己改善の轍の中で車輪を空回りさせている」信仰に警告を発します。
  • 現在の彼の働きは、中東、北アフリカ、中央アジアに集中しています。約22億人、イスラム教徒が多数を占める32の国々です。そのうち15億人が35歳未満で、ほとんど全員が電話を持ち、多くの人が何か別のものを求めています。「テヘランの路上にいる25歳の青年は、自分の両親よりも、ホーシャムの25歳の若者との共通点のほうが多いかもしれません。」
  • 彼はアブラハムに与えられた約束に立っています。その子孫は敵の門を打ち取り、すべての国民がその子孫によって祝福されるという約束です(創世記22:17-18)。そこから、祈り、賛美、宣言という三つの言葉による戦略が生まれます。メディアやアラビア語、ペルシア語、ロシア語での賛美による「空」からの働きと、「地上」での働きです。イエメンでは「地元の教会を探しなさい」とは言えません。教会がないのです。

2. 創世記から、神は人類に鍵を託された

  • 創世記1章で、神は使命を与えます。生めよ、ふえよ、地に満ちて、これを従わせよ。人は被造物の管理者となります。「神は手を差し伸べ、人に鍵の束を手渡されたのです。」
  • 詩篇8篇もそれを繰り返します。人とは何者なのでしょう。神が心に留めてくださるほどの者でしょうか。神は人に、御手のわざを治める権限を委ねられました。
  • 創世記3章で、欺きと罪によってこの使命は妨げられます。鍵はサタンの手に渡り、サタンは人の心を暗くする「この世の神」となります(2コリント4:4)。ヨブ記では、地上を行き巡った後に神の前に現れます。
  • ノアの時、神はいわばリセットボタンを押し、同じ命令を再び与えます。生めよ、ふえよ、地に満ちよ(創世記9:1)。
  • しかし二度とも、人類は散らばる代わりに集まりました。バベルでは、自分たちの名を上げるために建てました(創世記11章)。神は言葉を混乱させ、諸民族はついに散らされます。

3. 諸国民、諸勢力、そして神が取り分けられた民

  • ジャック・リード氏は、申命記32:8をバベルの反響として読みます。いと高き方が人の子らを分けたとき、諸民族の境界を定められました。彼は「神の子らの数にしたがって」という読み方に従い、それを諸国民への管轄権を受けた霊的な力、すなわち支配者たちと理解しています。
  • 彼は、すべての支配者に名前をつけて研究する必要があるとは考えていません。「私たちはろうそくに火をともし、光を掲げることができると信じています。イエスが高く掲げられるとき、その敵は散らされます。私たちが光を運べば、闇は逃げ去るほかありません。」
  • その直後、主の分け前は御自分の民ヤコブであると記されています(申命記32:9)。そして創世記12章で、神はアブラハムを召し、大いなる国民にすると約束し、地上のすべての氏族が彼によって祝福されると告げます。
  • ダニエル書10章は、この戦いが天上の領域で起きていることを示しています。ダニエルの祈りはペルシア王国の君に阻まれ、ミカエルが助けに来て、答えが届きました。

4. 荒野で、サタンはイエスに鍵を差し出す

  • 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛してくださった」(ヨハネ3:16)。ジャック・リード氏はこう言うのが好きです。神は諸国民をそれほどに愛された、と。御子は人となり、私たちと同じようにあらゆる点で試みを受け、私たちの弱さに同情できる大祭司となられました(ヘブル4:15)。
  • ルカ4章で、40日間何も食べなかった後の誘惑は現実のものです。「私は4時間食べないだけでも、きついと感じます。」
  • 二番目の誘惑で、悪魔はイエスに世界のすべての国々を見せて言います。これらの国々の権力と栄光をすべてあなたに与えよう、それは自分に任されていて、好きな人に与えられるのだ、と(ルカ4:5-6)。まるでアダムが失った鍵の束をポケットから取り出したかのようです。
  • 説教者によれば、それこそイエスが取り戻しに来られたものでした。人類をふさわしい場所に回復するためです。しかしイエスは、そのやり方で手に入れることを拒まれます。荒野から出てこられたイエスは、御霊の力に満ちておられました(ルカ4:14)。

5. 死と復活によって、イエスは支配と権威から武装を解かれた

  • イエスは十字架につけられ、死に、葬られました。昇られる前に、地の低い所へ下られ(エペソ4:9)、ヨナが三日三晩魚の腹の中にいたようでした(マタイ12:40)。ペテロは、イエスが獄にいる霊たちのところへ行って宣べ伝えたと言い(1ペテロ3:19)、黙示録はイエスが死と黄泉の鍵を持っておられる姿を示します(黙示録1:18)。
  • 復活されたイエスは、マリヤに、まだ父のもとへ上っていないのだから、すがりついてはいけないと言われます(ヨハネ20:17)。イエスはやぎや子牛の血ではなく、ご自身の血によって天に入り、永遠の贖いを成し遂げられました(ヘブル9:12)。8日後、イエスはトマスに、指をここに伸ばしなさいと招かれます(ヨハネ20:26-27)。御業は完成しました。
  • ジャック・リード氏によれば、コロサイ2:15はこの期間のどこかで起きた出来事です。イエスは支配と権威から武装を解き、公然とさらしものにされました。ジャック・リード氏はこの動詞を降伏の式典になぞらえ、第二次世界大戦の終わりの映像を思い起こします。敗れた将校たちが、勲章や階級章を一つずつ剥ぎ取られていく場面です。
  • 「私は、イエスがそれらの勲章も、星も、肩章もすべて取り上げて、ご自分のポケットにしまわれたのだと信じています。」

6. 「いっさいの権威が与えられた」:諸国民のための権威

  • ペンテコステの前、イエスは弟子たちを山に集められました。私たちはよく19節に飛びますが、すべては18節から始まります。「わたしは天においても地においても、いっさいの権威を授けられた」(マタイ28:18)。ジャック・リード氏は、イエスが荒野でサタンから差し出された鍵を、ポケットから取り出す姿を思い描きます。
  • この権威には目的があります。「それは私たちのクリスチャン生活をより快適にするためではありません。望むものを何でも主張するためでもありません。この鍵には責任が伴っています。」権威は、出て行くために与えられました。「あなたがたは行って、すべての国民を弟子として」(マタイ28:19)。
  • キリストは、敵が御足の台となる時を待っておられます(ヘブル10:13)。説教者はここで、祈りと賛美と宣言によって勝ち取られる霊的な領域での勝利について語っています。その勝利は、やがてキリストに自分をささげる人々の人生となって現れます。
  • 「神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼすためである」(1ヨハネ3:8)。イエスはあなたを腕に抱いてくださる良い羊飼いですが、イエスには悪を打ち滅ぼす面もあります。黙示録19章が、白い馬に乗って義によって戦いに来られる姿として示しているものです。
  • 「私たちはこの世界を、ふさわしい仕方で愛します。ふさわしい仕方で仕えます。この世界のために命をささげます。しかし、この世界の上にいる霊たちは心に留めなさい。私たちは、私たちの救い主が持っておられた鍵を握っているのです。」

7. 創世記から黙示録まで、諸国民の癒し

  • 勝利を得る者に、イエスは諸国民に対する権威を約束されます(黙示録2:26)。イエスは諸国民を贖い、和解させ、集めるために来られます。
  • 聖書の最後の章は、いのちの水の川のほとりにあるいのちの木を示し、その葉は諸国民を癒すためにあります(黙示録22:2)。
  • 「宣教は私の得意分野ではありません」と言う人がいます。旅行も辛い食べ物も好きではないというのです。そこで宣教は一つの部門に任されます。「しかし、友人の皆さん、これは神の教会の中心にあるDNAです。」
  • 「列は一つしかありません。ただ一人の救い主に、ただ一つの道で従うのです。」それはガラテヤ2:20の道です。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
  • 最後の祈りで、彼はアブラハムの名が「多くの国民の父」を意味することを思い起こさせます。アブラハムの相続人として、私たちも諸国民に対する、親にも似た責任を受け取ります。「開拓者の時代は終わっていません。」

心に留めたいこと

  • 大宣教命令は孤立した一節ではありません。創世記から黙示録まで続く流れ、つまり諸国民に向けられた神の心の到達点です。
  • アダムに託された権威は、堕落によって失われました。イエスは荒野でサタンからそれを受け取ることを拒み、十字架と復活によって取り戻されました。
  • イエスは支配と権威から武装を解かれました。教会は、それらの前に退く必要はありません。
  • この権威は快適さのためではなく、宣教のために与えられています。祈り、賛美し、宣言し、出て行くためです。
  • 宣教は教会の一部門ではなく、教会のDNAです。イエスに従う列は一つしかありません。

個人への適用

  1. あなたの信仰は、イエスの宣教に従うことよりも、自己改善のプロジェクトに近くなっていませんか。
  2. イエスを知らない人に会うために、今週あなたはどの通りを渡れるでしょうか。
  3. イエスが支配と権威から武装を解かれたのに、周りの力の前で退いてしまう傾向はありませんか。
  4. ある国が置かれている状況を調べて、もっと具体的に祈れるように、どの国を祈りのうちに心に留めますか。
  5. 宣教を「自分の得意分野ではない」と考えていませんか。それをDNAだと見なしたら、何が変わるでしょうか。

引用された聖句

よくある質問

なぜジャック・リード氏は、マタイ28章の18節から大宣教命令を始めるのですか。

多くの人が、いきなり「行きなさい」に飛んでしまうからです。しかしイエスはまず、「わたしは天においても地においても、いっさいの権威を授けられた」と言われます。ジャック・リード氏にとって、これは聖書全体の到達点です。アダムに託され、堕落で失われ、イエスが死と復活によって取り戻された権威が、いま諸国民のところへ出て行くために教会に与えられているのです。

コロサイ2:15の「イエスは支配と権威から武装を解かれた」とはどういう意味ですか。

ジャック・リード氏は、この動詞を軍事的な降伏の式典になぞらえます。敗れた者が勲章や階級章を剥ぎ取られる場面です。イエスは完成された御業によって、霊的な力から権威を取り去り、公然とさらしものにされました。ですから教会は、それらの前に退く必要はありません。

宣教は、海外へ出て行く人だけのものですか。

いいえ。ジャック・リード氏にとって、宣教は教会の一部門ではなく、教会のDNAです。列は一つしかありません。ただ一人の救い主に、ただ一つの道で従うのです。時には、通りを渡るだけで、闇の中に生きている人に出会えます。そして、誰もが諸国民のために祈ることができます。

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