はじめに
純福音東京教会の金曜徹夜祈祷会の夜です。聖歌隊の賛美のあと、牧師は「第七の御使のラッパ」と題するメッセージを語ります。ヨハネの黙示録を順に学ぶ連続講解の続きで、韓国語で語られ、日本語に通訳されています。この夜に共に読まれた箇所はヨハネの黙示録11章14〜19節です。第二のわざわいは過ぎ去り、第三のわざわいが間もなく来ます。第七の御使がラッパを吹き鳴らすと、大きな声々が天で言います。「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」。
この最後のラッパに至る前に、牧師は時間をかけて流れをふり返ります。これまで学んだ封印とラッパを「とても簡潔に」まとめます。会衆はそれを覚えているからです。そのあと、11章の二人の証人について、その働き、死、そして復活を、長く丁寧に語ります。
メッセージを貫いているのは、ひとつの確信です。最初の封印から最後の鉢まで、すべては神のみ手の中にあります。主権は神のものであり、いのちも神のものです。だから、神から託された使命を歩む人は、何も恐れる必要がありません。
メッセージの流れ
1. 封印とラッパ:さばきは神のみ手の中にある
- 第一の封印が解かれると、白い馬に乗り、弓を持つ者が進み出ます(ヨハネの黙示録 6:2)。牧師は、これが反キリストの時代だと語ります。
- 赤い馬は戦争をもたらし、黒い馬は飢饉を表し、続いて青白い馬が現れます。聖書はこれを死と結びつけています(ヨハネの黙示録 6:3-8)。
- 牧師は、この日々の深刻さを測るためにひとつの例を挙げます。地球の人口を80億人とすると、この四つの災いですでに20億人が滅びます。
- 続いて、聖徒たちの祈りが神の前にささげられ、大地震が起こり、第七の封印が解かれ、七つのラッパを持つ七人の御使が現れます。
- ラッパによって、地の三分の一が滅ぼされます。地だけでなく、海も、水の源も、昼も夜も、三分の一が打たれます(ヨハネの黙示録 8:7-12)。さらに20億人が姿を消します。この時点で、半分の40億人が滅びたことになります。
- 底知れぬ所のかぎが与えられ、そこに閉じ込められていたいなごが出てきます。いなごは人を苦しめることはできても、主は命を奪うことをお許しになりません(ヨハネの黙示録 9:1-5)。牧師は強調します。これらすべての中で、「すべての主権は主のみ手の中にあった」のです。
- そして、大ユウフラテ川のほとりにつながれていた四人の御使が解き放たれます(ヨハネの黙示録 9:14)。
2. 神殿を測る:神は礼拝する者を知っておられる
- 次のラッパが鳴る前に、ヨハネは杖のような測りざおを与えられ、測るように命じられます(ヨハネの黙示録 11:1)。
- 牧師は説明します。聖書で「測る」とは、あるものが神のものであることを確かに定めることです。
- 人も測られます。その人は神のものか、そうでないか。神が守り、保たれる者と、さばきの対象となる者は、ここで分けられます。
- ヨハネは神の神殿と祭壇、そして何よりもそこで礼拝する者たちを測らなければなりません。物も大切ですが、礼拝する人々はそれ以上に大切で、彼らこそが中心です。ヨハネは彼らを注意深く見分けなければなりません。
- 牧師は、自分がこの書を読んで理解したところを語ります。これらのことが起こるとき、「私たちは地上にいない」。教会はすでに携え上げられ、天にいるのです。
- ここから、会衆への励ましを引き出します。神は最後まで、ご自分を礼拝する者を分けておられます。
3. 後半の期間のための二人の証人
- 第七のラッパの前にあるのは、後半の三年半が始まる前に、神がすべてを整えられることだと牧師は語ります。
- ここに二人の人が現れます。牧師は会衆に問いかけます。口から火を出したのはだれでしょうか。エリヤです。水を血に変えたのはだれでしょうか。モーセです(ヨハネの黙示録 11:5-6)。
- この二人は、変貌の山でイエスとともに立ち、栄光のうちにイエスと語り合った人たちです(マタイによる福音書 17:1-3)。エリヤは預言者を、モーセは律法を代表しています。
- 牧師の理解によれば、七年の前半には、各部族一万二千人、合わせて十四万四千人が、命がけで福音を宣べ伝えました。彼らが携え上げられた後は、福音の残りを担うのは、この二人の預言者だけです。
- 彼らのメッセージには二つの面があります。ひとつは、反キリストは偽者だという証言です。もうひとつは、神のさばきが近いという宣告です。
- 牧師は、イエスの宣教の初めとの重なりを指摘します。「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイによる福音書 4:17)。今度は、呼びかけはこう変わります。悔い改めよ、神のさばきは近い。
- この二人は、最後の戦い、ハルマゲドンに至るまで、よい知らせを宣べ伝え続けます。
4. 使命を歩む者には、だれも手をふれられない
- 悪魔の攻撃は二人の証人に激しく向かいますが、それでも二人は死にません。だれかが彼らに害を加えようとすると、口から火が出ます(ヨハネの黙示録 11:5)。
- 多くの人が彼らを殺そうとし、多くの人が彼らに手を上げました。それでも、彼らの「髪の毛一本」にもふれることはできませんでした。
- 牧師はこれを自分の教会に直接当てはめます。この教会は「日本一千万人」というビジョンを持っています。あなたがたは神からこの大きな使命を受けたのだ、と牧師は語ります。この使命に献身する信者に、どんな敵も手をかけることはできません。
- 人が私たちに何をしようとも、私たちは神のものであり、だれも私たちに手をかけることはできません。主が私たちを守っておられるのですから、何も恐れる必要はまったくありません。
- 牧師は、主が今日も会衆を見守り、導いておられると信じることができるように祈ります。
- 二人の証人が働きを始めると、迫害が彼らに襲いかかります。人々はどれほど彼らを憎んだことでしょう。しかし、すべての権威とすべての試練は主のみ手の中にある、と牧師は語ります。
5. 主と同じように死ぬ
- 7節は、底知れぬ所から上って来る獣が彼らと戦って勝ち、彼らを殺すと告げています。牧師はそのときに注目します。彼らの働きは終わっていました。使命を果たし終えて、そのときはじめて、彼らは「静かに」死ぬのです。
- 牧師はさらに、そのころ、エルサレムの聖なる神殿の上に偶像の神殿が建てられると付け加えます。
- 彼らの死体は、霊的にソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされます。そこは、彼らの主が十字架につけられた場所でもあります(ヨハネの黙示録 11:8)。
- ソドムは、神の前に堕落した民の象徴です。エジプトは、神への反逆の象徴です。そして、イエスが十字架で死なれたように、この二人も同じ形で死にます。
- 三日半のあいだ、諸国の民は彼らの死体を見つめ、墓に納めることを許しません(ヨハネの黙示録 11:9-10)。イスラエルでは、遺体を葬らずに放置することは大きな辱めです。死刑にされた者でさえ葬られました。
- この人々は、二人の預言者の証しに長いあいだ苦しめられてきました。二人が死んだのを見て、彼らは言います。ついに私たちは救われた、生き返った、と。
- 人々は、この尊い預言者たちの死を悼むどころか、喜び祝い、互いに贈り物を送り合います。牧師はここに、十字架への道でイエスにつばきをかけ、打った群衆と同じ光景を見ています(マタイによる福音書 27:30)。
6. いのちの息:あなたのいのちは神のみ手の中にある
- 牧師は、会衆にその場面を思い描くよう促します。三日半のあいだ、さらされていた体です。腐り始めていてもおかしくありません。
- しかし、神からのいのちの霊が彼らに入ると、二人は立ち上がります。「彼らは力強く立ち上がった」のです。そして、すべての人が神の声を聞きます。「ここに上れ」(ヨハネの黙示録 11:11-12)。
- 敵たちはどれほど恐れおののいたことでしょう。自分たちがしたことをすべて思い出して後悔しましたが、もう時は過ぎていました。
- 牧師にとって教訓は明らかです。人のいのちも死も神のみ手の中にあります。いのちは主のものだからです。
- 牧師はイエスのことばを引きます。イエスはいのちのパン(ヨハネによる福音書 6:35)、いのちの光(ヨハネによる福音書 8:12)であり、そして「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネによる福音書 14:6)と言われました。いのちは、主のうちにだけあります。
- 「だから、たとえ病気であっても、決して恐れてはいけません」。神がこの二人にいのちの息を吹き込まれたように、あなたがどんな状況にいても、神はいのちを与えることがおできになります。
- 「信じるなら、あなたは主を体験します。あなたの信じるとおりになるからです」。
- 続く祈りの時間にも、牧師はこのことに戻ります。いのちはすべて神のみ手の中にあり、私たちはすでに永遠のいのちを持っています。ですから、何も恐れる必要はありません。
7. 第七のラッパ:ひとりで上ってはいけない
- 牧師は最後に13節を読みます。大地震が都を襲い、生き残った者たちは天の神に栄光を帰します。
- 七つの封印、七つのラッパ、七つの鉢は、すべて神のみ手の中にあると、牧師は思い起こさせます。
- 最後の二人の預言者の死はしるしです。最後の戦いであるハルマゲドンが近づいています。しかし、大患難はまだ終わっていません。
- 第七のラッパとともに、七つの鉢が登場します。これは、最初のさばきとは比べものにならないさばきの始まりです。
- この夜に読まれた箇所は、このラッパのもうひとつの面を示しています。二十四人の長老たちはひれ伏し、全能の主なる神に感謝をささげます。神は大いなる力を働かせ、その支配を始められたからです。しもべである預言者たち、聖徒たち、み名を恐れる者たちに、小さい者にも大きい者にも、報いを与える時が来ました。天にある神の神殿が開かれ、その契約の箱が現れます(ヨハネの黙示録 11:16-19)。
- 牧師は、ひとりひとりへの問いかけでしめくくります。「私たちは携え上げられます。しかし、私たちだけが携え上げられて、それでよいのでしょうか」。
- 牧師は、ひとりひとりが家族とともに携え上げられることを願っています。愛する人の手を取り、いっしょに天の家へ帰ることを願っているのです。
心に留めたいこと
- 最初の封印から最後の鉢まで、さばきのただ中でも、主権は主のみ手の中にあります。
- 神はご自分のものである人を知っておられます。神殿を測るとき、中心にいるのは礼拝する人々です。
- 神から受けた使命を歩む者は守られます。二人の証人の働きが終わるまで、だれも彼らの髪の毛一本にふれることはできませんでした。
- いのちは主のものです。二人の証人をその息で立ち上がらせた方は、いのちを与えることがおできになり、信じる者はすでに永遠のいのちを持っています。
- 天の望みは、ひとりで生きるものではありません。牧師は、家族や愛する人の手を取って、いっしょにそこへ入るよう呼びかけています。
個人への問いかけ
- 今、あなたを恐れさせている状況は何ですか。病気、反対、先の見えない将来でしょうか。あなたのいのちが神のみ手の中にあると確信するとき、あなたにとって何が変わりますか。
- あなたの暮らす場所で、神はどんな使命をあなたに託されましたか。そして、神が成し遂げるまで守ってくださるという確信をもって、その使命を続けていますか。
- もし神が今日、ご自分を礼拝する人々を「測る」なら、あなたは中心にいる礼拝者として見いだされるでしょうか。それとも、ただ神殿に通っているだけの人でしょうか。
- 家族や身近な人のうち、だれの「手を取って」イエスを知ってもらいたいですか。今週、その人のために何ができますか。
引用した聖句
- ヨハネの黙示録 11:14-19
- ヨハネの黙示録 6:1-8
- ヨハネの黙示録 8:7-12
- ヨハネの黙示録 9:1-5
- ヨハネの黙示録 9:14
- ヨハネの黙示録 11:1-13
- マタイによる福音書 17:1-3
- マタイによる福音書 4:17
- マタイによる福音書 27:30
- ヨハネによる福音書 6:35
- ヨハネによる福音書 8:12
- ヨハネによる福音書 14:6
よくある質問
このメッセージによると、ヨハネの黙示録11章の二人の証人はだれですか。
説教者は、二人をモーセとエリヤに重ねています。証人たちの口から出る火はエリヤを、水を血に変えることはモーセを思い起こさせます。また、この二人は変貌の山でイエスと語り合った人たちでもあります。エリヤは預言者を、モーセは律法を代表しています。
守られていたのに、なぜ二人の証人は死ぬのですか。
二人の働きの期間中、だれも彼らにふれることができず、髪の毛一本にさえふれられませんでした。彼らが死ぬのは、使命が果たされたときです。説教者はここから確信を引き出します。神から託された使命を歩む者は主に守られ、そのいのちは神のみ手の中にあります。
ヨハネの黙示録11章1節の「神殿を測る」とはどういう意味ですか。
説教者にとって、「測る」とは、何が神のものかを定めることです。その人が神のものかどうかが測られ、神が守る者とさばかれる者がここで分けられます。ヨハネは神殿と祭壇を測りますが、何よりもそこで礼拝する者たちを測ります。礼拝する人々が中心だからです。