はじめに
バビロンは倒れました。黙示録18章の終わりで、地上はその滅びを嘆いています。19章では視線が天に向けられ、ひとつの言葉が四度響きます。ハレルヤです。これは、教会が世代を超えて待ち望んできた時、小羊の婚宴の時です。
ジュネーブのÉglise Évangélique de RéveilのFranck Lefillatreは、シリーズ講解「黙示録、最後のメッセージ」の第43回として、19章1節から10節に取り組みます。婚宴の知らせへと続く四つのハレルヤを、ひとつずつたどっていきます。
その途中で、このメッセージを準備する中で自分でも気づいたという発見が語られます。私たちがよく口にするこの言葉は、新約聖書ではこの箇所にしか出てこないのです。そして彼が示す道は、あなたへのとても具体的な問いにたどり着きます。今日から、あなたは婚礼の衣をどのように整えていますか。
メッセージの流れ
1. 黙示録19章、結末への入口
- 牧師は書全体の歩みをふり返ります。1章から3章はその教会の中におられるキリスト、4章と5章は神と小羊の御座、6章から18章は、バビロンの崩壊に至るさばきの長い連なり(封印、ラッパ、鉢、竜と獣)です。
- 19章から、書は最後の結末に入ります。この章には二つの幻があります。小羊の婚宴(1節から10節)と、王の栄光に満ちた再臨(11節から21節)です。
- 続いてキリストの支配と最後のさばき(20章)、そして新しい創造(21章と22章)が来ます。
- 書全体が目指していたところに到達します。キリストの勝利、ご自分の民との一致、悪の決定的な消滅、そして神の永遠の御国の確立です。
2. ハレルヤ、新約聖書ではまれな言葉
- ハレルヤとは、文字どおりには「ヤハを賛美せよ」、つまり主をほめたたえよという意味です。ヘブル語では二つの語で、詩篇に約24回出てきます。とくに詩篇146篇から150篇は、この「主をほめたたえよ」で始まり、そして終わります。
- 黙示録19章では、この言葉が四度(1節、3節、4節、6節)くり返され、幻全体のリズムをつくっています。
- 新約聖書でこの言葉が出てくるのはここだけです。ひとつの語として書かれているのは、聖書全体を通してもほかにありません。
- 牧師は、ペンテコステ運動の初期に、信者たちが「ハレルヤ・クリスチャン」とあだ名されたことを思い出します。私たちがときどき何にでも添えて使うこの言葉は、実はとてもまれなのです。
- それは地上ではなく天で語られ、試練のさなかではなく、その成就のときに語られます。詩篇と同じように、黙示録も「すべてはハレルヤで終わる」と告げているかのようです。
3. 最初の三つのハレルヤ、正しく決定的なさばき
- 18章の終わり(20節)で、天はバビロンの滅びを喜ぶよう招かれていました。最初のハレルヤは、その応答です。
- この喜びは、何よりも礼拝になります。救いと栄光と力は神のものです。神のさばきは真実で正しいからです(2節)。「バビロンへのさばきは、恣意的でも行き過ぎでもなく、正しいのです。」
- 牧師は、キリストのために苦しんだ人々を思います。彼らが切に望む正義は成し遂げられ、天はそのことで神に栄光を帰します。
- 二番目のハレルヤ(3節)は、さばきが決定的であることを強調します。煙のイメージは、イザヤ書34章10節のエドムに見られるように、預言者たちの言葉づかいを受け継いでいます。永遠に燃え続ける都という意味ではありません。海に投げ込まれた大きな石がすでに告げていたとおり(黙示録18章21節)、バビロンは二度と立ち上がりません。「神はバビロンをさばくだけでなく、その力に決定的な終わりをもたらされるのです。」
- 三番目のハレルヤ(4節)は天の会議から起こります。4章と5章ですでに見た24人の長老と四つの生き物がひれ伏し、「アーメン、ハレルヤ」と言います。アーメンは「それは真実です、そのとおりになりますように」という意味です。天の宮廷全体が、全面的に同意しているのです。
4. 四番目のハレルヤ、神の支配と小羊の花嫁
- 御座から声が出て、神のしもべたち、神を恐れる者たち、小さい者も大きい者も、みな私たちの神をほめたたえるよう呼びかけます。礼拝は、力のある者にも影響力のない者にも、神のしもべすべてへと広がります。
- 7章9節ですでに見た大群衆が、大水のとどろきや雷のような声で再び現れます。7章では、彼らは小羊の血で洗った衣を着ていました。ここでは、婚礼の衣を身にまとおうとしています。
- 全能者である主なる神が支配しておられる、と告げられます。牧師はこう整理します。「神はいつの時代も支配しておられました。」ここで告げられているのは、その支配が完全に現れることです。「御国が来ますように」と祈るときに、私たちが求めている御国です。
- 遊女のあとに、花嫁が来ます。「さばきのあとに、栄光に満ちた啓示があるのです。」
- 花嫁とは、イエス・キリストの教会です。キリストがご自身をささげられた教会(エペソ人への手紙5章25節)、ご自分の血によって買い取られた教会です(使徒行伝20章28節)。
- 対比は鮮やかです。バビロンは紫、緋、金、真珠で飾られていました。それに対して花嫁は、栄光とつつましさに輝いています。
5. 麻の衣、受け取る恵みと日々の備え
- 8節で、花嫁は輝く清い麻の衣を着ることを許されます。「この衣は、よく注意してください、与えられるものです。花嫁自身から出たものではありません。」
- それでも聖書は、花嫁が「用意をした」とも言っています。そして麻の衣とは「聖徒たちの正しい行い」です。
- 牧師は、アジアの諸教会への手紙で、イエスが「わたしはあなたの行いを知っている」と五度語っておられることを思い起こさせます。黙示録では、愛も信仰も忍耐も、行いとなって表れます。
- 「花嫁は、婚礼の当日に衣を用意するのではありません。」何週間も、何か月も前から仕立てさせます。教会にとって、それは今日からです。あなたが忠実にとどまるとき、きよさを求めるとき、キリストの愛を表すとき、隣人に仕えるとき、そのたびにあなたはこの衣のための麻を差し出していることになります。
- 富も持ち物も地位も、あなたは持っていくことができません。けれども「神のために忠実に行ったことは失われません」。神は忘れることがなく(ヘブル人への手紙6章10節)、私たちの行いはあとについて行きます(黙示録14章13節)。
- それでも、「すべては恵み」です。「花嫁はひとりで身を整えるのではありません。」キリストは教会を愛し、きよめて、しみもしわもない栄光の姿でご自分の前に立たせてくださいます(エペソ人への手紙5章25節から27節)。最後の仕上げをしてくださるのはキリストです。
6. 招かれた者は幸い、そして神だけを礼拝する
- 9節は、新しい祝福を告げます。小羊の婚宴に招かれた者は幸いです。この広間やこの祝宴について私たちが想像できることはすべて、実際の栄光にはるかに及びません。
- いちばんすばらしいのは、これがイエスご自身の婚礼だということです。イエスは花嫁の中に現れ、聖餐の夜に告げられたとおり、再びぶどうの実から造ったものを飲まれます(マタイによる福音書26章29節)。
- 古代ユダヤの世界では、婚約はすでに厳粛な約束でしたが、花婿が花嫁を迎えに来るのを待たなければなりませんでした。イエスは弟子たちにそのことを約束されました(ヨハネによる福音書14章2節から3節)。結婚のたとえは、カナの婚礼から婚宴のたとえ、十人のおとめのたとえ(マタイによる福音書25章)まで、イエスの働き全体を貫いています。
- この待ち望みは、私たちを「マラナタ、主よ、来てください」という叫びへと押し出します。書の終わりで、御霊と花嫁がそう言うのと同じです(黙示録22章17節)。
- これほどの栄光を前にして、ヨハネは御使いの足もとにひれ伏します。すると、すぐに答えがあります。そうしてはいけない、神を拝みなさい、と。御使いは、自分のものではない場所を拒むのです。
- 「イエスのあかしは預言の霊です。」すべての預言は、イエスを中心としています。預言は、ひとりの人間を高めるためにあるのでも、御使いや幻や将来の出来事への好奇心を満たすためにあるのでもありません。「預言の目的、黙示録の目的は、イエスを高めることです。」
- 「黙示録は、イエス・キリストの啓示を通して読むものです。」大祭司、小羊、さばき主、花婿、再び来られる王。「すべてが私たちをイエスのもとへ連れ戻します。」
覚えておきたいポイント
- 新約聖書でハレルヤが出てくるのは黙示録19章だけです。神の約束が成就するときに、天で歌われます。
- バビロンへのさばきは正しく、決定的です。キリストのために苦しんだ人々は、神の義が成し遂げられるのを見ます。
- 神はいつの時代も支配しておられますが、小羊の婚宴によって、その支配が完全に現れます。
- 花嫁の衣は恵みによって与えられるものであり、教会は今日から正しい行いによってそれを整えます。
- 栄光はすべて神のものです。預言も黙示録全体も、イエスを高めるためにあります。
個人への適用
- 「ハレルヤ」と言うとき、その意味を思い出していますか。主が成し遂げてくださったことのゆえに、主をほめたたえるという意味です。
- さばきが真実で正しい神の御手に、今日ゆだねられる不正や苦しみは何ですか。
- 花嫁が婚礼の当日に衣を用意しないのなら、今週あなたはどんな忠実さや奉仕の行いを実践できますか。
- あなたは自分の努力に頼っていますか。それとも、あなたを「しみもしわもない者」として立たせてくださるキリストの恵みに頼っていますか。
- 聖書を読むとき、あなたの目をいちばん引くのは何ですか。将来の出来事ですか、それともイエスご自身ですか。
引用された聖句
- 黙示録19章1節から10節
- 黙示録18章20節から21節
- 詩篇146篇から150篇
- 黙示録7章9節から14節
- イザヤ書34章10節
- エペソ人への手紙5章25節から27節
- 使徒行伝20章28節
- ヘブル人への手紙6章10節
- 黙示録14章13節
- マタイによる福音書26章29節
- ヨハネによる福音書14章2節から3節
- マタイによる福音書22章1節から14節
- マタイによる福音書25章1節から13節
- 黙示録22章17節
よくある質問
ハレルヤという言葉は、新約聖書に何回出てきますか。
四回で、すべて黙示録19章(1節、3節、4節、6節)にあります。Franck Lefillatreは、この言葉が新約聖書に出てくるのはここだけだと指摘します。それは地上ではなく天で語られ、試練のさなかではなく成就のときに語られます。詩篇の終わりと同じです。
黙示録19章の小羊の花嫁とは誰ですか。
イエス・キリストの教会です。キリストがご自身をささげられた教会であり(エペソ人への手紙5章25節)、ご自分の血によって買い取られた教会です(使徒行伝20章28節)。天では、御座の前に立つ大群衆です。牧師は、17章と18章の遊女バビロンと対比させます。バビロンが金と真珠で飾られていたのに対し、花嫁は栄光とつつましさに輝いています。
花嫁の麻の衣は何を表していますか。
8節は、麻の衣は聖徒たちの正しい行いであると述べています。しかしこの衣は花嫁に与えられるもので、花嫁自身から出たものではありません。Franck Lefillatreによれば、教会は今日から、忠実さと奉仕によってこの衣を整えます。けれどもすべては恵みです。教会を栄光に満ちた、しみもしわもない者として立たせてくださるのは、キリストだからです。