箴言2章:神が正しい人々のために備えておられる助け

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はじめに

「主は私たちを助けてくださいます。」イタリア南部カラブリア州のソヴェラートで小さな教会を導くVito Celiaは、その夜、メッシーナのADI教会で説教しました。箴言2章7節の約束です。神は正しい人々のために救いを蓄えておられる、つまり、まっすぐに歩む人々には力強い助けが備えられているというのです。

彼がそう語るのは、みことばに書かれているからだけでなく、自分自身が経験してきたからでもあります。「私たちは主の助けを何度も経験してきました。」彼は、あなたも彼と同じように、今夜もなお神の助けを必要としていると信じています。

主は喜んで助けてくださいますが、この箇所にはいくつかの条件があります。説教者は四つを挙げました。みことばを受け入れて確信をもって宣言すること、祈りの中で主を求めること、惜しみなく与えること、そしてへりくだって主に近づくことです。彼はそれを二つの個人的な証しで説明しました。一つは学業の終わりについて、もう一つは妻が二年間病気だったときのことです。

メッセージの流れ

1. 神は私たちを助けたいと願っておられ、それをイエス・キリストにおいて示された

  • 主は私たちに対して好意に満ちた御心を示しておられます。その御心は、御子イエス・キリストにおいて特別な形で示されました。
  • イエスは私たちに近づくために人となられました。私たちの性質、苦労、痛み、問題を共にされたのです。だからこそ、私たちの弱さに同情し、助けてくださることができます(ヘブル人への手紙2章16〜18節、4章15節)。
  • イエスの使命は天使たちに向けられたものではなく、人間に向けられたものでした。福音書全体がそれを示しています。
  • ペテロはイエスの生涯をこうまとめています。神はイエスに聖霊と力を注がれ、イエスは巡回して良いわざをなし、悪魔に苦しめられている人たちをみな癒やされました(使徒行伝10章38節)。「イエスは私たちを助けるために来られたのです。」

2. みことばを受け入れる:助けを受けるための条件

  • この箇所には条件があります。みことばを受け入れ、戒めを心にとどめ、知恵に耳を傾け、悟りに心を向けるなら、というものです(箴言2章1〜2節)。主はご自分の分を果たされますが、私たちにも果たすべき分があります。
  • 「神はどこにおられるのか。なぜ神はあれこれをしてくださらないのか」と問う人がいます。説教者はこの問いを逆にします。私は神に耳を傾け、その助けを受けるのにふさわしい状態にあるだろうか、と。
  • 「主の介入が、いつも超自然的で奇跡的であるとは限りません。」多くの場合、主は私たちの理解を照らし、知恵を与え、困難から抜け出す道を見つける助けをしてくださいます。
  • 私たちが主に耳を傾け、その戒めを受け入れるとき、主の御霊が働かれます。箴言1章23節は、戒めに立ち返るなら、主が御霊を注ぎ、みことばを知らせてくださると語っています。
  • イエスは、ご自分を信じる者の腹から生ける水の川が流れ出ると約束されました(ヨハネによる福音書7章38〜39節)。私たちがみことばを信じて守るなら、御霊は私たちの内に新しいことをしてくださいます。
  • そのとき、あなたは主を恐れることを悟り、神を知ることができます。神を知ることはできるのでしょうか。できます。みことばによって、とりわけ、人となったみことばであるイエス・キリストによって。「イエスは私たちの光であり、いのちであり、救いです。」

3. 約束を私たちの唇にとどめる

  • みことばを記憶にとどめるだけでは足りません。それを宣言する必要もあります。ヘブル人への手紙13章5〜6節はこの二つを結びつけています。神が私たちを見捨てず、離れないと言われたのですから、私たちは確信をもって、主は私の助け手であり、私は恐れない、と言うことができます。
  • 「私たちの話し方、確信と全き信頼の宣言が、結果を、私たちの人生の未来を決めるのです。」
  • 約束の地の入口で、十二人の斥候のうち十人は、悲観的で敗北主義的な言葉を口にしました。「良い土地だが、巨人がいて、私たちには無理だ。」彼らは約束を忘れ、主が共におられることも忘れていたのです(民数記13章、14章)。
  • 彼らは、モーセが自分たちと子どもたちを死なせるためにここへ連れてきたのだと非難しました。「彼らは自分の言葉に縛られてしまったのです。」その世代は四十年間、荒野にとどまりました。
  • 別の霊を持っていたヨシュアとカレブは、約束にしがみつきました。問題はそこにあるが、神が共におられるなら、私たちはやり遂げられる、と。二人は生き残り、その地に入りました。
  • エリコの前で、ヨシュアは途方に暮れていました。主の軍の将が、抜き身の剣を手にして彼の前に現れ、足から靴を脱ぐように、あなたの立っている所は聖なる場所だからと告げました(ヨシュア記5章13〜15節)。説教者によれば、それは主イエス・キリストであり、力によってではなく、主の助けによって進むようヨシュアを導かれたのです。
  • カレブは85歳のとき、自分は今もあの時と同じように強いと言い、巨人がいるにもかかわらず、あの山を自分に与えてほしいと願いました。巨人たちを打ち破ったのは彼です(ヨシュア記14章6〜12節)。
  • パウロは、詩を用いて互いに語り合うよう勧めています(エペソ人への手紙5章18〜19節)。その一つは、目を山に向けるけれども、助けは天地を造られた主から来ると歌います(詩篇121篇1〜2節)。また、ヤコブの神を助けとする人は幸いだとも歌われています(詩篇146篇5節)。

4. 証し:神が開いてくださった学位

  • Vito Celiaはレッジョ・カラブリアで建築を学び、三十科目の試験にすべて合格し、成績も良好でした。父親が退職を迎えたとき、父は建設会社を経営していましたが、彼は会社を閉じるのではなく、引き継ぐことを選びました。
  • 事業は成長し、その後、婚約、結婚、家庭、そして複数の教会と一つの宣教での主への奉仕が続きました。足りなかったのは卒業論文だけでした。
  • 年月が過ぎました。カリキュラムは変わり、教授たちはもういなくなり、事務局にはオンラインでしか連絡が取れなくなっていました。それでも彼は心の中で一度も「もうあきらめた」とは言いませんでした。「その時は来る、私はやり遂げる」と言い続けていたのです。
  • ある七月の日、レッジョ・カラブリアから電話がありました。「どうして卒業していないのですか。」大学の学生課の責任者で、彼の書類を手にしていた女性でした。
  • 彼女はパレルモの建築修復の教授を見つけ、教務課の扉を開き、遅延分の費用を計算させ、あとは署名するだけの学長宛ての書簡まで用意してくれました。「書簡は受理されました。論文を進めなさい。あなたは学位を取らなければなりません。」
  • 彼は学位を取得しました。その直後、この女性は退職しました。それが在職最後の時期だったのです。彼は献辞を記した聖書を持って彼女の自宅を訪ねました。「あなたは私にとって神の天使でした。」

5. 祈りの中で主を求める

  • この箇所はこうも言っています。知恵を呼び求め、悟りに向かって声をあげ、銀のように求め、隠れた宝のように探し求めるなら、と。これは探し求めることであり、祈りです。私たちは耳を傾けるだけでなく、主を呼び求めるよう招かれています。
  • ヨシャパテは、敵対する国々がユダに対して結束したとき、恐れました。しかし彼には秘訣がありました。戦いの行方は主にかかっているということです。彼は神の約束に立って祈り、どうしてよいか分からないが、目は神に注がれていると告白しました(歴代志下20章12節)。説教者にとって、ここは旧約聖書の中でも最も美しい章の一つです。
  • 神の霊が働き、ひとりの人が預言しました。この戦いはあなたがたのものではなく神のものである、と。彼らは持ち場について、じっと立ち、主が与えてくださる救いを見なさいというのです(歴代志下20章15〜17節)。
  • ヨシャパテは武器を配りませんでした。聖なる装束をまとった歌い手たちを先頭に立たせ、主の恵みはとこしえまで絶えないと宣言して主をほめたたえさせたのです。「戦いに臨む、不思議なやり方です。」
  • 彼らが歌い始めたその時、主は敵を混乱に陥れられました。虐殺の場となるはずだった谷は、祝福の谷となり、戦利品を集めるのに三日かかりました(歴代志下20章21〜26節)。

6. 証し:ボローニャでの二年間

  • 2021年8月から2023年8月まで、Vito Celiaはとても厳しい化学療法を受ける妻に付き添うため、ボローニャで暮らしました。仕事は辞めざるを得ませんでした。妻は彼に尋ねました。「あなたが働かなかったら、私たちはどうするの。」それでも彼女は言いました。「主が助けてくださるわ。」
  • それは祈りの時でした。毎朝、二人は詩篇か福音書の一節を読み、寄り頼むことのできる言葉を探しました。彼は夜中に起きて、主を呼び求めることも多くありました。
  • 彼は神の愛と、神の民の愛を知りました。信徒たち、教会、ローマの奉仕の仲間たちが、この二年間ずっと二人を支えてくれたのです。「神の民は、すばらしい民です。」
  • 12月のある日曜日、朝食の席に、ガスと電気の請求書、家賃、車の保険料が届きました。ちょうどその時、ひとりの兄弟から短いメッセージが来ました。「あなたのIBANを送って。」月曜日、必要な金額がそのまま入金されていました。その兄弟は必要を知らなかったのに。
  • また別のとき、郵便局で、わずかな貯金から250ユーロの請求書を払おうと順番を待っていました。列に並んでいると、通知が届きました。250ユーロ。「主よ、あなたです。」
  • 「主は彼女を天に迎えたいと望まれました。」妻は微笑みを浮かべ、深い平安のうちに旅立ちました。彼は、妻が主の平安と御前にあるという確信と、聖霊の慰めを受けました。生きるにしても死ぬにしても、私たちは主のものなのです(ローマ人への手紙14章8節)。

7. 正しさ:惜しまず与えることと、へりくだること

  • 助けは正しい人々に約束されています。「主の前で二重の態度をとることはできません。」そこには互恵の法則があります。与えなさい、そうすれば与えられる(ルカによる福音書6章38節)。
  • 困っている人を助ける気持ちがないまま、主の助けを期待することはできません。「神は惜しみなく与える心を愛されます。」貧しい者をあわれむ人は主に貸すのであり、主はその行いに応じて報いてくださいます(箴言19章17節)。
  • この寛大さは、教会への献金だけ、お金だけの話ではありません。心の支え、訪問、困っている人のための祈りも含まれます。「私たちは主から受けるだけの者ではいられません。」
  • 助けは、私たちがへりくだるときにも来ます。何者かであると思う人は、自分を欺いているのです(ガラテヤ人への手紙6章3節)。しかし神は、へりくだって心砕かれ、みことばにおののく人に目を留められます(イザヤ書66章2節)。主の前にへりくだりなさい(ヤコブの手紙4章10節)。
  • 必要なときに助けを受けるため、恵みの御座に近づかなければなりませんが(ヘブル人への手紙4章16節)、それは思い上がりであってはなりません。「私たちがへりくだらなければ、主は私たちを愛しておられるからこそ、私たちをへりくだらせられます。」
  • カナンの女は、娘を解放してほしいとイエスに願いました。イエスは、子どもたちのパンを取って小犬に投げてやるのはよくない、と答えられました。彼女は差別だと叫ぶこともできたでしょう。しかし彼女は「そのとおりです、主よ」と言い、パンくずで満足しました(マタイによる福音書15章21〜28節)。「あなたのパンくず一つは、この世の富よりも大きいのです。」
  • イザヤ書41章14節で締めくくります。神はヤコブの小さな虫に、恐れるな、わたしがあなたを助ける、と言われます。これが神の前での私たちの姿です。乏しく、もろい存在ですが、神は助けを約束してくださいます。

心に留めたいこと

  • 神はあなたを助けたいと願っておられます。そのしるしとして、私たちの性質を共にし、弱さに同情されるイエスを遣わされました。
  • 神の助けは、奇跡よりもむしろ、みことばを受け入れて守る人に与えられる知恵を通して来ることが多いのです。
  • あなたが口にする言葉は大切です。十人の斥候は自分の言葉に縛られ、ヨシュアとカレブは約束にしがみつきました。
  • ヨシャパテのような信頼に満ちた祈りは、虐殺の谷を祝福の谷に変えます。
  • 助けは正しい人に約束されています。それは、他の人に対して惜しみなく与え、神の前でへりくだる心です。

個人への適用

  1. 「神はどこにおられるのか」と問うとき、神に耳を傾けるのにふさわしい状態にあるかどうかも、自分に問いかけていますか。
  2. あなたの状況に対して、どんな言葉を口にしていますか。十人の斥候の言葉ですか、それともヨシュアとカレブの言葉ですか。
  3. 保留にしたままの計画はありませんか。それを祈りの中で主にゆだねることができますか。
  4. 今週、あなたの周りで助けや訪問や祈りを必要としている人は誰ですか。
  5. あなたは思い上がりをもって神に近づいていますか、それともカナンの女のようなへりくだりをもって近づいていますか。

引用された聖句

よくある質問

箴言2章7節の「正しい人々のために救いを蓄えておられる」とはどういう意味ですか。

Vito Celiaにとって、この節は約束です。主は私たちを助けたいと願っておられます。そのことは、私たちの性質を共にし、弱さに同情するために来られたイエス・キリストにおいて示されました。ただし、この箇所には条件があります。みことばを受け入れ、心に守り、知恵を求め、正しさのうちに歩むことです。

神の助けは、いつも奇跡の形で現れるのですか。

いいえ。説教者は、主の介入がいつも超自然的であるとは限らないと語りました。多くの場合、神は私たちの理解を照らし、知恵を与え、困難から抜け出す助けをしてくださいます。そのためには、みことばに注意深く耳を傾ける必要があります。

神の助けを待つとき、なぜ私たちの言葉が大切なのですか。

ヘブル人への手紙13章5〜6節によれば、神は私たちを見捨てないと言われ、私たちは確信をもって、主は私の助け手だと言えるからです。十人の斥候は敗北の言葉を口にして荒野で死にました。ヨシュアとカレブは約束にしがみつき、その地に入りました。

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