はじめに
心を強く揺さぶられて、大切な問いを自分に投げかけずにいられなくなる人生というものがあります。サラ・マーヴァンヌはこのメッセージを、1822年頃にメリーランド州で奴隷として生まれたハリエット・タブマンの物語から始めます。ある夜、この女性は北極星だけを頼りにたった一人で逃げ出し、ペンシルベニアにたどり着きます。彼女は自由を手に入れました。しかし、それを味わうだけでは終わらず、彼女は何度も引き返します。地下鉄道と呼ばれる秘密のルートを通して、彼女は数十人もの奴隷たちを一人も失うことなく北へと導きました。人々は彼女を「モーセ」と呼びました。怖くなかったのかと尋ねられたとき、彼女はこう答えています。「いいえ、私には神様と使命がありました。」このメッセージは、あなたにも同じ問いを突きつけます。あなたには神様がいますか、そしてあなたには使命がありますか。イエス様はあなたを赦しただけではありません。ただ命の書のリストに名前を加えるためではないのです。神様が赦すとき、神様は使命を与えます。神様が子として迎え入れるとき、神様は遣わすのです。
メッセージの構成
1. 二つの選択肢、そしてただ一つの本当の自由
- ハリエット・タブマンはこう言いました。「私にはこの二つのうちどちらかを選ぶ権利がありました。自由か、死か。片方が得られないなら、もう一方を選びます。」サラ・マーヴァンヌはあなたに同じ選択を突きつけます。ただし今度は、鎖は肉体のものではなく、罪の鎖です。
- イエス様ははっきりとこう言われます。「罪を犯す者はだれでも罪の奴隷です」(ヨハネ 8:34)。罪は人を孤立させ、罪に定め、御父の家の外へと閉じ込めてしまいます。
- 私たちはしばしば、自分は「殺人者でも小児性愛者でもないから」罪とは無縁だと考えてしまいます。しかし「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けることができず」(ローマ 3:23)とあります。これは過ちの積み重ねではなく、人間そのものの本質なのです。
- 病んだ木のたとえ話を考えてみましょう。腐ったリンゴを一つずつもぎ取っても、木そのものは癒やされません。命の木であられるお方によって根そのものが変えられない限り、どれほど努力しても悪い実を結び続けてしまうのです。
- 大きすぎる罪も、太すぎる鎖もありません。今日という日が、あなたにとってのペンシルベニアなのです。
2. 「私には神様がいる」:すべては出会いから始まる
- 使命の前に、出会いがあります。ハリエットはまず「私には神様がいた」と言い、それから「私の使命があった」と言いました。この順序を逆にすることはできません。
- 「もしあなたがたがわたしのことばにとどまるなら、あなたがたは本当にわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ 8:31-32)。人を自由にできるのは真理だけです。
- 多くの誤った考え方は、御言葉を知らないところから生まれます。聖書をあなたの最も大切な宝物にしてください。生きるため、そして使命を果たすために必要なすべての知識が、そこに記されています。
- イエス様は肉体をとられた御言葉です。聖書に深く入り込めば入り込むほど、あなたはイエス様を人格的に知るようになります。そして、あなたのうちにある御霊が、他のだれにもできないことを行ってくださるのです。
- ハリエット・タブマンにとって最良の味方は、自由への道を共に歩んでくださった聖霊でした。イエス様は今、肉体をもってあなたのそばにはおられませんが、あなたを孤児にしないために御霊を送ってくださいました(ヨハネ 14:16-18)。
3. 「そして私の使命」:神様が赦すとき、神様は使命を与える
- サラ・マーヴァンヌは繰り返し強調します。「神様が赦すとき、神様は使命を与えます。神様が子として迎え入れるとき、神様は遣わすのです。」神様はあなたをただリストに加えただけではありません。あなたをご自分の息子、娘とし、あなたと手を取り合って働きたいと願っておられるのです。
- 家業のたとえを考えてみましょう。大工の祖父が孫に道具の使い方を教え、小さな仕事を任せ、やがてより大きな仕事を任せていきます。神様は、あなたを育て、少しずつ大きな働きを託すことを喜びとしておられます。
- 神様は、暖炉の前に座って物語を聞いているだけの子どもを必要としてはいません。神様は、ご自分の物語の登場人物として、子どもたちに実際に動いてほしいと願っておられます。
- 聖書に登場する遣わされた人々:イエス様(十字架)、アダムとエバ(治め、増え広がる使命)、ノア(箱舟)、アブラハム(故郷を離れる使命)、モーセ(民をエジプトから導き出す使命)、ヨシュア(約束の地を征服する使命)、バプテスマのヨハネ(道を備える使命)、使徒たち(福音を宣べ伝える使命)、エステル(民を救うために王妃の地位に就く使命)。
- 現代の遣わされた人々:ハリエット・タブマン、ラインハルト・ボンケ(アフリカがイエス様の血によって洗われる姿を見た人)、マザー・テレサ(最も貧しい人々の中でイエス様に仕えた人)、マーティン・ルーサー・キング(キリストの愛に基づく正義を語った人)、マリー・デュラン(信仰を否むことを拒み、エーグ・モルトのコンスタンス塔に38年間投獄された人)。
- 問いは、あなた自身のものになります。あなたの使命は何ですか。他のだれかのものではなく、あなた自身の使命です。
4. 従順か肥満か:御言葉は実践されるためにある
- 使命は、御言葉を実践するときにのみ見出されます。「神の前で義と認められるのは律法を聞く者ではなく、律法を行う者だからです」(ローマ 2:13)。
- サラ・マーヴァンヌは言葉遊びをします。フランス語で「従順(obéissance)」と「肥満(obésité)」は響きが似ています。私たちはメッセージの上にメッセージ、預言の上に預言を食べ続けながら、少しも動かず「霊的な肥満」になってしまうことがあります。私たちは肥満になるためではなく、従順になるために召されているのです。
- 「御言葉を聞くだけで実行しない者がいるなら、それは、鏡に自分の生まれつきの顔を映して見る人のようです。彼は自分の姿を見ても、そこを立ち去ると、それがどのようであったかをすぐに忘れてしまいます」(ヤコブ 1:23-24)。実践を伴わずに聞くことは、自分自身の顔を忘れてしまうことなのです。
- 日曜日に教会へ来て、その後は自分の好きなように一週間を過ごすなら、あなたの使命を生きることにはなりません。聞くだけにとどまることは、実を結ばない信仰を生きることです。
- 気をつけたいのは「宗教的な罪」です。それは批判し、断罪し、裁くこと、そしてまるで霊的なグルメ評論家のように教会を渡り歩くことへと人を駆り立てます。あなたが自分の使命を見出したなら、もうそんなことをしている時間はありません。
5. 「さあ、今、行きなさい」:神様はあなただけの使命を託される
- あなたはもしかすると、ビジネスや影響力のある立場に立つ人として、闇の中に光を求める人々のいる分野に召されているのかもしれません。もしかするときらびやかさとうつの入り混じる世界で働く芸術家かもしれません。もしかすると、孤立した人々のもとへ赴き、体を癒やし、命のパンを届ける医師かもしれません。
- サラ・マーヴァンヌは、あなたの使命が何であるかを知っているとは言いません。しかし一つのことをはっきりと語ります。神様はあなたを召しておられます。御言葉はあなたを促します。「さあ、今、行きなさい。わたしはあなたを遣わす」(出エジプト記 3:10)。「強くあれ。雄々しくあれ……あなたの神、主はあなたがどこへ行くにも共にいる」(ヨシュア記 1:9)。「わたしがあなたを遣わすすべての者のところに行き」(エレミヤ書 1:7)。「あなたが王妃の位に就いたのは、もしかすると、このような時のためではないか」(エステル記 4:14)。「神である主の霊が私の上にある……心の打ち砕かれた者を癒やすために」(イザヤ書 61:1)。
- 自分の使命のために生きるとき、あなたはもはや自分自身のためだけに生きているのではありません。あなたは他の人々のために存在するようになります。そしてそれ以上に美しい人生はありません。貧しくても、富んでいても、あなたはそこで最も幸せな人になるのです。
- いつも不満を抱え続けることをやめましょう。うまくいかないことばかり指摘するのをやめましょう。袖をまくり上げましょう。神様があなたを置かれたその場所で、御国のために汗を流しましょう。
- いつかあなたも、こう言えるようになりますように。「私は怖くありません。私には神様と使命があります。」
大切なポイント
- 本当の自由は、あなたの努力から始まるのではなく、あなたの根そのものを変えることのできる唯一のお方、イエス・キリストとの出会いから始まります。
- 「私には神様がいる」は、常に「私の使命がある」よりも先に来ます。御言葉を通した神様との親密な関係なしには、あなたが造られた目的を見出すことはできません。
- 神様が赦すとき、神様は使命を与えます。神様はあなたをただ命の書に記しただけではありません。神様と共に成し遂げるべき、あなただけの働きを託しておられます。
- 実践を伴わずに御言葉を聞くことは、「霊的な肥満」になることです。使命は積み重ねの中にではなく、従順の中に現れます。
- あなたの使命はあなただけのものです。仕事の中で、家庭の中で、住んでいる地域の中で、あるいは世界の果てで。批評家の姿勢を捨て、立ち上がりましょう。
自分への適用
- あなたは今日、「自由」でしょうか、それとも「奴隷」でしょうか。目に見える鎖であれ、隠れた鎖であれ、イエス様はあなたの人生の根を変えるために、どんな鎖を差し出すよう招いておられますか。
- あなたは正直に「私には神様がいる」と言えますか。日曜の朝以外の日々の中で、御言葉は実際にどれほどの場所を占めていますか。
- もし今日、神様があなたに託しておられる使命を一つだけ挙げるとしたら、それは家庭の中、仕事の中、あなたの身の回りの中、どこにあるでしょうか。
- あなたはどちらかというと「聞く」ことにとどまっていますか、それとも「実践する」ことをしていますか。神様は、今週こそあなたが行動に移すことを、どんな最近のメッセージを通して待っておられますか。
- あなたが仕える者ではなく批評家になってしまっている領域はありませんか。明日から、それをどんな具体的な取り組みに置き換えられるでしょうか。
引用された聖句
- ヨハネ 8:31-34
- ローマ 3:23
- ローマ 2:13
- ヤコブ 1:22-24
- ヨハネ 14:16-18
- 出エジプト記 3:10
- ヨシュア記 1:9
- エレミヤ書 1:7-8
- エステル記 4:14
- イザヤ書 61:1
よくある質問
自分の使命が何かを、どうすれば知ることができますか。
サラ・マーヴァンヌは魔法の公式を示すのではなく、一つの道筋を示してくれます。「私には神様がいる」は、常に「私の使命がある」よりも先に来るのです。御言葉にとどまり、聖霊にあなたを形づくっていただき、すでに理解していることを実践に移してください。使命は、待っているうちに空から舞台装置が降ってくるようにして見出されるのではなく、歩みの中で明らかになっていきます。神様はあなたを「母の胎の中で織り上げ」(詩篇139篇)、すでに書かれた物語を持たせてくださいました。小さなことに従順であることを通して、より大きなことを託されるのです。
教会に対して、関わるよりも批判的になってしまっているとき、どうすればいいですか。
このメッセージは、この落とし穴を「宗教的な罪」と呼んでいます。それは、裁き、断罪し、まるで霊的なグルメ評論家のように教会を渡り歩くことへと人を駆り立てるものです。サラ・マーヴァンヌははっきりとこう言います。そうした人々は退屈しており、退屈しているからこそ批判するのだと。解決策は、より上手に議論することではなく、自分の使命を見出すことです。御国のために働くとき、あなたにはもう日曜のメニューをあれこれ品定めしている時間はなくなります。
周りの人に対しておおむね良いことをしているなら、私は本当に「罪人」なのでしょうか。
サラ・マーヴァンヌは病んだ木のたとえで答えます。腐ったリンゴを一つずつもぎ取っても、木そのものは癒やされません。罪とは、まず何よりも重い過ちの積み重ねではなく、私たち一人ひとりのうちに生まれつき存在する、傷ついた本性そのものです。「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けることができず」(ローマ 3:23)とあります。良い知らせは、イエス様があなたの根そのものに取って代わりたいと願っておられるということです。そうすれば、あなたの人生はついに良い実を結ぶようになります。もはや自分の努力によってではなく、イエス様によってです。
メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。