携挙、審判台、婚宴:天で待っているもの

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はじめに

終わりの時について耳にすると、すぐに頭の中がごちゃごちゃになってしまいますよね。携挙、患難、主の再臨、婚宴、イスラエル、教会…。ゲスト説教者のジャン・クロード・ヴィラ先生が、Momentumで一つひとつのピースを丁寧に整理してくれます。あなたを怖がらせるためではなく、教会の携挙のすぐ後に何が待っているのかを見せてくれるためです。キリストの審判台、報い、そして子羊の婚宴です。

話の筋はシンプルです。キリストはまず、明けの明星のようにひそかに、ご自分の教会を迎えに来られます。私たちは大患難の前に携挙されます。そして地上がダニエル書や黙示録が告げる出来事を通過している間、私たちは天でキリストの前に立ち、冠を受け、子羊の婚宴を祝うのです。このメッセージは、この天における一連の出来事をひも解きながら、そこに加わる唯一の条件が新しく生まれることだと、あなたに思い出させてくれます。

メッセージの概要

1. 教会の携挙:千年王国前再臨説、患難前携挙説

  • 主がご自分の教会を迎えに来られることは、主が地上に目に見える形で再臨されることとは違います。
  • 携挙は患難前的です。教会は大患難の前に、千年王国の前に携挙されます。
  • 患難そのものは、実はすでに始まっています。イラン(新しく生まれたクリスチャンが100万人)、中東、北アフリカ、コートジボワール。
  • パウロはこう思い起こさせてくれます。「神は私たちを怒りに定めず、救いにあずからせるように定められた」と。
  • ヨハネ14章3節でこう約束されました。「わたしはまた来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます」。

2. ひそかで、選ばれた者だけに、そして突然に

  • ひそかに:キリストは明けの明星(黙示録22章16節)のように来られます。早起きしなければ見えない星です。
  • 選ばれた者だけに:主に属する者、新しく生まれた者だけが携挙されます(ヨハネ5章29節)。
  • 突然に:「一瞬のうちに、またたく間に、終わりのラッパとともに」(コリント人への第一の手紙15章52節)。
  • イエスは「準備しなさい」ではなく「用意していなさい」と言われます。この違いは大きいのです。体制を整える猶予はありません。
  • 「携挙される」と訳されるギリシャ語は、つかまれる、引き上げられる、奪い取られるという意味です。暴力的なことは何もなく、すべては突然です。

3. キリストの審判台:ベーマであって、断罪ではない

  • 「私たちはみな、キリストの審判台の前に現れなければならない」(コリント人への第二の手紙5章10節)。パウロはすでに信じている人たちに書いているのであって、まだ救われていない人たちにではありません。
  • ギリシャ語の「ベーマ」は演壇を指し、古代の競技会で勝者が冠を受け取った台のようなものです。
  • これは断罪の裁きではありません。「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない」(ローマ人への手紙8章1節)。
  • あなたは栄光を受けたよみがえりの体で立ち、あなたが行ったこと、あなたがどうであったかがすべて光のもとに明らかにされます。
  • 目的は罰することではなく、報いに値するものを光のもとに示すことです。

4. 金、銀、宝石か、それとも木、草、わらか

  • パウロは、イエス・キリストという唯一の土台の上に、二種類の材料で建てることができると書いています(コリント人への第一の手紙3章)。
  • 金、銀、宝石:主への愛から、純粋な動機によってなされたわざです。
  • 木、草、わら:外見は立派でも、人に見られるため、自分の栄光のためになされたわざです。
  • 審判台の火は、神の前に価値のないものを焼き尽くします。それを通っても構いません。あなたは救われていて、そこにいるのですから。
  • 裁きが問うのはわざの大きさではなく動機です。「よくやった。良い忠実なしもべだ」。

5. 何が調べられるのか:わざ、奉仕、財産、忠実さ

  • わざ:「その行いは彼らについて行く」(黙示録14章13節)。わざはあなたより先に行くのではなく、あなたに追いついてくるのです。
  • すべての人の奉仕、説教者だけではありません。誰もが与えられた賜物をもって仕えるように召されています(ペテロの第一の手紙4章10節)。
  • 財産の使い方:「なくならない財布を、自分のために造れ」(ルカによる福音書12章33節)。
  • 迫害の中での揺るぎなさと希望(マタイによる福音書5章11、12節)。
  • 忠実さ:「管理者に要求されるのは、忠実であることである」(コリント人への第一の手紙4章2節)。
  • 今日から、キリストの体である教会の中で、まず自分自身を裁くこと(コリント人への第一の手紙11章28~31節)。

6. 冠:名誉のしるしであって、決して王権のしるしではない

  • ギリシャ語は「ステファノス」(勝利者の冠)であり、「ディアデマ」(王の印、黙示録19章でキリストにのみ用いられる)ではありません。
  • 試練に耐え忍ぶ者への命の冠(ヤコブの手紙1章12節)。
  • 主の来られることを慕い求めた者への義の冠(テモテヘの第二の手紙4章8節)。
  • 戦いに踏みとどまった者への朽ちない冠(コリント人への第一の手紙9章25節)。
  • 大牧者が現れるときに与えられる栄光の冠(ペテロの第一の手紙5章4節)。
  • では、これらの冠をどうするのでしょうか。私たちは御座の前に投げ出します(黙示録4章10節)。すべての栄光はキリストに帰されるのです。

7. 子羊の婚宴:キリストとその教会

  • 「子羊の婚礼の時が来て、花嫁の用意ができた」(黙示録19章7、8節)。キリストの審判台こそ、この用意にほかなりません。
  • 花嫁には輝く清い麻布をまとうことが許されました。それは、審判に合格した聖徒たちの正しいわざです。
  • 麻布はしわにならないもの。神は私たちに、最高のもの以外を与えられるはずがありませんでした。
  • 婚宴は審判台の後、天で行われます。キリストが地上に戻られるとき、すでに花嫁を伴って来られます(黙示録19章14節)。

8. イスラエル、教会、そして祝宴:混同してはいけない

  • 聖書の中で、神には花嫁がいます。それはイスラエルです(ホセア書)。そしてキリストにも花嫁がいます。それは教会です。
  • 子羊の婚宴とは、キリストと教会との天における結婚です。
  • 婚宴の祝宴のほうは、千年王国の間に地上で行われ、イスラエルにかかわるものです(イザヤ書25章6、7節)。
  • 十人のおとめのたとえ(マタイによる福音書25章)は、教会について語っているのではありません。私たちは花嫁付き添いの娘たちではなく、花嫁そのものなのです。
  • 教会は、旧約の預言者たちには隠されていた奥義であり、パウロによって明らかにされました(エペソ人への手紙3章3~6節)。
  • 婚宴に加わるための条件はただ一つ、新しく生まれることです。教会員であるというだけでは足りません。

心に留めておきたいポイント

  • 教会の携挙は大患難に先立ちます。神はあなたを怒りに定めてはおられません。
  • イエスは「準備しなさい」ではなく「用意していなさい」と言われます。体制を整える猶予はありません。
  • キリストの審判台は断罪の裁判ではなく、神の子どもたちのための報いの演壇です。
  • 調べられるのは、わざの大きさではなく、心の動機です。
  • 冠は王権のしるしではありません。私たちはそれを主の足元に置くのです。
  • キリストの花嫁は教会であり、神の花嫁はイスラエルです。預言を読むとき、この二つを混同しないでください。
  • この一連の出来事に入るために必要なことはただ一つ、新しく生まれることです。

あなた自身への適用

  1. もし今この瞬間に携挙が起こったとしたら、あなたは用意ができていますか。それとも、まだ時間があると思っていませんか。
  2. 神のためにしていることを振り返るとき、その本当の動機は何ですか。愛による奉仕でしょうか、それとも人からの評価でしょうか。
  3. あなたのクリスチャン生活の中で、心が伴っていなかったために火で焼かれてしまうかもしれない、見た目だけのわざはありませんか。
  4. あなたは主の来られることを慕い求めている一人ですか。それとも、再臨のことを考えると心が落ち着かなくなりますか。
  5. あなたの周りで、手遅れになる前に、今週具体的にキリストについて語ることができる相手は誰ですか。

引用聖句

よくある質問

教会の携挙は大患難の前に起こるのですか、それとも後ですか

ここで語られている患難前携挙説の読み方によれば、教会は大患難の前に携挙されます。パウロはテサロニケ人への手紙の中で、私たちは怒りにではなく、救いを得るために定められていると書いています。患難そのものはすでに始まっています(イラン、中東、北アフリカでのクリスチャン迫害)が、大患難は教会の携挙の後に地上に臨みます。

キリストの審判台は断罪の裁きなのですか

いいえ、違います。ヨハネ5章24節ではっきりと、ご自分を信じる者はさばきに会うことなく、死からいのちに移っていると言われました。キリストの審判台(ギリシャ語でベーマ、報いのための演壇)は、あなたが行ったこと、あなたがどうであったかがすべて明らかにされる場所ですが、それはあなたを断罪するためではなく、残るもの(良い動機による金、銀、宝石)と、焼き尽くされるもの(悪い動機による木、草、わら)とを見分けるためです。

子羊の婚宴とイスラエルとの違いは何ですか

聖書の中で、神には花嫁がいます。それはイスラエルです。そしてキリストにも花嫁がいます。それは教会です。子羊の婚宴は、キリストの審判台の後、天でキリストと教会との間で行われます。婚宴の祝宴のほうは、千年王国の間に地上で行われ、主の再臨に招かれるイスラエルにかかわるものです(イザヤ書25章6、7節)。教会は十人のおとめのたとえに出てくる花嫁付き添いの娘たちではなく、花嫁そのものなのです。

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