はじめに
三日間のリバイバルキャンプを終えて、イヴァン・カスタヌ使徒は、ICCモントリオールでのADN 2025記念礼拝を、思いがけないメッセージで締めくくりました。彼は教えるつもりはありませんでした。ただ感謝をささげたかっただけでした。しかし御霊が彼を捉え、多くの人がこのキャンプの核心として受け止めたメッセージを語ることになりました。パウロはテモテに、「その預かりものを守りなさい」と言っています。あなたは今まさに、神との濃密な時を過ごしてきました。種を受け取り、油そそぎを受け取り、啓示を受け取りました。そして今度はどうするのでしょうか。来週になってもこの火が消えないようにするには、どうすればよいのでしょうか。聖霊があなたの内側に置いてくださったものを、サタンに奪い返されないようにするには、どうすればよいのでしょうか。
このメッセージは、いわば使用説明書です。センセーショナルなものでも、魔法のレシピでもありません。ただひとつの指針があります。それは、自分に厳しくなる、ということです。預かりものを守りたいなら、あなたの内側の水準が上がらなければなりません。この記事は、この日曜の朝、モントリオールで語られたメッセージを忠実にまとめたものです。
説教の概要
1. 預かりもの:あなたが受け取ったもの
- パウロはテモテにこう書いています。「その預かりものを守りなさい」(テモテへの手紙二1章14節)。預かりものとは、聖霊によって託された恵み、啓示、油そそぎのことです。
- この宝は、土の器の中に納められています(コリントの信徒への手紙二4章7節)。あなたの弱さは、その中身の価値を無効にするものではありません。
- リバイバルキャンプは、三日間の高揚感ではなく、三日間の高間(屋上の間)なのです。ひとつの種が蒔かれました。
- サタンはあなたが何を受け取ったかを知っており、それを取り返そうとあらゆる手を尽くします。戦いはキャンプの間ではなく、今から始まるのです。
2. 自分への要求水準を高める
- 聖霊は、最も偉大な国家元首です。国家元首を迎えるとき、まず家が整えられていないということはありません。
- 軽薄な会話、中身のない冗談、批判、中傷を断ちなさい。人の悪口を言う輪からは、物理的に距離を置きなさい。
- 御霊の思いではない考えを抱き、それを許容した瞬間、御霊は退かれます。御霊はあなたから離れることはありませんが、その臨在は退いていきます。
- この厳しさは律法主義ではありません。あなたのもとに住まわれる方への、当然払うべき敬意なのです。
3. 行動の前に、思いを処理する
- 思いとは、声に出さない言葉です。神を知ることに逆らうあらゆる思弁の背後には、ひとつの霊が働いています(コリントの信徒への手紙二10章5節)。
- イヴァン・カスタヌはこう語ります。飛行機の中で、彼は見知らぬ人に、自分が尊敬しているある牧師には知恵が必要だ、とつい漏らしてしまいました。すると聖霊はすぐさま彼を止められました。「あなたは今、自分自身の人生の中で育っていく種を蒔いたのだ。」
- もうひとつの証しです。批判的なある牧師が建物を購入したと知り、彼は内心で不満をつぶやきました。すると御霊はこう答えられました。「もしこの牧師が倒れたら、どれほど多くの人が信仰を捨てることになるだろうか。」彼はその牧師のために祈り、批判の思いは思いやりへと変わりました。
- 思いを処理しなさい。そうすれば、行動に転じることはありません。
4. 鷲と鶏
- 鶏の次元に戻ってはいけません。あなたは鶏ではなく、鷲なのです。
- 鷲は高い場所に住みます。鷲は鶏たちの承認を求めることなく、孤独の中でも安らいでいます。
- メッセージの中の祈りです。「人の承認を求めさせないでください。花婿を喜ばせるために生きさせてください。」
- エフェソの信徒への手紙3章。キリストの愛の、広さ、長さ、高さ、深さを知り、神の満ち満ちた豊かさにまで満たされること。
5. 花嫁と燃える火
- クリスチャン生活は、結婚にたとえられます。花婿とのひとつになる交わり、花婿への明け渡しです。
- 「焼き尽くしてください」と繰り返される祈りです。苦味、拒絶感、妬み、高ぶり、みだらな思い、貪欲、批判、中傷、キリストに逆らう思考の体系を焼き尽くしてください、と。
- ねたむ神は、あなたをご自分のためにまるごと守られます。目指すのは、霊的な姦淫の生活ではなく、聖さの生活です。
- コリントの信徒への手紙一7章。結婚している女性は、夫を喜ばせることに心を配ります。霊的な花嫁は、キリストを喜ばせることに心を配るのです。
6. ひとつの運命を宿して
- 種を受け取った者は、今やひとつの運命を、ひとつの重荷を宿しています。妊娠した女性は食生活を変えます。あなたも、霊的に何を食べているか、すなわち、あなたの言葉、会話、音楽を変えてください。
- 軽薄さ、妥協、凡庸さの週末は、これで最後だったのです。
- 説教者からの預言的な言葉です。「これから三年のうちに、あなた自身も見分けられないほどのあなたの姿が現れるでしょう。あなたの人生は、人々のうらやみの的となるでしょう。」
7. 新しい種類の男女
- 「それが普通だ、誰もが落ち込んでいるものだ」という声に対して、使徒はこう答えます。「異議あり。神の恵みだけによって、そのような感情を経験しない一群の男女が存在するのだ。」
- 彼らは攻撃されても、ヨブの妻のように嘆いたりはしません(「神をのろって死になさい」、ヨブ記2章9節)。彼らは感謝をもって自分の必要を神の前に差し出し(フィリピの信徒への手紙4章6〜7節)、満たされて出てくるのです。
- 彼はこの人々をこう呼びます。揺るがない者たち、比類なき者たち、止められない者たち、無敵の者たち、闇の王国にとっての悪夢、サタンののどに刺さった骨。
8. 弟子をつくること:種が根づいた証し
- イエスはシモン・ペトロにこう言われました。「わたしを愛しているか。わたしの羊を飼いなさい。わたしの小羊を飼いなさい」(ヨハネによる福音書21章)。
- 神があなたの内側に種を蒔かれたことの証しのひとつは、あなたが人を生み出したいという願いに捉えられることです。それは魂を得ることだけでなく、弟子をつくり、彼らを成人した者の背丈にまで導くことです(エフェソの信徒への手紙4章)。
- 子どもを産みながら、それを見捨て、物乞いやさすらいの身にしてしまうとしたら、それは何という悲劇でしょうか。
- 弟子をつくるとは、人に命令することではありません。人のために死ぬことです。いのちを刈り取るために、自分自身のいのちという種を蒔くことです。
- あなたにとって最大の祝福とは、人々のことです。「見よ、子らは主から賜る嗣業、胎の実は報いである」(詩編127編3節)。
9. あなたに接ぎ木された神の心
- 神の心があなたの内にあるなら、教えられなくても、十分の一をささげるべきだと分かります。父と母を敬うべきだと分かります(出エジプト記20章12節、エフェソの信徒への手紙6章2〜3節)。
- ダビデは神の心を持っていました。彼はサウルに手をかけず、自分の部下たちにも権威者を悪く言うことを禁じました(サムエル記上24章)。逃亡する前に、彼は自分の父母を託しました(サムエル記上22章3〜4節)。
- ヨセフは兄弟たちを赦しました(創世記45章)。
- ヨハネの手紙一5章3〜5節。「神を愛するとは、神の掟を守ることです。しかも、神の掟は難しいものではありません。神から生まれた者はみな、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それがわたしたちの信仰です。」
- 種蒔きのたとえ(ルカによる福音書8章)。正直で良い心は、忍耐をもって実を結びます。預かりものを守るのは、まさにこのような心なのです。
覚えておきたいポイント
- リバイバルの時に受け取った預かりものは、当然与えられたものではありません。サタンはそれを取り返そうとあらゆる手を尽くします。自分に厳しくなりましょう。
- 霊的な戦いは、まず思いのレベルで勝ち取られます。思いを処理すれば、行動に転じることはありません。
- あなたは鶏ではなく、鷲です。下の世界に生きる人々の承認を求めることを、やめましょう。
- 弟子をつくることは、専門家だけの選択肢ではありません。それは、種があなたの内側で根づいた証しなのです。
- 影響力は、命令によってではなく、死によってもたらされます。天は、誰かを通して開かれるのです。
個人へのあてはめ
- あなたの内におられる聖霊の臨在を敬うために、今週断つべき会話、活動、あるいは交友関係は何ですか。
- あなたが黙って許容し、あなたを引き下ろしている、繰り返し現れる三つの思いは何ですか。それが現れたその瞬間に処理するとしたら、あなたはどうしますか。
- あなたは、人の承認と花婿の喜び、どちらをより求めていますか。それはあなたのスケジュールの中に、具体的にどう表れていますか。
- 命令するのではなく、霊的に成人した者の背丈に達するまでその人のために死ぬつもりで、弟子として育て始められる二、三人の人は誰ですか。
- あなたは今日、たとえ両親が難しい人であっても、本当に父母を敬っていますか。今週、どのような具体的な行動を取ることができますか。
引用された聖句
- テモテへの手紙二1章14節 その預かりものを守りなさい
- コリントの信徒への手紙二4章7節 土の器の中の宝
- コリントの信徒への手紙二10章5節 あらゆる思弁を打ち破ること
- フィリピの信徒への手紙2章6〜11節 キリストはご自分を無にされた
- ヨハネによる福音書21章15〜17節 ペトロよ、わたしを愛するか、わたしの羊を飼いなさい
- ヨハネの手紙一5章3〜5節 神の掟は難しいものではない
- ルカによる福音書8章4〜15節 種蒔きのたとえ
よくある質問
リバイバルの時に、本当に「預かりもの」を受け取ったかどうか、どうすれば分かりますか。
預かりものは、その結果によって見分けられます。神の臨在への新たな渇き、以前は平気だった罪を、もはや我慢できなくなること、仕えたい、弟子をつくりたいという願いです。もしキャンプから三週間後のあなたが、その三週間前とまったく同じように生きているなら、何かが失われたか、あるいは守られなかったということです。
悪い思いを許容すると、なぜ聖霊は「退かれる」のですか。
あなたが神の子であるなら、聖霊があなたを見捨てることはありません。しかし、御霊の現れとしての臨在は、御霊にどれほど敬意を払っているかに比例します。あなたが受け入れ、育ててしまう批判、欲望、中傷の思いは、御霊がそっと退いていくような環境を作り出してしまいます。思いが現れたその瞬間にそれを処理すれば、御霊の臨在は戻ってきます。
弟子をつくることは、すべてのクリスチャンのためのものですか、それとも牧師だけのためのものですか。
マタイによる福音書28章の使命は、牧師だけでなく、すべての弟子に与えられています。このメッセージの中で、カスタヌ使徒はとても明確に語っています。人を生み出したい、誰かを成熟にまで導きたいという願いは、神の種が生きて働いているすべての信者にとって、当たり前のしるしなのです。もしその願いがあなたの内に燃えていないなら、まだ受け取るべき預かりものがあるということです。
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