はじめに
エバという名前を聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべますか。アダムの妻、最初に造られた女性。けれども、最初に罪を犯した人でもあります。カインとアベルの母であり、その家族の中で人類最初の殺人が起こりました。井上輝子宣教師も、エバにあまり良い印象を持っていない人は多いと認めています。
大阪オンヌリキリスト教会の水曜女性礼拝で、井上宣教師は今回、聖書の中の女性たち、とりわけエバに目を留めたいと願いました。創世記2章18〜25節と3章20節から、エバを三つの面で見つめます。神に造られた助け手、罪を犯した女性、そして命を生み出す母です。
メッセージは、夫婦のこと、家庭のこと、そして多くの女性が抱えている傷について語られます。最後は、隣の人に向かって言ってほしいという一言で結ばれます。「あなたは祝福の源です。」
メッセージの流れ
1. 人がひとりでいるのは良くない
- 神はアダムがひとりでいるのをご覧になって言われました。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」(創世記2:18)。
- 神はまず、動物や鳥たちをアダムのところに連れて来られ、アダムはそれらに名をつけました。
- 動物は鳴き声を出しますが、アダムと会話することはできません。心を分かち合うことはできないのです。
- うちの犬は私の気持ちをわかってくれる、と言う人もいるでしょう、と井上宣教師は微笑みます。でも、犬と本当に言葉を交わすことはできません。
- そのどれによってもアダムの心は満たされませんでした。「人にはふさわしい助け手が見つからなかった」(創世記2:20)。
2. 対等で尊い助け手
- 神はアダムを深い眠りに落とし、あばら骨の一つを取って、それで女を造られました(創世記2:21-22)。
- 頭の骨でも足の骨でもありません。女性は男性の上に立つ者でもなく、踏みつけられる者でもありません。男性と対等なのです。
- 井上宣教師は、ほかの講師から聞いたたとえを紹介します。男は土のちりから造られたので陶器、女は骨から造られたのでボーンチャイナ、つまり白磁です。さて、どちらが高価でしょうか。
- 男が先に造られましたが、女が劣っているわけではありません。女は尊い、価値ある存在として造られました。ただし、と井上宣教師は付け加えます。創造の秩序に従って、妻は主に従うように夫に従うとも書かれています(エペソ5:22)。
- 「助け手」と訳されたヘブライ語のエゼルは、助けに来てくださる神ご自身にも使われる言葉です。助け手であることは弱いことではありません。力があるからこそ、相手を支えることができるのです。
- プロ野球で、チームが助っ人の外国人選手を迎えるとき、弱い選手を選ぶことはありません。チームを助けるために、力のある選手を呼びます。
3. ひとつの体、恥も競争もない関係
- アダムは叫びます。「これこそ、ようやくわたしの骨の骨、わたしの肉の肉」(創世記2:23)。自分にふさわしいパートナーにようやく出会えた喜びです。
- 女性は、テレビを見ながら、子どもと話しながら、明日の予定を考えながら料理をすることができます。男性は一つのことに集中します。夫が何かに没頭していると、私が話しかけても聞こえていないんです、と井上宣教師は笑いながら話します。
- 男性が劣っているということではありません。神がそのように造られたのであり、この違いがあるからこそ、女性は男性の助け手になれるのです。
- 「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」(創世記2:24)。二人は互いの弱さを補い合い、体も心も一つになります。
- 「人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった」(創世記2:25)。罪を犯す前、二人には隠すものがなく、互いを信頼していました。勝ち負けの関係ではなかったのです。
- それなのに夫婦の間では、すぐに競争が始まります。「私のほうが正しい」と。井上宣教師の家庭の例です。お皿洗いは誰がするのか。メッセージの準備をして時間がないのに、それでも料理をして、夫がお皿を洗わないことを責めたくなります。夫は、自分も週に何度も説教していると答えます。でも、洗ってくれることもあるんですよ、と笑いながら付け加えます。「名誉回復です。」
- もし言い方を変えて、主張せずにこう言ったらどうでしょう。「忙しいのはわかっているし、悪いと思うけれど、お皿を洗ってくれたら本当に助かるわ。」夫の反応はきっと違うでしょう。責めるのではなく、相手を理解し、傷つけないようにお願いするのです。
4. みことばへの疑いが入り込むとき
- 蛇は、エバがひとりになるのを待って話しかけます(創世記3:1)。
- 神は、一本の木を除いてどの木からも食べてよいと言われていました。蛇はそのみことばをねじ曲げます。「園のどの木からも取って食べてはならないと、ほんとうに神が言われたのですか」。
- 蛇は神への疑いを起こさせようとしています。サタンは、人が神のみことばを疑い始めるとき、罪を犯すことを知っているのです。
- エバは、神が言わなかったことを付け加えて答えます。「それに触れてもいけない。死んではいけないから」(創世記3:3)。けれども神ははっきり言っておられました。「それを取って食べると必ず死ぬであろう」(創世記2:17)。
- エバが疑い始めるやいなや、蛇は神のみことばを真っ向から否定します。「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。[...]神のように善悪を知る者となる」ことを、神は知っておられるのです(創世記3:4-5)。
- 神のようになりたいと願い、善悪を自分で判断し、神に従うよりも自分の考えで行動すること。それこそが「私たちの罪の姿そのもの」だと言います。
5. いのちの木か、善悪を知る木か
- 蛇の言葉を信じたエバは、その実が食べるによく、目に美しく、人を賢くするようで好ましいと見ます。そして食べてしまいました(創世記3:6)。
- エバの罪はそれで終わりません。アダムにも与えたのです。ひとりで食べたことが怖くなって、道連れが欲しかったのかもしれません。
- アダムは断らず、抵抗もせずに食べました。エバに引っ張られていたのでしょうか。それはわかりません。けれども、これは創造の秩序に反しています。男性が神のみことばに従い、女性が夫に従うとき、従順の祝福が神から流れてくるのです。
- ここでは、エバがサタンの言葉に従い、男性は妻の言うことを聞いて罪を犯しました。井上宣教師は、妻の言うことを聞くこと自体は罪ではないと付け加えます。問題は、その言葉がどこから来ているかです。
- 神が望まれる家庭は、神のみことばに従う「いのちの木の共同体」です。罪によって、それは「善悪を知る木の共同体」になってしまいます。それぞれが自分の価値観で判断し、自分が正しいと思い込むのです。
- そこから、洗濯物の干し方、お皿の洗い方といった細かなことで争いが生まれます。親が自分のものの見方を押しつければ、子どもとの間にも同じことが起こります。
- 裸でも恥ずかしくなかった二人が、互いに隠れ、神からも隠れます。いたずらをした子どもがお母さんから隠れるようにです。神との関係も、人との関係もひび割れてしまいます。
- けれども神は、二人をそのままにはされません。ご自分のほうから探しに来られます。「あなたはどこにいるのか」(創世記3:9)。
- アダムは責任を女に押しつけ、さらには神にまで押しつけます。「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれましたので、わたしは食べました」(創世記3:12)。女は蛇のせいにします(創世記3:13)。二人とも、自分の過ちを認めません。
- 神は蛇をのろわれます。エバは苦しんで子を産み、夫は彼女を支配するようになります。アダムの労働は苦しいものとなり、地はのろわれ、死が世界に入りました(創世記3:14-19)。
6. エバ、すべての生ける者の母
- その直後、アダムは妻をエバと名づけます。「彼女がすべての生き物の母となったからである」(創世記3:20)。
- ヘブライ語でエバは「ハヴァ」(韓国語では「ハワ」)といい、命に関わる名前です。罪と死が入り込んだ世界の中でも、女性は命を生み出す者として神に祝福され続けています。
- 「わたしは恨みをおく、おまえと女との間に、おまえのすえと女のすえとの間に」(創世記3:15)。女のすえとはイエス・キリストのことで、サタンに対して永遠の勝利を収められます。
- 救い主は、女の子孫から生まれます。神の救いのために、女性は必要なのです。
- いちじくの葉は、やがて枯れてしまいます。神は二人に皮の衣を着せられました。それは動物が犠牲になったことを意味します(創世記3:21)。これは、十字架でのイエスの身代わりの死を指し示しています。
- エデンを追われたアダムとエバには、カインとアベルが与えられます。兄弟の間の殺人は、罪の結果を明らかにしました。二人はどれほど深く悲しんだことでしょう。
- アベルを失った後、神はエバにセツを与えられました(創世記4:25)。セツを通して、信仰の系譜が受け継がれていきます。エバは回復の歴史の始まりに立っているのです。
- 神は女性を、のろいの源ではなく、祝福の源として造られました。イエスの十字架によって、神は私たちを罪の共同体から、いのちの木の共同体へと連れ戻してくださいます。
7. 回復された女性、回復された家庭
- 先月、井上宣教師は、ほかの教会で開かれたマザースクールで二日間奉仕しました。
- そこには、傷ついた心や不安を抱えて来る女性がたくさんいます。親から、夫から、あるいは男性から傷つけられた人もいます。
- 初日は、表情が硬く、閉ざされています。賛美の時間に、チームが手を差し伸べても、多くの人は固まったままです。
- 教えと分かち合いが進むにつれて、顔つきがやわらぎ、明るくなり、笑顔が戻ってきます。二日目には、話が止まらなくなります。心を開いて、涙ながらに傷を語り、やがて一緒に笑うのです。
- 「神の愛が彼女たちに注がれ、彼女たちを変えていきます。」神に触れられ、回復された女性たちは、今度は自分の家庭を回復する人となります。母親は、家庭の祝福の源だからです。
- 私たちの回復は、いつも神の愛の中に、イエス・キリストの十字架と復活の中にあります。
大切なポイント
- 女性は、男性と対等で、神の目に尊い助け手として造られました。助け手であることは弱さのしるしではありません。
- 夫婦の間では、正しさを主張するよりも、相手を理解し、やさしくお願いするほうが実を結びます。
- 罪は、神のみことばを疑い、善悪を自分で決めようとするときに始まります。
- 神は、堕落した人間をそのままにはされません。探しに来て、覆い、女の子孫から出る救い主を約束してくださいます。
- イエス・キリストにあって、あなたは家庭でも周りの人にとっても、祝福と命の源となるよう召されています。
自分への問いかけ
- 神の前での自分の立場を、あなたはどう見ていますか。価値の低い者としてでしょうか。それとも、助けて支えるために神が造られた尊い者としてでしょうか。
- 家庭の中で、どんな小さなことで、あなたはいちばん自分が正しいと主張したくなりますか。今週は、お願いの仕方をどう変えられるでしょうか。
- 疑い始めている神のみことばや、自分の都合のいいように言い換えてしまっているみことばはありませんか。
- 過ちを犯したとき、自分の責任を認めるより、隠れたり、ほかの誰かを責めたりしてしまいがちではありませんか。
- 周りの人にとって祝福の源となるために、どんな傷を神にゆだねる必要がありますか。
引用した聖句
よくある質問
「助け手」として造られたということは、劣っているということですか。
いいえ。井上輝子宣教師は、女性は男性の頭からでも足からでもなく、あばら骨から取られたのだから、男性と対等だと語ります。助け手と訳されたヘブライ語のエゼルは、神ご自身にも使われる言葉です。助けを求めるとき、人は弱い人ではなく、力のある人を呼ぶものです。
エバはどのようにして神に背くに至ったのですか。
蛇はまず神のみことばをねじ曲げて、疑いの種をまきました(創世記3:1)。次にエバがそのみことばに付け加えて、その重みを弱めてしまいました。すると蛇は、真っ向から否定します。「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう」。神のようになりたいと願い、神に従う代わりに善悪を自分で決めようとすること。それが、井上宣教師の言う私たち自身の罪の姿です。
エバという名前にはどんな意味がありますか。
ヘブライ語でエバは「ハヴァ」といい、命に関わる名前です。アダムは「彼女がすべての生き物の母となったから」(創世記3:20)と、そう名づけました。罪と死が入り込んだ世界の中でも、女性は命を生み出す者として神に祝福され続けており、救い主はその子孫から来られます。