子どもについての聖書の言葉20選

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はじめに

子どもは聖書の中で特別な位置を占めています。迎え入れられ、祝福され、教育され、時にはイエスご自身によって模範とされることもあります。この20の聖句(口語訳)は、五つの側面を掘り下げます。神からの賜物としての子ども、イエスが子どもたちを迎え入れる姿、信仰の継承、子どもに与えられるべき祝福と保護、そして幼い頃から始まる子ども自身の信仰の歩みです。

子どもは神からの賜物であり祝福

1. 詩篇127篇3節

「見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。」

ソロモンの作とされるこの詩篇は、家と家族を神に委ねられた業として描いています。「子供たちは神から賜わった嗣業であり」と記されている通り、子どもはまず親の計画や功績ではなく、受け取る賜物です。自分の成果として誇るのではなく、感謝して迎えるべきものなのです。 詩篇127篇を全文で読む。

2. 詩篇128篇3-4節

「あなたの妻は家の奥にいて 多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んで オリブの若木のようである。 見よ、主をおそれる人は、このように祝福を得る。」

この歌は、主をおそれる人が家庭の中でも受ける祝福を描いています。子どもたちは「食卓を囲んで オリブの若木のようである」とたとえられ、共に育ついのちのイメージが示されます。神の祝福は、成長していく家族に囲まれた何気ない食卓の中にこそ見えるのです。 詩篇128篇を全文で読む。

3. 創世記33章5節

「エサウは目をあげて女と子供たちを見て言った、「あなたと一緒にいるこれらの者はだれですか」。ヤコブは言った、「神がしもべに授けられた子供たちです」。」

ヤコブは、緊張をはらんだ長年の別れの後、妻たちと子どもたちを連れて兄エサウと再会します。子どもたちについて尋ねられると、ヤコブは簡潔にこう答えます。「神がしもべに授けられた子供たちです」。感情が高ぶるこの場面でも、ヤコブは子どもたちを自分の功績ではなく神の恵みに帰しています。 創世記33章を全文で読む。

4. サムエル記上1章27節

「この子を与えてくださいと、わたしは祈りましたが、主はわたしの求めた願いを聞きとどけられました。」

ハンナは、この書の冒頭で語られる深い苦しみの中、長い間子どもを授かるよう祈り続けていました。サムエルが生まれた後、彼女はこう証しします。「この子を与えてくださいと、わたしは祈りましたが、主はわたしの求めた願いを聞きとどけられました」。この待ち望まれた子は、後に偉大な預言者となり、神への奉仕へと献げられていきます。 サムエル記上1章を全文で読む。

イエスが子どもたちを迎え入れる

5. マルコによる福音書10章14-16節

「それを見てイエスは憤り、彼らに言われた、「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。 よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。 そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。」

親たちが触れてもらおうと子どもたちをイエスのもとに連れて来ますが、弟子たちはそれを止めようとします。イエスは憤り、こう命じます。「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない」。そしてイエスは子どもたちを抱き、祝福されました。どんなに小さな子どもも、イエスに迎え入れられないことはないのです。 マルコによる福音書10章を全文で読む。

6. マタイによる福音書18章2-3節

「すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。」

弟子たちが天国で誰が一番偉いかと尋ねると、イエスは一人の子どもを彼らの真ん中に立たせて答えます。「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」。子どもの素直な信頼が、ここでは大人にとっての模範となります。 マタイによる福音書18章を全文で読む。

7. マルコによる福音書9章36-37節

「そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らのまん中に立たせ、それを抱いて言われた。 「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。」

弟子たちが誰が偉いかを議論していたとき、イエスは彼らの前で一人の幼な子を抱き上げます。そして教えます。「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである」。心を込めて忍耐強く子どもを迎え入れることは、イエスご自身を敬うことなのです。 マルコによる福音書9章を全文で読む。

8. 詩篇8篇2節

「みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。」

詩篇の作者は創造の偉大さに驚嘆しつつ、神の栄光は小さき者たちの口によってこそ現されるのだと告白します。「みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています」とある通りです。子どもの素朴な信仰と自然な賛美には、巧みな言葉が必ずしも持ち得ない価値があります。 詩篇8篇を全文で読む。

教育し、信仰を継承する

9. 申命記6章6-7節

「きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。」

モーセは民に、神の戒めがまず自分自身の心に留まってこそ、子どもたちに教えられるのだと語ります。「あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない」と述べられている通りです。信仰の継承は、特別な説教よりも、日常のありふれた振る舞いの中でこそ行われます。 申命記6章を全文で読む。

10. 箴言22章6節

「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。」

この箴言は、聖書的な教育の核心を一言で言い表しています。「子をその行くべき道に従って教えよ」。誰にでも同じ型をあてはめるのではなく、一人ひとりの子どもに固有の道を見きわめ、長く揺るがない土台を築くことが大切なのです。 箴言22章を全文で読む。

11. コロサイ人への手紙3章21節

「父たる者よ、子供をいらだたせてはいけない。心がいじけるかも知れないから。」

パウロは父親たちに直接語りかけ、誰もが陥りやすい行き過ぎに注意を促します。「父たる者よ、子供をいらだたせてはいけない。心がいじけるかも知れないから」。毅然と教育することは、子どもを萎縮させることではありません。子どもを押しつぶさないよう心を配る親は、子どもが心を閉ざさずに育つ余地を残すのです。 コロサイ人への手紙3章を全文で読む。

12. 詩篇78篇5-6節

「主はあかしをヤコブのうちにたて、おきてをイスラエルのうちに定めて、その子孫に教うべきことを われらの先祖たちに命じられた。 これは次の代に生れる子孫がこれを知り、みずから起って、そのまた子孫にこれを伝え、」

アサフは、神がそれぞれの世代に、ご自身の御業を次の世代へ語り伝える責任をゆだねられたことを思い起こさせます。「これは次の代に生れる子孫がこれを知り、みずから起って、そのまた子孫にこれを伝え」とある通りです。家庭で分かち合われる生きた信仰の物語は、こうして一世代を超え、子から子へと受け継がれる財産となります。 詩篇78篇を全文で読む。

子どもを祝福し、守る

13. 民数記6章24-26節

「「願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られるように。 願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、あなたを恵まれるように。 願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように」』。」

神はモーセにこの祝福の言葉を授け、民を祝福させました。今日でも家庭や教会で子どもたちに向けてしばしば唱えられます。「願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られるように」という祈りです。この祝福を声に出して子どもに語ることは、シンプルでありながら力強い行為であり続けています。 民数記6章を全文で読む。

14. マタイによる福音書18章5-6節

「また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。 しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。」

一人の子どもを迎え入れた直後、イエスは「わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は」大きなひきうすを首にかけられて海に沈められる方がましだと、まれに見る厳しさで警告されます。子どもを守ることは、イエスの教えの中で些細な事柄ではなく、ご自身が非常に重く受け止めておられる責任なのです。 マタイによる福音書18章を全文で読む。

15. イザヤ書54章13節

「あなたの子らはみな主に教をうけ、あなたの子らは大いに栄える。」

イザヤは、回復された民に向けて、その子どもたちの将来にまなざしを向けた約束を告げます。「あなたの子らはみな主に教をうけ、あなたの子らは大いに栄える」。ここで約束されている平安と繁栄は、物質的な豊かさだけでなく、神を知る世代を通して具体的に実現していくのです。 イザヤ書54章を全文で読む。

16. 詩篇103篇17節

「しかし主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり、その義は子らの子に及び、」

ダビデは、主をおそれる者に対する神の恵み深さをたたえ、それが一人の人生を超えて広がることを述べます。「その義は子らの子に及び」とある通りです。親に対する神の真実は、こうして幾世代もの子どもたちを通じて続く祝福の源となります。 詩篇103篇を全文で読む。

幼い頃から信仰の中で育つ

17. テモテへの第二の手紙3章15節

「また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。」

パウロは、信仰深い家庭で幼い頃から知っていたテモテに手紙を書き、こう思い起こさせます。「また幼い時から、聖書に親しみ」。人生の早い時期に、たとえ素朴な形であっても学ばれた信仰は、幼少期をはるかに超えて、テモテの成人後の働きに至るまで揺るがない土台となります。 テモテへの第二の手紙3章を全文で読む。

18. テモテへの第一の手紙4章12節

「あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい。」

パウロは、教会を率いるにはまだ若いテモテを励まし、こう語ります。「あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない」。そして、その生き方によって模範となるよう促します。子どもや若者は、大人になるのを待ってからでなければ、意味のある信仰や模範を持てないわけではないのです。 テモテへの第一の手紙4章を全文で読む。

19. 箴言20章7節

「欠けた所なく、正しく歩む人―― その後の子孫はさいわいである。」

この箴言は、親の誠実さを子どもの幸いへと直接結びつけます。「欠けた所なく、正しく歩む人 その後の子孫はさいわいである」とある通りです。親の具体的で一貫した生き方は、教育について語られるどんな言葉よりも強く、長く残る足跡を残すのです。 箴言20章を全文で読む。

20. サムエル記上2章26節

「わらべサムエルは育っていき、主にも、人々にも、ますます愛せられた。」

幼いサムエルは、両親から離れて聖所で育ちますが、祭司エリの見守りのもとにありました。その成長を聖書はこう要約します。「主にも、人々にも、ますます愛せられた」。家庭環境が通常とは異なっていても、神が共にいてくださるなら、信仰の中で育つことは可能なのです。 サムエル記上2章を全文で読む。

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よくある質問

子どもが祝福であることについて聖書は何と言っていますか?

詩篇127篇3節です。「子供たちは神から賜わった嗣業であり」とあります。詩篇128篇3-4節はさらに、子どもたちを食卓を囲むオリブの若木にたとえています。これらの箇所は、子どもを親の個人的な成果としてではなく、神から受け取った賜物として描いています。

福音書の中で、イエスは子どもについて何と語っていますか?

マルコ10章14-16節では、弟子たちの制止にもかかわらず、イエスが「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい」と言って子どもたちを迎え入れる姿が描かれています。マタイ18章2-3節では、子どもの素直な信頼が天国に入るための模範とされ、周囲の大人たちの偉さについての考えを覆します。

子どもに伝えるべき聖句にはどんなものがありますか?

申命記6章6-7節は、家でも道を行くときでも、日常の中で神について語ることを勧めています。箴言22章6節は、一人ひとりの子どもをその子固有の道に従って教えるよう促します。テモテへの第二の手紙3章15節は、幼い頃から、たとえ素朴な形であっても学んだ信仰が、生涯にわたる確かな土台となることを思い起こさせます。

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