はじめに
キリスト教信仰は、まず戒めや道徳である前に、一つの愛の宣言から始まります。神はまず私たちを、無条件に、私たちがそれにふさわしくなるのを待たずに愛してくださったのです。この25の聖句は、イエス・キリストにおける神の愛の現れ、試練の中での永遠の真実さ、決して引き離されることのない性質、十字架における犠牲の深さ、そして日々それをどう生きるかという、五つの側面からこの愛を掘り下げます。それぞれの参照箇所は本文全体へのリンクとなっており、御言葉そのものから黙想し、暗唱し、祈ることができます。
イエス・キリストに現された神の愛
1. ヨハネによる福音書3章16節
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
この聖句は福音を一言で要約しています。神の愛は単なる意図にとどまらず、ご自身の御子という賜物として具体的な形をとりました。この宣言は、例外なく全世界に向けられています。聖書でヨハネによる福音書3章16節を読む。
2. ローマ人への手紙5章8節
「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」
パウロはこの賜物が与えられた時に注目します。私たちが良くなった後にではなく、まだ罪人であったときにです。神の愛は常に私たちの功績に先立っています。聖書でローマ人への手紙5章8節を読む。
3. ヨハネの第一の手紙4章9節
「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。」
ヨハネは神の愛を、御子を遣わすという具体的な行為に明確に結びつけています。それは私たちがいのちを得るためでした。つまりこの愛は抽象的な感情ではなく、いのちを与える行為なのです。聖書でヨハネの第一の手紙4章9節を読む。
4. ヨハネの第一の手紙4章10節
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」
その主導権は常に神にあり、決して私たちにはありません。この聖句は、私たちがまず神を愛することでその愛を勝ち取ったのではないという、通常の宗教的論理を覆します。十字架に至るまで最初の一歩を踏み出されたのは神ご自身です。聖書でヨハネの第一の手紙4章10節を読む。
5. ヨハネの第一の手紙3章1節
「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。」
ヨハネは、この愛を驚くべきものとして「見る」よう、じっくり考えるようにと招いています。この愛は私たちを単に赦された者とするだけでなく、神の子とするのです。私たちの深い部分でのアイデンティティは、この父としての愛から与えられます。聖書でヨハネの第一の手紙3章1節を読む。
永遠で真実な愛
6. エレミヤ書31章3節
「主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに 真実をつくしてきた。」
捕囚の民に語られたこの言葉は、神の愛が状況に左右されないことを思い起こさせます。それは時間も距離も、人間の不真実さすらも超えて続きます。神の恵みは変わることがありません。聖書でエレミヤ書31章3節を読む。
7. 詩篇136篇1節
「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」
この詩篇は「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」というこの折り返しの言葉を26回繰り返します。この詩篇がそうしているように、この真理を繰り返すことは、決して尽きることのない愛に心を根づかせる助けとなります。聖書で詩篇136篇1節を読む。
8. ゼパニヤ書3章17節
「あなたの神、主はあなたのうちにいまし、勇士であって、勝利を与えられる。彼はあなたのために喜び楽しみ、その愛によってあなたを新にし、祭の日のようにあなたのために喜び呼ばわられる」。
印象深いイメージです。神は私たちをただ我慢しておられるのではなく、歌と、言葉にならないほどの喜びをもって私たちを喜んでくださいます。神の愛には感情的な、ほとんど歓喜と呼べるような側面があるのです。聖書でゼパニヤ書3章17節を読む。
9. 哀歌3章22節
「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。」
この聖句は、嘆きと廃墟に満ちた書物の真っただ中から生まれています。最も激しい苦しみの中にあってさえ、著者は見た目に反して神の恵みが決して尽きることがないと断言します。聖書で哀歌3章22節を読む。
10. 哀歌3章23節
「これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。」
先の聖句のすぐ後に続く言葉です。神の愛は減っていく在庫ではなく、朝ごとに新しくされる泉です。こうして毎日、新しい真実を受け取ることができるのです。聖書で哀歌3章23節を読む。
この愛から私たちを引き離すものは何もない
11. ローマ人への手紙8章38節
「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、」
パウロは、目に見えるものも見えないものも、考えうるあらゆる力を体系的に列挙し、それらを一つずつ退けていきます。そのどれ一つとして、神の愛から私たちを引き離す力を持っていません。聖書でローマ人への手紙8章38節を読む。
12. ローマ人への手紙8章39節
「高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」
この列挙は「ほかのどんな被造物も」という包括的な断言で締めくくられます。イエス・キリストに根ざしたこの愛は、どんな試練も失敗も揺るがすことのできない安心を形づくります。聖書でローマ人への手紙8章39節を読む。
13. ローマ人への手紙8章35節
「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。」
パウロはまず問いを投げかけてから答えます。飢え、危難、迫害といった最も過酷な現実の試練でさえ、キリストに属する者に対するキリストの愛を揺るがすことはありません。聖書でローマ人への手紙8章35節を読む。
14. ヨハネによる福音書15章9節
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。」
イエスは、父がご自身を愛されたことと、ご自身が弟子たちを愛することとを直接結びつけます。続く「とどまりなさい」という招きは、この愛が一時的な瞬間としてではなく、安定した住まいとして受け取られるべきものであることを示しています。聖書でヨハネによる福音書15章9節を読む。
15. 詩篇86篇15節
「しかし主よ、あなたはあわれみと恵みに富み、怒りをおそくし、いつくしみと、まこととに 豊かな神でいらせられます。」
ダビデはここで、忍耐深く恵み豊かな神の深い性質を描写しています。旧約聖書の他の箇所でも繰り返されるこの描写は、私たちの至らなさにもかかわらず神に信頼を置くための土台となります。聖書で詩篇86篇15節を読む。
愛の犠牲の深さ
16. ヨハネによる福音書15章13節
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」
イエスはここで愛の最高の基準を定義し、その直後にご自身が十字架でそれを実行されます。この言葉は、キリストの犠牲に十分な意味を与えています。それは自らを完全に与え尽くす愛です。聖書でヨハネによる福音書15章13節を読む。
17. ガラテヤ人への手紙2章20節
「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。」
パウロは一般論から個人的な次元へと移ります。それはもはや単なる「私たちのため」ではなく「私のため」なのです。このキリストの愛が、努力ではなく信仰によって生きられる新しい人生の土台となります。聖書でガラテヤ人への手紙2章20節を読む。
18. ヨハネの第一の手紙4章16節
「わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。」
ヨハネは単なる描写以上のことを語ります。「神は愛である」と。これは神の数ある属性の一つにとどまらず、神ご自身の本質そのものであり、私たちはその中にとどまるよう招かれています。聖書でヨハネの第一の手紙4章16節を読む。
19. エペソ人への手紙2章4節
「しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、」
この聖句は、恵みを受ける前の私たちの状態、すなわち罪の中に死んでいた状態を描く箇所の中にあります。まさにその行き詰まりの中にこそ、神の「大きな愛」が私たちを捜し出しに来るのです。聖書でエペソ人への手紙2章4節を読む。
20. テトスへの手紙3章4節
「ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、」
パウロはここで慈悲と博愛という二つの言葉を結びつけ、歴史の中に恵みが突入してきたことを描写しています。この聖句は救いを、勝ち取った報酬としてではなく、すでにそこにあった愛の現れとして紹介しています。聖書でテトスへの手紙3章4節を読む。
日々この愛に生きる
21. ヨハネの第一の手紙4章19節
「わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。」
私たちの神への愛は、決して最初の主導ではなく、応答です。神が私たちを愛する前に、私たちが神を愛したのではないというこの順序を思い起こすことは、不安と成果に基づく信仰から私たちを解放してくれます。聖書でヨハネの第一の手紙4章19節を読む。
22. ヨハネによる福音書14章21節
「わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。
イエスは受けた愛を、深まっていく親密さに結びつけます。愛から従うことは、イエスをより深く知る扉を開くのです。ですから神の愛は静止したものではなく、関係の中で成長していきます。聖書でヨハネによる福音書14章21節を読む。
23. ローマ人への手紙8章32節
「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」
パウロは「大きなことから小さなことへ」という論法で考えます。神が最も尊いものを与えてくださったのなら、残りのものについて備えてくださらないはずがあるでしょうか。十字架は、神の惜しみない愛の永続的な証となります。聖書でローマ人への手紙8章32節を読む。
24. 詩篇36篇7節
「神よ、あなたのいつくしみはいかに尊いことでしょう。人の子らはあなたの翼のかげに避け所を得、」
翼のイメージは、優しく身近な保護を思い起こさせます。神の愛を受け取るとは、祈りの中で、まるで守りの翼の下にいるかのように、具体的にその愛に身を寄せることを学ぶことでもあります。聖書で詩篇36篇7節を読む。
25. ヨハネの第一の手紙4章18節
「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。」
完全に受け取られた愛は、罰せられることや拒まれることへの恐れを追い出します。日々神に愛されるままでいることは、こうして恐れに満ちた信仰を少しずつ穏やかな信頼へと変えていきます。聖書でヨハネの第一の手紙4章18節を読む。
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よくある質問
神の愛についてのこれらの聖句をどう黙想すればよいですか。
一日に一つだけ選び、ゆっくりと声に出して読み、それから自分の言葉で祈りとして言い換えてみてください。ただこう自分に問いかけてみましょう。この聖句は、今日神が私をどのように見ておられるかについて、何を語っているだろうかと。
なぜ神の愛についての聖句を暗唱するのですか。
感情は変わりやすいものですが、御言葉は変わらないからです。ヨハネによる福音書3章16節ローマ人への手紙8章38-39節のように、いくつかの聖句を暗記しておくことは、疑いや落胆の時にすぐに支えとなってくれます。
これらの聖句は祈りの糧となりますか。
はい。それぞれの聖句を賛美(「永遠の愛で私を愛してくださり感謝します」)や願い(「今日、あなたの愛にとどまることができるよう助けてください」)に変えてみましょう。聖書の言葉とともに祈ることは、祈りを私たちの感情だけでなく、具体的な約束の上に根づかせてくれます。
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