はじめに
私たちの人生は決断の連続です。重要なものもあれば、そうでないものもあります。職場へどの道を通るか、何時に起きるか、ある状況にどう対処するか、誰と話すか、昼に何を食べるか、子どもたちに必要なものはそろっているか。一日の中で私たちは次々に問いを抱え、前に進むために答えを見つけていきます。
モンペリエのリシェ・アッセンブレ・ド・デュー教会(Assemblée de Dieu de Montpellier Richter)で語られたこのメッセージが投げかける問いはシンプルです。私たちの決断は、神のみこころとどのように交わるのでしょうか。ある分野では、神が導いてくださると喜んで口にします。けれども、もっと「現実的」な分野では、「ここは自分が決めることだ」と考えがちです。しかし神の言葉は、それとは違うことを語っています。
このメッセージは、マタイによる福音書の三つの箇所から始まります。そこには「主が預言者によって言われたことが成就するためであった」という同じ表現が繰り返し出てきます。続いて、根本的な鍵である忍耐(ヘブル人への手紙10章35-36節)に目を留め、ヨセフとマリヤのところに戻って、神が一歩ずつ彼らの決断をどのように導かれたかを見ていきます。
メッセージの流れ
1. 神が語られたことは成就する
- マタイによる福音書1章22節:このすべてのことが起こったのは、主が預言者によって言われたことが成就するためでした。
- マタイによる福音書2章15節:ヨセフはヘロデが死ぬまでエジプトにとどまりました。「わたしは、その子をエジプトから呼び出した」と言われたことが成就するためでした。
- マタイによる福音書2章23節:ヨセフはナザレに来て住みました。「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが成就するためでした。
- マタイは主に、キリストへの信仰に入ったユダヤ人のために書いています。イエスの来臨、その働き、その言葉と、旧約聖書の約束とのつながりを示そうとしているのです。
- 私たちの人生について、説教者はこう引き出します。神には計画があり、ご計画があります。神が語られたことを、神は行われます。ただ、物事がどのように整っていくかは、神の決断と私たちの決断の両方にかかっています。それは、交わり合い、よく吟味された決断です。
2. 鍵:「あなたがたには忍耐が必要である」
- ヘブル人への手紙10章35-36節:「だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。あなたがたは、神のみこころを行って約束のものを受けるために、忍耐が必要である。」
- 一方には、神が約束されたものがあります。それは神の言葉を通して、祈りを通して、神との個人的な関係の中で、あるいは内なる平安と確信によって与えられます。もう一方には、成就があります。その二つの間に「あいだの時間」があります。神のみこころを実行しなければならない時です。
- 決断が下されるのは、このあいだの時間の中です。私が考えること、見ること、想像することと、神がなさろうとしていることが交わる場所です。
- その日の朝、車の中で、説教者は息子たちに、忍耐が必要だとはどういう意味かと尋ねました。説教者にとって、神はここで、それは避けて通れないものだと告げておられます。忍耐するとは、辛抱強くあること、しっかり立つことです。そこには、待つことが含まれます。
- この言葉は、変わらずにいることを指しています。前日、教会の兄弟姉妹がコンスタンス塔を訪れました。そこで知ったのは、ある若い新婚の女性の話です。イエス・キリストを否むなら夫のもとに戻れると言われました。彼女はそれを拒み、長い年月、幽閉されたままでした。彼女は石にこう刻みました。「抵抗せよ。」
- これは受け身の忍耐ではありません。私が忍耐しているあいだに、神は私の人生と状況の中で、みこころを少しずつ明らかにしてくださるのです。「それは私にも起こります。何度も起こってきました。」
3. 忍耐は試練の中での勝利を生む
- ローマ人への手紙5章3-5節:患難は忍耐を生み、忍耐は試練の中での勝利を生み、その勝利は希望を生みます。そして希望は失望に終わることがありません。神の愛が、聖霊によって私たちの心に注がれているからです。
- あなたの試練が生み出すべきものは、あきらめや失望ではなく、忍耐です。変わらずにいること、しっかり立つこと。そしてその変わらなさはそこで終わらず、勝利を生み出します。
- 「主よ、私の試練の中で、どうすれば勝利できるのでしょうか。」聖書が与える鍵はこれです。善を行うことに忍耐し、神への忠実さに忍耐することです。
- ダニエルは、獅子の穴に投げ込むと脅されても動じませんでした。それでも実際に投げ込まれ、その場に居合わせた人々は、もう終わりだと思ったに違いありません。翌日、王は彼を「生ける神のしもべ」と呼び、あなたが忍耐して仕えている神は、あなたを救い出すことができたのかと尋ねます。神は彼を救い出しておられたのです。
- ヘブル人への手紙6章11-12節:信仰と忍耐によって約束を受け継ぐ人々にならいなさい。私たちより先を歩んだ人々と同じ姿勢を私たちも持つなら、私たちも勝利を得るでしょう。
4. ヨセフ:神に照らされた、よく吟味された決断
- マタイによる福音書1章18-25節。マリヤにとっては、迷う余地はありませんでした。彼女は自分を主のはしためと呼び、そのみこころを受け入れます。葛藤はヨセフの側にありました。
- 彼はマリヤの中に、人生をともに築く人を見いだしていました。両家は顔を合わせ、すべては順調で、結婚を待つばかりでした。ところが、いとこ、つまりバプテスマのヨハネの母のところで六か月を過ごして戻ったマリヤが、身ごもっていたのです。「婚約中の若い男性なら誰でも」、婚約者から、その子は聖霊によるものだと告げられたら、どうでしょうか。
- ヨセフは正しい人でした。彼女をさらし者にしたくなく、ひそかに縁を切ろうと考えました。これは軽率に下した決断ではありません。聖書には、彼がそう考えていたとあります。彼の夢は崩れ、予定していたことがすべて意味をなさなくなりました。
- あなたもそうかもしれません。「やるべきことはすべてやったのに、すべてが崩れていく。」ある人が説教者に打ち明けました。「すべてきちんとやってきたのに、病気になってしまいました。」けれども神は神です。神は約束されましたし、ご自分が何をしようとしておられるかをご存じです。
- ヨセフが思い巡らして忍耐しているときに、神は来て彼を照らされます。ヨセフの場合、それは夢に現れた御使いでした。あなたの場合は、送られてきた言葉かもしれませんし、御霊の賜物、説教、兄弟姉妹が適切な時にかけてくれた一言、あなたの思いに響き合う状況かもしれません。
- 「ダビデの子ヨセフよ、恐れるな」:神は恐れに指を置かれます。最初に湧き上がってくるのは、疑い、恐れ、不安です。忍耐することで、私たちは神に、思いの荒れた表面を「磨いて」いただくのです。恐れがあなたの決断を動かしているなら、その決断はしないでください。まず神に事を静めていただきましょう。
5. 神は義を示し、責任を委ね、私たちの役割を残される
- 神はまずマリヤの潔白を示されます。彼女はヨセフを裏切ったのではなく、状況を治めておられるのは神ご自身です。説教者はここで夫婦のために一言添えます。クリスチャン同士でも意見の食い違いはありますが、二人が祈りの中にとどまり、落ち着いていれば、主は和解させることができます。主は和解の神だからです。
- 次に神はヨセフに責任を委ねられます。その子にイエスという名をつけるのは彼であり、この子は自分の民をその罪から救う方だからです。
- ヨセフは、イザヤ書7章14節の言葉に関わっているとは知りませんでした。処女がみごもって男の子を産み、その名はインマヌエルと呼ばれる、という言葉です。神は私たちに、災いではなく平安の計画を持っておられます。けれども、それが実現し始めると、私たちはときにこう言います。「主よ、私には説明書がありません。」
- もしヨセフが、感情や怒りや恥に押されて急いで決めていたなら、きっと見逃していたことでしょう。目を覚ました彼は、御使いに命じられたとおりにして、マリヤを迎え入れます。
- 25節には、彼女が男の子を産むまで、彼は彼女を知らなかったとあります。神はそれを彼に求められたわけではありません。ヨセフとマリヤは、その間、二人の関係をささげることをともに決めました。神が語られることもあれば、語られないこともあります。けれどもそれは、聖別されて従順に生きたいという私たちの渇きから生まれるものです。それが私たちの役割です。
6. 神が私たちの計画を揺さぶるとき
- マタイによる福音書2章13-15節:「起きて、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。」すべてが落ち着いたように見えたのに、旅立たなければなりません。エジプトまでの道のりは、徒歩で数日かかり、出産したばかりの若い母親と幼い子どもを連れての旅でした。
- ヨセフとマリヤは、これが「わたしは、その子をエジプトから呼び出した」という言葉が成就するために起こっているとは知りません。イスラエルはエジプトで四百年の奴隷生活を送りました。人類の救い主が同じ道を通り、そこから呼び出されるのです。そこにかかっているものは、私たちの理解を超えています。
- 神が彼らの計画を揺さぶられたのは、その子が危険にさらされていたからです。説教者は、神が私たちを多くの危険から守ってくださったと確信しています。それも、しばしば何も告げずに。あの仕事、あの場所、あなたが交際しようとしていたあの青年やあの女性。神はその扉を閉じられ、あなたはもしかすると反発したかもしれません。神はおそらく、あなたには見えない危険からあなたを守っておられたのです。
- ヘロデの死後、御使いはヨセフに、イスラエルの地に帰るよう告げます。けれども荷造りをするのは主ではありません。立ち上がって、帰る時が来たとマリヤに伝えるのはヨセフです。
- いつも新しい言葉を待ち続ける一種の「神秘主義」に対して言えます。神が今だと言われたなら、犠牲や変化が必要でも、それを実行しなさい。1月1日の新年の決意は、15日にまた話題になり、次に31日、そして4月になると、とても霊的に「今はその時ではない」と自分に言い聞かせます。新しい出発は、あなたが望むときに始められます。何を変えるべきかは、あなたが決めることです。
7. ナザレ:神が確かめてくださった良識
- マタイによる福音書2章22-23節:アケラオがその父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いて、ヨセフはそこへ行くのを恐れます。夢で神のお告げを受け、ガリラヤに退いて、ナザレに住みます。
- 御使いは「イスラエルの地に行きなさい」とだけ言い、町の名は告げませんでした。ヨセフをナザレへ導いた要素は二つあります。まず歴史的な事実です。アケラオは、イエスの誕生のときに子どもたちを殺させたヘロデの子です。だからヨセフは、出発したベツレヘムには戻りません。次に、それが正しい決断であると、神が確かめてくださいました。
- 神はあなたに大まかな方向を示されることがあります。それでも、注意深くいて、こう言うことはできます。「主よ、方向をもっと具体的に示してください。私は自分の役割を果たします。」
- 「クリスチャンになったとき、神は私たちの脳の一部を切り取られるわけではありません。ロボトミーを受けたわけではないのです。」私たちの知性は今も働いています。自分のしていることを神のみこころにゆだね、同時に、良識をもって考える時間も取ります。
- この細部は、神が前もって語られたことを成就します。彼はナザレ人と呼ばれる、という言葉です。説教者は、そこに旧約聖書のナジル人の誓い、つまり神のために聖別されることの響きも見ています。最初、ヨセフとマリヤは何も分かりませんでした。私たちと同じです。けれども彼らは忍耐し、注意深くいたので、主は一つひとつの段階を確かめてくださいました。
押さえておきたいポイント
- 神には計画があり、語られたことは成し遂げられます。私たちの決断は、神の決断と交わります。
- 約束とその成就のあいだで、あなたには忍耐が必要です。それは、神がみこころを明らかにしてくださる、能動的な変わらなさです。
- 忍耐は試練の中での勝利を生み、その勝利は希望を生みます。
- 恐れや怒りや恥に押されて決断しないでください。神にあなたの思いを照らしていただきましょう。
- 神には神の役割があり、あなたにはあなたの役割があります。神が語られたなら、立ち上がって行動するのはあなたです。信仰と良識をもって。
個人的な適用
- 神があなたに約束されたことと、あなたが待っていることとのあいだにある「あいだの時間」の中で、今どの決断の前に立っていますか。
- あなたの忍耐は受け身ですか。それとも、待つあいだ、神が示されることに注意を向け続けていますか。
- 恐れから下そうとしている決断はありませんか。まず神に事を静めていただいたら、どうなるでしょうか。
- 神があなたの人生で閉じられた扉を思い返してください。それを今日、拒絶ではなく守りとして見ることができますか。
- 神がすでにあなたに求められたのに、まだ先延ばしにしていることは何ですか。今週のあなたの役割は何でしょうか。
引用した聖書箇所
- マタイによる福音書1章18-25節
- マタイによる福音書2章13-23節
- ヘブル人への手紙10章35-36節
- ローマ人への手紙5章2-5節
- ヘブル人への手紙6章11-12節
- ダニエル書6章16-22節
- イザヤ書7章14節
- ホセア書11章1節
- ルカによる福音書1章38節
- エレミヤ書29章11節
- 詩篇107篇20節
よくある質問
ヘブル人への手紙10章36節の「あなたがたには忍耐が必要である」とはどういう意味ですか。
神の約束とその成就のあいだには、「あいだの時間」があります。神のみこころを実行しなければならない時です。説教者はそこに、欠かせない鍵を見ています。忍耐するとは、変わらずにいること、しっかり立つこと、手放さないことです。約束された方がその約束を果たされるという確信をもって。この忍耐は能動的なものです。神がみこころを明らかにしてくださるのは、この時のあいだなのです。
ヨセフはマリヤについて、どのように決断したのですか。
正しい人であったヨセフは、マリヤをさらし者にしたくなく、ひそかに縁を切ろうと考えました。彼は軽率に決めたのではなく、思い巡らしていました。その思い巡らしのさなかに、主の御使いが夢に現れ、恐れるなと告げました。神は彼の思いを照らし、マリヤの潔白を示し、ヨセフにご自分の計画の中での責任を委ねられました。
神がすべてを代わりに決めてくださるのを待つべきですか。
いいえ。説教者は、神には神の役割があり、私たちには私たちの役割があると語ります。神が語られたとき、荷造りをして出発するのはヨセフでした。エジプトからの帰還では、神は大まかな方向を示し、そのあとヨセフがアケラオの危険について良識をもって考え、神はナザレへ行くべきだと確かめてくださいました。「クリスチャンになったとき、神は私たちの脳の一部を切り取られるわけではありません。」