はじめに
この日曜日、東京の上野の森キリスト教会の礼拝は、いつもとは違うものでした。前日に、教会の名誉長老の葬儀が行われたのです。その写真は、誰も座らないいつもの席に置かれています。佃和男牧師は「少し緊張しています」と打ち明けます。
牧師は前の火曜日に説教を依頼されました。何を語るべきか祈っていると、「生きるにも死ぬにも、キリストがあがめられますように」という御言葉が心に迫ってきたそうです。そこから、一つの素朴な問いについてのメッセージが生まれました。キリストがあがめられる人生とは、どのようなものでしょうか。
牧師はまずピリピ人への手紙の背景から入り、獄中のパウロを追い、一人ひとりに与えられた使命と、恵みとして受け取る苦しみについて語ります。最後に、すべてをキリストにささげた一人の控えめな女性の物語で締めくくります。
メッセージの流れ
1. 獄中で書かれた手紙
- ピリピ人への手紙は、イエスの死からおよそ30年後の紀元61年か62年に書かれました。パウロはローマの獄中でこの手紙を記しており、「獄中書簡」の一つに数えられます。
- ピリピの信徒たちは、パウロの働きと獄中の日々を支えてきました。逮捕の知らせを聞いて、エパフロディトに贈り物を持たせてローマへ送りました。
- ローマに着いたエパフロディトは重い病にかかります。回復してピリピへ戻るとき、パウロは教会で読んでもらうために、この感謝の手紙を託しました。
- パウロはこの手紙の中で、自分が捕らわれていることには意味があると説明します。兵営の中で兵士たちが彼の言葉を聞いて信じ、主にある兄弟たちも勇気をもって御言葉を語り始めたのです。
2. 生きるにも死ぬにも、キリストがあがめられますように
- 20節で、パウロは生きるにも死ぬにも、自分の身によってキリストがあがめられることを願っています。自分の安全よりも、さらには自分の命よりも、キリストが現れることを優先しているのです。
- パウロは裁きを受けており、死刑になるかもしれません。それでも、まさにその場所で、キリストがあがめられるようにと祈っています。
- その結果、彼の投獄は福音を前進させました。獄中の苦しみは益に変えられたのです。これは「逆境の転換」です。
- 牧師は、困難な時を通っている人々に語りかけます。どのような状況であっても、あなたの人生を通してキリストがあがめられるなら、「それで十分です」。それこそが、私たちが求めるよう招かれている信仰です。
- 「クリスチャンとは何でしょうか。クリスチャンとは、キリストを生きる人です。」パウロにとって、生きるか死ぬかは二の次でした。
3. わたしにとって、生きることはキリスト、死ぬことは益
- 21節は驚くべき言葉です。「これはパウロにしか言えない言葉かもしれません」と牧師は語ります。
- パウロは生きている間、キリストに仕えるという使命を持っています。死ぬなら、キリストとともにいるという望みがあります。生きるための使命と、死に向かうための望みです。
- 私たち一人ひとりは、キリストから異なる使命を受けています。私たちの召しは、それを最後まで果たし、キリストが約束された永遠の命をしっかりと信じて、キリストを中心とした信仰の生涯を歩むことです。
- 23節と24節で、パウロはこの世を去ってキリストとともにいたいと願います。その方が「はるかに望ましい」からです。けれども、ピリピの人々のためには、肉にとどまるほうが必要だと判断します。
- パウロにとって生きるとは、自分の人生でキリストの美しさを現し、他の人々のために生きることでした。自分だけのために生きようとは決して考えません。楽になりたいという願いを手放し、使命の道を選びました。
- 27節で、パウロはこう勧めます。「ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしい生活をしなさい。」
4. 三度目の誕生:使命のために生きる
- 人は三度生まれると言った人がいます。最初の誕生は、肉体の誕生です。二度目は霊的な誕生で、キリストを信じて神の子どもとなるときです。
- 三度目は、使命のために生きる者としての誕生です。自分の使命のために生きることは、私たちがこの世に生まれてきた意味そのものです。
- クリスチャンは、肉体的、霊的に生きるだけではありません。神が託された使命のために生きるのです。
5. 一人ひとりにキリストの体の中での居場所がある
- パウロは世界中を巡って御言葉を伝え、教会を建て、導きました。誰もが彼のようになれるわけではありませんし、「その必要もありません」。
- 教会はキリストの体であり、私たちはその器官です。目である人、耳である人、手や足、指、口である人がいます。一人ひとりが欠かせない存在で、一つでも欠ければ体は完全ではありません。
- 「いらない人は一人もいません。」神があなたに命を与えられたのは、あなたがこの体のどこかの部分に必要だからです。
- テモテへの第二の手紙4章5節で、パウロはこう書いています。「しかしあなたは、どんな場合にも慎み、苦しみを忍び、伝道者の仕事をなし、自分の務を全うしなさい。」パウロにはパウロの使命があり、テモテにはテモテの使命があり、私たちには私たちの使命があります。
- 教会では、一人ひとりが主から受けた務めを持っています。牧師、長老、役員、協力者、責任者、あるいは一人の会員として。その務めを果たす必要があります。
- 主から委ねられた務めを果たさずに生きることは、キリストの目には死んでいるのも同じだと書いた人がいます。「厳しい言葉です」と牧師も認めます。けれども、受けた使命のために心を尽くして生きることこそ、主に喜ばれ、主が祝福される人生です。
6. 恵みとして受け取る苦しみ
- 29節で、パウロは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも恵みとして与えられたと書いています。
- 人生には、良い時と困難な時があります。良い時には、平安のうちにキリストとともに歩みましょう。困難な時には、キリストがあなたとともに苦しんでおられることを思い出し、望みを失わないでください。
- パウロは、苦しみの中でも、自由を奪われた生活の中でも、キリストを中心とした信仰を生きました。
- もしあなたが苦しみを神からの贈り物として受け取るなら、それは主の栄光を現し、聖霊が働かれる機会となります。
- ローマ人への手紙5章3節から5節を引用します。患難は忍耐を生み、忍耐は試練に打ち勝つ力を生み、その力は希望を生みます。希望は失望に終わることがありません。神の愛が、聖霊によって私たちの心に注がれているからです。
- この長老の生涯をつづった本に、ある牧師から贈られた書の写真が載っています。「今日の私があるのは、神の恵みによる。」彼はこの言葉を生涯大切にし、戦いの中で慰められ、励まされました。
- 牧師によれば、名誉長老の主とともにある人生は、生きるにも死ぬにもキリストがあがめられた人生でした。「生きることはキリスト」だったのです。
7. すべてをキリストにささげた素朴な女性
- 結びに、牧師は同じ本から、亡くなった長老の母親の物語を語ります。彼女は素朴にキリストを信じ、教会を愛し、すべてを教会にささげました。
- 文字が読めないと言われていたこの女性は、読み書きを学びました。熱心に聖書を開き、訪ねてくる女性たちの話を聞き、助言を続けました。
- ある日曜日の礼拝の後、彼女は話をさせてほしいと願い出ます。話すのが難しいため、やめるように勧められましたが、彼女は「これが最後ですから」と言い張りました。そして、与えられた交わりに感謝し、その場では誰にも意味が分からない別れの言葉を述べました。
- 三日後の2月の寒い夜、彼女は激しい痛みに襲われます。二人の息子が病院へ連れて行くと、肺炎と診断されました。痛みは落ち着きました。
- 心配する息子に、彼女は言いました。「そんな顔をしないで。心配しなくていいのよ。神様はいつも私たちとともにいてくださるから。」そして目を閉じ、万物を造り、世界を治めておられる神をたたえる賛美歌を、声が消えるまで歌いました。病院に着いてから数時間後に、彼女は亡くなりました。
- 彼女の夫は、しらふのときは穏やかでしたが、酒を飲むと乱暴になり、不貞も働く人でした。彼女は長い間、黙って苦しみに耐えてきました。彼女の死後、夫は変わります。酒の量が減り、毎週日曜日に教会へ行き、最前列に座って説教に耳を傾け、牧師の前で悔い改め、毎日妻の墓を訪ねるようになりました。
- 「この控えめな女性は、ごく普通の母親として、キリストを信じ、キリストにすべてをささげました。」彼女の生き方は勇気と望みを与えてくれます。夫の人生を変えたのは、おそらく彼が妻の中に見たものだったのでしょう。牧師にとって、彼女は、生きるにも死ぬにもキリストがあがめられる人生の美しい模範です。
心に留めたいこと
- パウロは、自分の安全や命よりもキリストの栄光を優先しました。彼の獄中生活さえ、福音を前進させました。
- 「わたしにとって生きることはキリスト」:あなたが生きている間、キリストから受けた使命があります。「死ぬことは益」:死の後には、キリストとともにいるという望みがあります。
- あなたはパウロになる必要はありません。キリストの体の中では、一人ひとりが欠かせない存在で、果たすべき務めがあります。
- 恵みとして受け取る苦しみは、主の栄光を現し、聖霊が働かれるのを助けます。
- キリストにすべてをささげた素朴で誠実な人生は、周りの人々を変えることができます。
個人の適用
- 今あなたが通っている状況の中で、キリストがあなたを通してあがめられることを第一に願うなら、何が変わるでしょうか。
- 主は、あなたの家庭、仕事、教会の中で、どのような使命を託されましたか。あなたは心を尽くしてそれを果たしていますか。
- 自分は教会の中でいらない存在だと感じることはありませんか。キリストの体の中で、あなたの居場所はどこでしょうか。
- 今の試練を、失敗として見ていますか。それとも、神があがめられる機会として見ていますか。
- あの夫が妻の生き方に心を動かされたように、あなたの控えめな誠実さに心を動かされる人は、周りの誰でしょうか。
引用された聖書箇所
- ピリピ人への手紙1章20-21節
- ピリピ人への手紙1章12-14節
- ピリピ人への手紙1章23-24節
- ピリピ人への手紙1章27節
- ピリピ人への手紙1章29節
- ピリピ人への手紙2章25-30節
- コリント人への第一の手紙12章12-27節
- テモテへの第二の手紙4章5節
- ローマ人への手紙5章3-5節
- コリント人への第一の手紙15章10節
よくある質問
「わたしにとって、生きることはキリスト、死ぬことは益」とはどういう意味ですか。
佃和男牧師によれば、パウロはここで自分の信仰を要約しています。生きている間は、キリストから受けた使命を最後まで果たし、死ぬなら、永遠にキリストとともにいるという望みがあります。生きるとはキリストに仕えることであり、死ぬとはキリストとともにいることです。
困難な時期に、どのようにキリストをあがめることができますか。
パウロはローマの獄中から書いており、おそらく死の危険にも直面していました。それでも、彼の投獄は福音を前進させました。兵士たちが信じ、兄弟たちはより確信をもって語るようになったのです。佃牧師は、試練を恵みとして受け取るよう勧めます。試練は、主の栄光を現すことができるからです。
使命を果たすには、パウロのようでなければなりませんか。
いいえ。誰もがパウロのような伝道者になれるわけではなく、その必要もありません。教会はキリストの体であり、一人ひとりがその器官、目や耳や手や足です。いらない人は一人もおらず、誰もが主から託された務めを果たすことが求められています。
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