道を備えましょう:道を開くウェイメーカーになるということ
休暇が近づくと、いつも思い浮かぶイメージがあります。それは旅行かばんです。必要なものを詰め、忘れ物がないか確認し、行き先に合わせて中身を調整します。このとてもシンプルなイメージは、あなたのクリスチャン生活について、とても力強いことを語っています。もし神様があなたを、他の人のために道を開くウェイメーカーとして召しておられるなら、最初に問うべき問いは「どこへ行くのか」ではなく、「かばんに何を詰めるのか」なのです。
「Être un waymaker」シリーズによるこのメッセージは、バプテスマのヨハネによって受け継がれたイザヤの叫びに立ち返ります。「荒野に主の道を備えよ。荒れ地に、私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ」(イザヤ40:3)。これは、あなたが他の人のもとへ出て行く前に、まず今日、あなた自身に語りかけている叫びです。
記事の構成
- まず、自分自身を備えましょう
- 自分が信じていると言う御言葉と一致した生き方をしましょう
- ゲツセマネのイエス様のように、代償を伴うことも受け入れましょう
- 柔和さと具体的な行いによって模範となりましょう
- 誰も行かない場所へ、勇気を出して行きましょう
1. まず、自分自身を備えましょう
誰かのために道を開く前に、まずその道があなた自身の内側で開かれていなければなりません。バプテスマのヨハネは、母の胎にいる時からすでにこの使命のために選び分けられていました。ルカ1:41には、「エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、その子は胎の中で踊った」と記されています。すでにその胎の中で、何かが備えられ始めていたのです。あなたも同じです。あなたが他の人を備える前に、神様がまずあなたを備えてくださったのです。
どのようにして備えられるのでしょうか。神様の御言葉によってです。御言葉は「両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれるところまでも刺し通し、心の思いやはかりごとを見分ける」ものです(ヘブル4:12)。聖書を読んでいて、ある聖句があなたをとらえ、「これは私のためのものだ、これこそ自分が必要としているものだ」と思わされる時、神様は剣を構えてあなたを刺し通そうとしているのではありません。神様はあなたのそばに立ち、「よくやった、よく分かったね」と言ってくださっているのです。そしてその瞬間、聖霊様は、あなた自身も言い表せないようなうめきをもって、あなたのために執り成してくださいます。
空港で、小さなキャリーバッグをどこへでも引いて歩いている人たちを見かけることがあります。それこそが、御言葉に対するあなたの関係のあるべき姿です。いつも手の届くところにあり、毎日思い巡らされる御言葉。それが、あなたをどんな状況にも立ち向かえるほど強くしてくれるのです。
イザヤ61:1もそれを裏づけています。「神である主の霊が、わたしの上にある。主が、わたしに油を注いだからだ。主はわたしを遣わして、貧しい者に良い知らせを伝えさせ、心の傷ついた者をいやし、捕らわれ人に自由を、囚われ人に解放を告げさせるためである。」あなたも同じ油注ぎを受けています。聖霊様があなたを満たしてくださったので、それをかばんから取り出すことができます。あなたはイエス様のことを語り、他の人のために道を開く備えができているのです。
2. 自分が信じていると言う御言葉と一致した生き方をしましょう
海に行くための旅行かばんに、スキー靴や手袋、マフラーを詰める人はいません。山に行くためのかばんに、ハイヒールやネクタイを詰める人もいません。あなたのかばんは、行き先にふさわしいものでなければならないのです。
あなたのクリスチャン生活も、まさに同じです。主の道を歩むと決めたなら、あなたが誰に属しているかを他の人に証しする装いを身にまとわなければなりません。私たちは天の御国に向かう旅をしているのですから、身にまとうものも、その行き先にふさわしいものでなければならないのです。
ある大会にゲストとして招かれたエマヌエーレ・フレディアーニは、心に残るこんな言葉を語りました。「私たちのサインとは、私たちの行いそのものだ。」人々があなたを覚えているのは、あなたが語ったことによってではなく、あなたが行ったことによってです。車にクリスチャンのステッカーを貼っていても、少しでも危険な割り込みをされた瞬間に運転手に暴言をぶちまけるなら、それはあなたを本当のクリスチャンにはしません。
運転中の、身近な例を考えてみましょう。誰かが危険な割り込みをしてきて、子どもたちの命が危険にさらされたことで怒りがこみ上げてくる時、あなたには選択肢があります。呪うこともできますし、祝福することもできます。「イエス様の御名によって、あなたを祝福します。」相手はバックミラー越しにあなたを見て、おかしな人だと思うかもしれません。しかしあなたは、その人の人生にいのちのことばを宣言しているのです。語られた御言葉が霊的な世界で何をもたらすのか、あなたには知る由もありません。祝福しなさい、呪ってはいけません。あなたはその後何が起こるかを決して見ることがないとしても、道を開いているのです。
3. ゲツセマネのイエス様のように、代償を伴うことも受け入れましょう
ウェイメーカーであるということは、自分の意志ではなく、神様の御心を行うことでもあります。マタイ26章のゲツセマネでのイエス様を見てみましょう。捕らえられる前、イエス様はペテロ、ヤコブ、ヨハネにこう言われました。「わたしは死ぬほどに悲しい。」罪を全く知らなかった方の口から出た、心を揺さぶることばです。
それから、イエス様はこう祈られます。「わが父よ。もしできることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたが望まれるようになさってください」(マタイ26:39)。イエス様はこの祈りを一度だけでなく、三度繰り返されました。人々を罪から救うために他の道がないかどうか、神様に尋ねておられたのです。
ここから何を学ぶべきでしょうか。もし神様が、あなたを傷つけた人、もう二度と会いたくない人のところへ行くように求められ、それが確かに神様からの求めであるなら、それを行いましょう。従いましょう。あなたはそれを自分のためにするのでも、その人のためにするのでもありません。イエス様のためにするのです。なぜなら、イエス様があなたのためにそうしてくださったからです。ウェイメーカーであるということは、こういうことでもあります。自分の肉の意志に反していても、神様の御心にかなう行動を取り、他の誰かのために道を備えることです。
4. 柔和さと具体的な行いによって模範となりましょう
ピリピ4:5にはこうあります。「あなたがたの寛容を、すべての人に知らせなさい。」この柔和さ、行いの中に表れる優しさと親切は、自己中心的な人、金銭を愛する人、大言壮語する人、高慢な人、神を汚す人、両親に逆らう人であふれ、神を愛することよりも他のものを愛するこの世界において、なくてはならないものです。あなたのかばんに詰めるべきものとは、まさにこれです。誰に頼ればよいのか分からなくなっている人々の、谷間や山にも寄り添える、柔和な心です。
食卓を囲んでいて、誰もが誰かの悪口を言っている時、その輪に加わることを拒みましょう。「いいえ、私はそれをしません。それは神様の御言葉に反することです。」良い模範となりましょう。やがて周りの人が、「彼(彼女)の語ることは正しい、彼(彼女)の行いも正しい」と思うようになるまで。
善いサマリア人のたとえは、このことを思い起こさせてくれます。地面に倒れて傷ついている人を見て、反対側を通り過ぎて行った人たちのようにはならないでください。人を助けるための時間を取りましょう。ただし気をつけてください。それは、その人に代わって問題を解決することではありません。多くの場合、自分のしていることを一旦中断し、そばにいる人に支え、寄り添い、助けを示すだけで十分なのです。ローマ12:15にはこうはっきりと記されています。「喜ぶ者たちとともに喜び、泣く者たちとともに泣きなさい。」喜んでいる人々と共にいるだけでなく、悲しんでいる人々のそばにもとどまりましょう。
そして、あなたのかばんの中にある最も強力な武器を忘れないでください。それは祈りです。祈りを通して、あなたは人々を神様のもとにお連れすることができます。ある日、職場に一人の患者が、見るからに打ちひしがれた様子でやって来ました。彼女の夫は、死の床にある父親に別れを告げるために南へ向かっており、家族は深刻な状況の只中にありました。彼女は泣いていました。仕事の手を止め、飲み物を差し出し、話に耳を傾け、それからこう尋ねました。「あなたのために祈ってもいいですか。」彼女は受け入れました。祈りの後、彼女は涙を流し、抱きついてきました。しかしそれは、一人の女性が誰かを抱きしめていたのではありません。一人の小さな子どもが、自分の父を抱きしめていたのです。
それから、彼女を励ましてこう言いました。「祈り方が分かったのだから、あなたも祈ってみてください。」一週間後、その同じ患者が再びやって来て、こう言いました。「一晩中祈りました。そして奇跡が起こったのです。義父の容体が良くなり、家に帰ることができました。」一年後も、義父は元気に過ごしていました。ここで大切なのは、祈りそのものではありません。一つの道が開かれ、この女性が神様のほうを向く可能性が与えられたということです。今、彼女はその武器を自分の手に持っているのです。
5. 誰も行かない場所へ、勇気を出して行きましょう
もしあなたが自分の人生にイエス・キリストを受け入れたなら、それはひとつの変化が起こったということです。あなたの行動や考え方は、もう以前と同じではありません。そしてこの自覚があなたの内側に根づく時、あなたは、神様の導きなしには自分の人生に何の価値もないことを理解するようになります。これは、あなたを無力にする発見ではありません。むしろあなたを強くする発見です。あなたの足は確かな土台の上に置かれ、どんな状況にあっても、神様の御手のひらの上で憩っているような感覚を持つことができます。なぜなら、神様がいつでも備えてくださることを知っているからです。
あなたがこれを生きる時、神様はあなたを用いてくださいます。神様は大胆な霊をあなたに与え、他の人たちが恐れて行けない場所へとあなたを遣わされます。なぜなら、彼らには自分を強めてくれるキリストがいないからです。エステル王妃のことを思い出してください。彼女はある時、自分の民を救うために、命がけで王のもとへ出向きました。あなたは今日、自分にもその同じ大胆な霊があり、神様の御手のひらの上に憩いながら、必要としている人々のもとへ、誰も行かない場所へと出向き、キリストへの道を開く備えができていると言えるでしょうか。
覚えておきたいポイント
- 他の人を備える前に、自分自身を備えましょう。 神様の御言葉は、あなたを形づくり、強めてくれるものです。それは毎日、キャリーバッグのようにあなたに寄り添います。
- 一貫性こそが、あなたのサインです。 人々があなたを覚えているのは、語ったことではなく、行ったことです。日々の小さな出来事の中でも、祝福し、呪わないようにしましょう。
- 従うことには、時に代償が伴います。 ゲツセマネのイエス様のように、神様が求めておられるからこそ、自分がしたくないことをしなければならない時があります。
- 柔和さと具体的な行いは、扉を開きます。 誰かのために祈ること、話を聞くこと、悪口に加わらないこと。これらはすべて、他の人の心の中に道を備える行動です。
- 大胆さは、信頼から生まれる実です。 神様の御手のひらの上に憩う時、あなたは誰も行かない場所へも行くことができます。
自分への適用
- 今日、あなたの霊的なかばんを見てみると、何が足りないでしょうか。思い巡らされた御言葉、柔和さ、祈り、それとも勇気でしょうか。
- 神様が会いに行くように求めておられるのに、あなたの意志が「嫌だ」と言っている人はいますか。今週、最初の一歩を踏み出すために、何ができるでしょうか。
- 日々の生活の中で、祝福する代わりに呪いたくなる状況とは、どんな時でしょうか。どうすれば、その反応を変え始めることができるでしょうか。
- あなたの周りで、誰もイエス様について語ろうとしない「荒野」のような存在は誰でしょうか。この召しは、あなたにどんなことを促しているでしょうか。
- あなたの生き方は、自分が信じていると言っていることと一致していますか。神様は、具体的にどんな点を明らかにしておられるでしょうか。
引用された聖句
- イザヤ40:3 · 荒野に主の道を備えよ。
- ルカ1:41 · バプテスマのヨハネが母の胎の中で踊る場面。
- ヘブル4:12 · 両刃の剣よりも鋭い神様の御言葉。
- イザヤ61:1 · 神である主の霊がわたしの上にある、主がわたしに油を注いだからだ。
- マタイ26:38〜39 · ゲツセマネのイエス様。「わたしの願うようにではなく、あなたが望まれるように。」
- ピリピ4:5 · あなたがたの寛容を、すべての人に知らせなさい。
- ローマ12:15 · 喜ぶ者たちとともに喜び、泣く者たちとともに泣きなさい。
よくある質問
聖書的な意味での「ウェイメーカー」とは何ですか。
ウェイメーカーとは、他の人たちのために神様への道を開く人のことです。聖書における例は、イザヤ40:3の成就として、民に悔い改めを呼びかけ、イエス様の到来を告げ知らせることによって、主の道を備えたバプテスマのヨハネです。
このメッセージは、なぜ「かばんを準備すること」について語っているのですか。
これは、自分自身を備えることなしに、他の人へのミッションに出発することはできないということを伝えるための、とても具体的なイメージです。あなたのかばんとは、神様の御言葉、一貫性、柔和さ、祈り、大胆さなど、あなたがやがて誰かのために道を開くことができるよう、聖霊様があなたの内に置いてくださるすべてのものです。
日常生活の中で、呪う代わりに祝福するとは、具体的にどうすればよいのですか。
まずは小さな状況から始めましょう。車の運転中、行列に並んでいる時、誰かの悪口を言う会話の場面などです。怒りを外に出す代わりに、小さな声でイエス様の御名によって祝福のことばを口にしましょう。これは心の訓練であり、あなたには見えなくても、相手の人生の中に霊的な道を開くものなのです。
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