はじめに
聖書によれば、救いとは、イエス・キリストに信頼する人に、神が無償で与えてくださる解放です。罪とその結果から救い出し、神との和解をもたらし、今日から始まって永遠へと続く新しい命を与えてくださいます。
「救い」という言葉は教会のあちこちで耳にしますが、やさしい言葉で説明されることはあまりありません。それでも、これはキリスト教のメッセージの中心です。これがなければ、信仰のほかの部分は意味を失ってしまいます。このページでは、この言葉が本当は何を意味するのか、聖書がどの箇所でそれを語っているのか、しばしば混同されがちなことは何か、そして日々の生活でどのように救いを生きるのかを見ていきます。
聖書で「救い」という言葉は何を意味しますか
聖書で「救う」とは、自分ひとりでは退けることのできない危険から解き放つことを意味します。旧約聖書では、奴隷の状態から引き出された民、いやされた病人、敵から守られた正しい人について、この言葉が用いられています。イエスの名のもとになったヘブライ語の「イェシュア」は、「主は救い」という意味です。新約聖書はこの助けという考えを受け継ぎ、最も大きな危険、すなわち罪によって生じた人間と神との断絶に当てはめています。ここでの罪とは、神のみこころから私たちを遠ざけるすべてのことです。
ですから、救いはまず実践すべき宗教ではなく、受け取るべき救出です。クリスチャンはしばしば救いを三つの面に分けて考えます。私たちは有罪の宣告から救われました。日々、罪の力から救われています。そしてキリストが再び来られるとき、完全に救われます。この三つは同じ源、神の恵みから来ています。
救いについて聖書は何と言っていますか
土台となる五つの聖書箇所を、それぞれが教えてくれることとともに紹介します。
エペソ人への手紙2章8-9節
「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。」
パウロは二つの点を強調しています。救いは恵みから来ます。つまり、だれも受けるに値しない好意です。そして信仰によって、つまり信頼によって受け取ります。救いは賜物ですから、人前で誇る理由はだれにもありません。 エペソ人への手紙2章を全文で読む。
ローマ人への手紙10章9-10節
「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」
この箇所は心と口を結びつけています。イエスの復活を心の中で信じ、イエスを主と公に告白することです。救いは魔法の呪文ではなく、本物の確信の表れです。 ローマ人への手紙10章を全文で読む。
使徒行伝4章12節
「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。」
ペテロは、自分に問いただす宗教指導者たちの前で語っています。救いはイエスという方の中にあると断言しています。この言葉は明確で排他的であり、同時に、民族や境遇の区別なく、すべての人に差し出されています。 使徒行伝4章を全文で読む。
テトスへの手紙3章5節
「わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。」
ここで強調されているのは、私たちの努力ではなく、神のあわれみです。聖霊による新生は、救いが人の全体に及ぶことを示しています。神はただ赦すだけでなく、内側から造り変えてくださるのです。 テトスへの手紙3章を全文で読む。
ヨハネによる福音書3章16節
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
この節はすべての理由を語っています。それは愛です。神は御子を賜わることで、自ら先に行動されました。そして、この申し出は信じる者はだれにでも向けられており、ほかに入るための条件はないと明らかにしています。 ヨハネによる福音書3章を全文で読む。
救い、赦し、永遠の命の違いは何ですか
この三つの表現は重なり合っていますが、同じことを言っているわけではありません。赦しとは、私たちが神に対して負っている道徳的な負債が消し去られることです。永遠の命とは、神ご自身の命であり、今から受け取り、死をもって終わることのないものです。救いはもっと広く、赦し、永遠の命、神との和解、悪の支配からの解放をすべて含みます。救いを家にたとえるなら、赦しはその玄関の扉と考えることができます。
救いについてよくある誤解
第一の誤解は、善い行いによって救われると考えることです。誠実に生きれば十分だとか、功績を積まなければならないと思っている人は多くいます。聖書は、だれも自分で自分を救うことはできないと答えています。だからこそ、神は救いを贈り物として差し出しておられるのです。善い行いは後から実として生まれるものであり、先に支払うべき代価ではありません。
第二の誤解は、救いは天国行きの切符にすぎず、死んだ後にしか役に立たないと思い込むことです。聖書は、救いを、今から始まる新しい命としても示しています。そこには平安、神との生きた関係、そして変わるための力があります。
第三の誤解は、罪を犯すたびに自分の救いを疑ってしまうことです。救いを失うことがあるのかという問いに対して、キリスト教の伝統はすべて同じ答えを出しているわけではありません。しかし、次の点では一致しています。救いは、キリストが成し遂げてくださったことの上に立っており、あなたのその日の出来映えの上に立ってはいません。
日々の生活で救いをどう生きますか
まず、救いを自分自身で受け取ることから始めましょう。簡単な祈りで神に伝えることができます。自分には神が必要だと認め、イエスがあなたのために死んでよみがえられたと信じ、あなたの人生を導いてくださるようにお招きするのです。決まった言葉はなく、あるのは真心からの信頼だけです。
次に、この関係を養いましょう。聖書を定期的に読み、短くても祈り、耳を傾けてくださる方に語りかけるように神に話しかけます。救いは関係であり、関係は育てるものです。
最後に、ひとりで歩まないでください。成長を助けてもらえ、疑問を尋ねることができ、今度は自分が仕えることもできる、クリスチャンの共同体に加わりましょう。そして、受けたものを分かち合ってください。これほど大きな贈り物は、まわりの人に喜んで手渡したくなるものです。
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よくある質問
聖書によれば、どうすれば救われますか
聖書の答えは、イエス・キリストへの信仰によるというものです。自分には神が必要だと認め、イエスがあなたのために死んでよみがえられたと信じ、イエスを主としてお迎えします。難しい儀式ではありません。心での決断であり、真心からの祈りで表すものです。
救いを失うことはありますか
クリスチャンの答えはみな同じではありません。救いは決定的に得られたものだと主張する伝統もあれば、信仰を捨てることで救いから離れることがあると主張する伝統もあります。本質については、どの伝統も一致しています。救いはキリストの真実に基づいており、神は自分のもとに戻ってくる人を迎えてくださるということです。
救いと回心の違いは何ですか
救いは、解放し赦してくださる神のみわざです。回心は、あなたの応答です。神なしの生き方に背を向けて、神に向き直ることです。この二つは一つに結びついていて、一方は贈り物、もう一方はその贈り物を受け取ることです。
救いは無償ですか
はい、受け取る人にとっては無償です。救いは買うこともできず、功績で得ることもできません。しかし神にとっては、イエスが命を捧げられたという、計り知れない代価がありました。聖書は「賜物」と語っており、それは報酬という考えを退けています。
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