ゼカリヤ書4章:わたしの霊によって、大いなる山の前でも

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はじめに

「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と万軍の主は言われます。福岡の油山シャローム教会の牧師、横田法路師は、ゼカリヤ書4章のこの御言葉から「神の霊によって:聖霊による喜びの生活」と題して語っています。

牧師は、島根県の松江での学びの時から戻ってきたところです。松江は、イギリス人宣教師バックストン(B・F・バックストン)が1890年に来日し、1891年から福音を伝え、全国から集まった多くの青年たちを育てた場所です。牧師は、バックストンを自らの教団である日本イエス・キリスト教団の霊的な出発点として紹介し、現地で知ったことを分かち合っています。

メッセージの内容は三つの確信にまとめられます。自分の限界と弱さを認めること、聖霊の力を知ってそれに信頼すること、そして聖霊に自分を明け渡し、その導きに敏感に従うことです。

メッセージの流れ

1. 工事が止まってしまったゼルバベル

  • ゼルバベルは、バビロン捕囚から戻ってエルサレムに帰った民の指導者です。彼には、破壊された神殿を再建するという大きな務めが与えられていました。
  • 工事は始まりましたが、やがてすべてが行き詰まります。敵の妨害、尽きていく資源、落胆した民。計画は頓挫し、人の力では出口が見えませんでした。
  • まさにその時、神はゼルバベルに励ましの言葉を告げられます。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」。
  • 牧師によれば、権力とは軍事力のことでもあり、組織の力や人間の計画のことでもあります。能力とは個人の力、つまりリーダーシップや経験、ゼルバベルの才能のことです。
  • 「神があなたを用いられるのは、あなたにそのような能力があるからでも、組織の後ろ盾があるからでもありません。神の働きは、神の力によって進むのです。」

2. 本質的な弱さを認める

  • 旧約聖書で最も偉大な指導者であるモーセは、エジプトの王宮で育ち、当時最高の教育を受けました。40歳の時、彼には知識も、王の子という地位も、力も経験もありました。
  • しかし神は、その時彼を用いられませんでした。モーセは大きな失敗をして王宮を逃げ出し、荒野で40年間羊を飼いました。誰も彼が何者かを知らず、毎日同じことを繰り返す日々でした。
  • 80歳になり、自分の人生はもう終わったと思っていた時、神は彼を選ばれました。「神があなたを用いられるのは、人から素晴らしいと言われる時ではありません。むしろ、あなたが『もう自分にはふさわしくない』と思う時を待っておられたのです。」
  • 牧師は「本質的な弱さ」(英語で「エッセンシャル・ウィークネス」と言います)について語ります。人間が持っている限界と弱さを知ることが、神の力によって用いられる人生の出発点だというのです。
  • 神からそのことを教えられて以来、牧師は、自分の限界にぶつかる時、それは恵みなのだと分かるようになりました。神はそのことを通して私たちに気づかせ、ご自身のもとに引き寄せてくださるのです。

3. 聖霊の力を知り、それに信頼する

  • イエスを信じるとは、赦され、神の愛を知り、神との交わりを回復することです。この交わりを通して聖霊が私たちの内に来られ、聖霊の力に導かれる生活が始まります。
  • 「もはや自分の努力や、自分の知恵や経験に頼って生きるのではありません。」神の霊によって生きる時、これまでとは違う歩みが可能になります。
  • ハドソン・テーラーは、千人以上の宣教師が中国に送られた時代を代表する人物です。彼は生涯をかけて、人間の力ではなく神に信頼することによって、神が生きておられることを証明しようとしました。
  • 牧師は彼の言葉の一つを紹介します。キリスト教の働きにおいては、人ではなく神を見なければなりません。神の働きとは、人が神のために何をしたかよりも、神が人を通して何をなさったかを知ることです。
  • 「私たちはつい、他の人や自分自身を見てしまいます。自分にそれができるだろうか。私がやったのだ。私にはそんなことはできない。そうではありません。神を見上げましょう。働いておられるのは神です。」
  • バックストンとハドソン・テーラーはとても親しく、ハドソン・テーラーは三十歳ほど年上でした。バックストンは、日本で最初の聖会を開く時に、中国から彼を招きました。後に義和団の乱で多くの宣教師が殺されると、ハドソン・テーラーはバックストンを呼び寄せ、傷ついた宣教師たちに語ってもらいました。

4. 大いなる山よ、おまえは何者か

  • 7節で神は言われます。「大いなる山よ、おまえは何者か」。ゼルバベルの前では、その山は平地となると告げられます。彼の前には、越えることのできない山がそびえていました。
  • その山とは、民の落胆でした。初めはうまくいきます。「さあ、神の働きをしよう。」やがて妨害が来て、資源が尽き、失望が訪れます。ゼルバベル自身も打ちひしがれていました。
  • すべては神の霊によって成ると神が思い起こさせてくださった時、山は平らにされました。工事は再び動き出し、神殿は完成します。
  • 「あなたの前にある大いなる山は何ですか。」それは、あなたの能力によっても、誰かの支えがあるからでも越えられません。越えられるのは、神の霊によってです。
  • 信仰が壁にぶつかる時、あなたは自分自身や状況ばかりを見ているのかもしれません。目を神とその力に向ける時、壁は崩れます。

5. 聖霊による喜びと、神への渇き

  • バックストンは、日本で勝利をもたらすことのできる唯一の力は聖霊であると教えました。
  • 牧師は、よく言われる数字を紹介します。日本でのクリスチャン生活の平均は3年だと言われている、というものです。何十年も忠実に歩み続ける人も多くいますが、洗礼を受けて1年ほどで教会を離れてしまう人も少なくありません。
  • なぜでしょうか。バックストンによれば、聖霊が与える喜びがなければ、世の力に引き戻され、昔のほうがよかったと思ってしまうからです。荒野でエジプトに戻りたがったイスラエルのように、今がつらいと、人は過去を美化します。
  • エジプトを出るだけでは足りません。約束の地、すなわち神との交わりにある喜びに入らなければなりません。それを味わった人は、もう引き返すことを口にしません。
  • 詩篇42篇は、谷川を慕いあえぐ鹿について語ります。このように祈る人は、不信仰な人でも未熟な信者でもありません。神を求めれば求めるほど渇きは増します。神を知り尽くすことは決してないからです。
  • 牧師が紹介するある牧師は、「感謝しています。でも満足はしていません」と言っていたそうです。もし「私の信仰はこれで十分で、これ以上は進めない」と思っているなら、それは健全な状態ではありません。
  • これが「愛のパラドックス」です。愛すれば愛するほど、相手をもっと知りたくなり、一緒に過ごしたくなります。この渇きは、御言葉への渇きでもあります。

6. 聖霊に身を委ね、その導きに従う

  • 三つ目の点は、聖霊に身を委ね、聖霊を信頼し、その導きに敏感に従うことです。そのために「霊的な感覚」を養います。
  • 罪や偶像、物質的なものに目がくらむと、千の声が叫びます。「こちらのほうがいい、あれが大事だ、これが必要でしょう。」すると、神の細き御声は聞こえなくなります。
  • 聖霊は私たちを新しくすることによって、霊的な感覚を取り戻してくださいます。聖書は、見えるものではなく見えないものに目を留めるように教えています。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠だからです。
  • 牧師は、夜の暗闇の中で、世界一周をしているような気持ちになると語ります。心はアメリカやシンガポールの友人たちのもとに届き、彼らのために祈ります。祈りによって、アメリカでも中国でも東京でも、どこへでも行くことができます。「無料の世界一周旅行です。」
  • この感覚を磨く方法の一つが、御言葉です。御言葉を読むと、私たちの目は神へと引き上げられます。御言葉がなければ、世が見せ、聞かせるものに押しつぶされ、飲み込まれてしまいます。
  • 神との交わりの中に生きていれば、問題が起こった時にどう反応し、どう行動すればよいかが分かります。

7. 松江のバックストン:試練の中の聖霊

  • 牧師は松江で、それまで知らなかったバックストンの一面を知りました。聖霊に満たされることを教えた人として知られる彼は、最初は迫害を受けていました。石を投げられ、妨害する者たちが集会を荒らしに来て、ある日には家族が屋根の上へ逃げなければなりませんでした。
  • 彼は赤山に大きな家を建てさせ、1893年4月に完成しました。そこでは60人ほどが一緒に暮らし、訓練を受けていました。その家は高台にありました。
  • 1893年10月、台風で松江が水没します。現地でバックストンを研究している研究者が、牧師に被害の状況を示してくれました。死者54人、流失家屋288戸、松江で約8,000世帯が浸水というものでした。集会が開かれていた会堂は破壊されました。高台にあったバックストンの家は無事でした。
  • バックストンとクリスチャンたちは、直ちに教会を通じて救援活動を組織しました。2週間にわたり毎日千人分の炊き出しを行い、米を買うための献金を募り、青年たちのチームが金銭や衣類を集め、復興も手伝いました。
  • 一夜にして孤児になった子どもたちの世話をし、お年寄りを衣類や食べ物を持って訪問し、アコーディオンに合わせて賛美歌を歌い、聖書の物語を語りました。
  • 町の人々の見る目が変わりました。この転機が福音を前進させました。バックストンの専門家に電話でたずねたところ、その出来事は知りませんでしたが、「いかにも彼らしいですね」と答えたそうです。
  • 神との交わりの中に生きることは、受け身になることではありません。神とともに生きているからこそ、課題に直面した時、神は私たちの行動と忍耐、決断を導いてくださるのです。

心に留めたいこと

  • 神の働きは、組織の権力によっても、あなたの能力によっても進むのではなく、神の霊によって進みます。
  • 自分の限界を認めることは、神に用いられる人生の始まりです。モーセは、自分を信じられなくなった80歳の時に召されました。
  • 人や自分ではなく神を見上げましょう。あなたの前にある大いなる山は、聖霊によって平らにされます。
  • 聖霊による喜びと、新たにされた神への渇きが、あなたを引き返すことから守ります。
  • 御言葉はあなたの聖霊への感受性を磨き、聖霊は試練のただ中で愛をもって行動するようあなたを導きます。

個人への適用

  1. 今日、あなたの前にある大いなる山は何ですか。
  2. どの分野で、「私にはできません。でもあなたの霊にはできます」と神に言う代わりに、できるふりをしていますか。
  3. 神と御言葉への渇きは、以前と同じですか。もし冷めてしまったなら、祈りの中で神に何を求めますか。
  4. 今週、どんな雑音が神の細き御声を聞くのを妨げていますか。
  5. 身の回りの困難に直面した時、聖霊はあなたをどのように具体的な奉仕へと導くでしょうか。松江でのバックストンのように。

引用された聖書箇所

よくある質問

「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」とはどういう意味ですか。

横田法路師によれば、権力とは軍事力のことであり、組織の力や人間の計画のことでもあります。能力とは個人の力、つまりリーダーシップや経験、ゼルバベルの才能を指します。神は、ご自身の働きがそのどちらによっても進むのではなく、ご自身の霊によって進むと宣言されます。

なぜ私たちの弱さが恵みとなりえるのですか。

説教者は「本質的な弱さ」について語ります。人間としての限界を認めることが、神の力に導かれる人生の出発点です。モーセが召されたのは、能力の絶頂にあった40歳の時ではなく、人生は終わったと思っていた80歳の時でした。自分の限界にぶつかる時、神はあなたをご自身のもとに引き寄せてくださいます。

聖霊の導きにもっと敏感になるにはどうすればよいですか。

横田法路師は、世の雑音や罪、偶像が、神の細き御声に対して私たちを聞こえなくさせると説明します。聖霊は私たちの霊的な感覚を回復させ、見えないものに目を留めることを教えてくださいます。神が与えてくださる方法の一つが御言葉です。御言葉を読むと、私たちの目は神へと引き上げられ、困難が起こった時にどう反応すればよいかを学べます。

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