はじめに
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」このメッセージは、Église CVV(le Chemin la Vérité et la Vie)でThierryが語ったもので、数週間前に始まった「喜び」をテーマにした連続メッセージの一つです。出発点ガラテヤ人への手紙5章22-23節です。聖霊が私たちの内に結ばせてくださる実を並べたこの二つの節の中心で、一つの言葉が際立っています。それは「喜び」です。
説教者は、御霊の実のすべてをもう一度振り返ることはしません。それはすでに行われたからです。代わりに、私たちがまだ神から遠く離れているときから、イエスが私たちに息を吹きかけてくださる日まで、人生を通じた御霊の働きに注目し、そのうえで、御霊が私たちの内に生み出すことができ、また生み出したいと願っておられる喜びに立ち返ります。
メッセージは一つの招きで締めくくられます。あなたは今日、喜びを失っているかもしれません。聖霊はそれをあなたに与えたいと願っておられます。そして、この喜びは自分で作り出すことはできません。ただ受け取ることしかできないのです。
メッセージの流れ
1. 御霊の働きは誰に及ぶのか
- 最初の問いは、聖霊は私たちの人生のいつから働き始めるのか、というものです。ヨハネによる福音書16章8節で答えています。「その方が来ると、罪と義とさばきとについて、世の人の誤りを明らかにするであろう。」
- つまり聖霊は、すでに世の中で働いておられます。キリストの内にいない人、神から離れている人、神なしの生き方から向きを変えるという方向転換をまだしていない人々の中でも働いておられるのです。
- この地上の生活の中で、たとえ神から離れていても、聖霊は「小さなふれあいを通して」そこにおられます。私たちの霊の中、心の中、行動や思い、経験を通して、罪と義とさばきについて語りかけ、気づかせ始めてくださいます。
- この働きは続き、聖霊こそが、私たちを考え方の変化、行動の変化へと導いてくださいます。それが「新しく生まれる」と呼ばれるものです。
2. 水と霊とから生まれる
- 覚えやすい二つの箇所があります。ヨハネによる福音書3章5節テトスへの手紙3章5節です。聖書に通じた年配の人ニコデモに、イエスはこう言われます。「だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。」
- 神の国に入るには、肉体的に生まれ、さらに霊的にも生まれなければなりません。肉体的には、羊水の袋から出て外の空気に触れたとき、肺が呼吸する命のことです。霊的には、聖霊によるものです。イエスは、これをなかなか受け入れられないこの年配の人に、分かってもらおうとしておられるのです。
- テトスへの手紙3章4-7節。私たちの救い主なる神の慈悲と人への愛が現れたとき、神は私たちを救ってくださいました。それは「わたしたちが行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみにより、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされることによって」であり、神はこの聖霊をイエス・キリストによって私たちの上に豊かに注いでくださいました。それは、私たちがその恵みによって義とされ、永遠のいのちの望みによる相続人となるためです。
- イエスへのこの歩みへと私たちを導くのは聖霊です。考え方を変え、物の見方を変え、神の臨在という現実と神の真理に心を開き、イエスにある新しい命に入っていくのです。
3. 御霊によって生きるなら、御霊によって歩もう
- ガラテヤ人への手紙5章25節にはこうあります。「もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。」パウロが22-23節で律法に触れたのは、旧約聖書の規定に戻ろうとするガラテヤの人々と議論しているからです。パウロは彼らに、御霊によって生き、御霊に導かれるという、聖書の健全な理解を呼び覚まそうとしています。
- 聖霊は、信じる者たちの人生と、共同体全体の生活の主です。だからこそ、パウロはガラテヤの人々に、教会としても語りかけているのです。御霊は治めることを望み、その支配と働きを私たち一人ひとりに広げ、人生のあらゆる面で私たちを導きたいと願っておられます。
- 御霊によって生きることは、イエスのもとに来たときに始まります。御霊によって歩むとは、御霊が開いてくださる道を歩むことです。御霊が与えてくださる指示や促し、確信に従い、それがいつも聖書と一致していることを確かめながら歩みます。御霊が私たちの内に実を結ばせ、その一つとして喜びを生み出す働きは、ここにあります。
- どんな状況にあっても、聖霊はそこにおられ、私たちが経験していることを、神の国と永遠のいのちという視点の中に置き直してくださいます。ローマ人への手紙15章13節。「どうか、希望の神が、あなたがたを信仰によって与えられるあらゆる喜びと平安とで満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせて下さるように。」ペテロの第一の手紙4章14節にも見られます。
- 困難の中にあっても、聖霊は私たちを支え、永遠のいのちという目標に目を向け直させてくださいます。それは、神が私とともにおられるという事実を、私たちが心に刻むためです。
- エペソ人への手紙1章17-18節は、礼拝で歌われた賛美「私たちの心の目を開いてください」の元になった箇所です。神が知恵と啓示との霊をあなたがたに与え、あなたがたの心の目を明らかにして、神に召されていだいている望みがどんなものであるかを知らせてくださいますように、という祈りです。心には目がない、と説教者は言いますが、その比喩は明らかです。私たちの心と知性が新しい視点、つまり聖書の真理という視点に開かれる必要があるのです。これは聖霊だけが私たちの内に行える働きであり、暗闇や灰色の世界から、神のすばらしい光の中へと私たちを導き出してくださいます。
4. イエスが弟子たちに息を吹きかける(ヨハネ20章19-23節)
- 信じる者は、神の民に加えられ、贖われ、暗闇から光へと移されるときに、聖霊を受けます。ヨハネによる福音書20章19-23節を読みます。復活の日曜日の夕方、弟子たちはユダヤ人の当局を恐れて、戸に鍵をかけて集まっていました。イエスが来て、彼らの真ん中に立たれます。「平安があなたがたにあるように。」
- イエスは戸を開けませんでした。十字架で傷つけられた手とわき腹を彼らに示されます。まるで「見なさい、確かにわたしだ」と言っておられるかのようです。そして弟子たちは、主を見て喜びに満たされました。
- イエスはもう一度言われます。「平安があなたがたにあるように。」シャロームです。「その瞬間、毛布がふわりと降りてくるようなものです」。それは歓迎の言葉であり、心を落ち着かせる言葉です。確かにわたしだ、平安の中にいなさい、という意味です。
- それからイエスは、驚くべきことをされます。「父がわたしをおつかわしになったように、わたしもあなたがたをつかわす。」この言葉のあと、イエスは彼らに息を吹きかけて言われます。「聖霊を受けよ。」ここがこの箇所の核心です。イエスは彼らに息を吹きかけられたのです。
- なぜでしょうか。旧約聖書では、霊とは息のことです。イエスは神の息を目に見える形で示されます。ほら、わたしは息を吹きかける、この神の息をあなたがたの内に受けなさい、ということです。
- もう一つの読み方があります。創世記2章7節で、神が人を土から造られたときに息を吹き込まれ、人は「生きた者となった」のです。弟子たちに息を吹きかけることで、イエスは要するにこう言っておられます。「わたしは神であり、永遠なる主である。わたしは息を吹きかけ、あなたがたを生かし、新しい命を与える。」そして弟子たちは、今度はこの命を広めるという使命を受けることになります。
- イエスは、私たちの人生にもこれを行いたいと願っておられます。治めておられる方、栄光を受けておられる方、権威の座におられる方が、御霊を私たちの上に吹きかけ、さらに言えば、私たちの内に吹き込みたいと願っておられるのです。それは、私たちが単に呼吸しているから生きているのではなく、霊的に生きている者となるためです。導かれることができ、御霊から来る識別力を持ち、置かれた状況の中で神の国を、あるいは神の国への抵抗を見分けることができる者となるためです。ガラテヤ人への手紙3章13-14節や、イエスがこれから注がれる御霊につヨハネによる福音書7章38節も参照してください。
5. 御霊に証印を押され、油を注がれ、住まわれ、備えられる
- エペソ人への手紙1章13-14節。あなたがたは、真理の言葉、すなわち救いの福音を聞いて信じ、約束された聖霊によって証印を押されました。この聖霊は、私たちが受け継ぐものの保証です。御霊の証印を受けるとは、私たちが主のものであるということです。
- 聖霊の油注ぎは、御霊から私たちの上に流れ注がれます。ヨハネの第一の手紙2章20節と27節です。
- 御霊はクリスチャンの心にも住んでおられます。多くの聖句がそれを語っています。ヨハネによる福音書14章、神殿について語るコリント人への第一の手紙3章と6章、そしてガラテヤ人への手紙4章です。
- 御霊は、奉仕のために賜物を与えてくださいます。イエスは弟子たちに使命を与え、彼らを備えられます。御霊を彼らに吹きかけ、さまざまな賜物と恵みを授けられます。ですから、私たちは誇ってはなりません。私たちが賜物を持っているとしても、それは主が与えてくださる恵みにすぎないのです。このことは、コリント人への第一の手紙12章、エペソ人への手紙4章、ローマ人への手紙12章6-8節、ペテロの第一の手紙4章10節にも見られます。
- 「主は、私たち一人ひとりにこれを行いたいと願っておられます。」
6. 作り出すことのできない喜び
- 聖霊は、この喜びを私たちに与えたいと願っておられます。主のものであることの喜び、主に仕える喜び、「私たちの人生の中で奏でられるメロディーのような喜び」です。
- どんな状況を通っていても、喜びは宝石のように私たちの人生にはめ込まれ、封印されています。なぜなら御霊がそこにおられ、息を吹きかけて、それを絶えず呼び覚ましてくださるからです。
- 「あなたは今日、喜びを失っていますか。」説教者は、必ずしも大笑いするような陽気さのことを言っているのではありません。そういうこともあり得ますが、困難な状況の中での喜びとは、主のものであるという喜びであり、「もしかすると最後の細い糸かもしれないが、それはそこにある」のです。イエスはこの心の琴線に触れて、わたしはここにいる、と語りかけてくださいます。そして、それがあなたの内に喜びを呼び覚ますのです。
- もしあなたが悲しみや病、仕事探しの中にあって、それがどれほどつらくても、喜びはあなたの人生の中にあり続けることができます。聖霊はそれをあなたに与え、呼び覚ましたいと願っておられます。主のものであることの喜び、主とともに歩む喜びです。
- そのために、私たちは聖霊に満たされ、それが読むだけの聖句や、たとえ話ではなく、現実となるように、ともに祈ることができます。2000年前のペンテコステに起こったことが、今日、あなた一人ひとりにも起こり得ます。油を注がれ、浸され、聖霊に満たされ、そうして「作り出すことはできず、ただ受け取ることしかできない主の喜び」を迎え入れるのです。
- メッセージは、羊の世話をする良い羊飼いへの祈りで終わります。求めている人にも、すでに主のものとなっていて新たにされる必要のある人にも向けた祈りです。「私たちの上に、私たちの間に、息を吹きかけてください。」あなたの喜びが私たちの内にはめ込まれ、どんな時代、どんなとき、どんな場所にあっても、とどまり続けますように。
心に留めたいこと
- 聖霊は、回心の前からすでに働いておられます。小さなふれあいを通して、罪と義とさばきについて気づかせ、新しい誕生へと導かれます。
- 新しく生まれるとは、水と霊とから生まれることです。それは、私たちの行いによってではなく、神のあわれみによって受ける救いです(テトス3章5節)。
- 御霊によって生きることは、イエスのもとに来たときに始まります。御霊によって歩むとは、御霊の促しと確信に従い、いつも聖書と一致して歩むことです。
- 創世記2章7節で人に息を吹き込まれたように、イエスは弟子たちに息を吹きかけられます。新しい霊的な命を与え、奉仕のための賜物で備えてくださるのです。
- 御霊の実である喜びは、状況に左右されません。それは宝石のようにあなたの人生にはめ込まれ、御霊が絶えずそれを呼び覚ましてくださいます。喜びは作り出すものではなく、受け取るものです。
個人への適用
- あなたの歩みの中に、御霊があなたに気づかせ、イエスへと導いてくださった「小さなふれあい」を見つけられますか。
- あなたの人生のどの領域で、御霊はその支配を広げ、あなたを導こうとしておられますか。そして、あなたはどこでまだ抵抗していますか。
- 困難が訪れたとき、何があなたの目を永遠のいのちという目標と、神があなたとともにおられるという事実に向け直させてくれますか。
- 主は、奉仕のためにどんな賜物や恵みをあなたに与えてくださいましたか。そして、誇ることなく、それをどのように生かしていますか。
- もし今日のあなたの喜びが「最後の細い糸」にかかっているなら、イエスにあなたへ息を吹きかけ、それを呼び覚ましてくださるよう願いませんか。
引用された聖句
- ガラテヤ人への手紙 5:22-23
- ヨハネの福音書 16:8
- ヨハネの福音書 3:5
- テトスへの手紙 3:4-7
- ガラテヤ人への手紙 5:25
- ローマ人への手紙 15:13
- ペテロの手紙第一 4:14
- エペソ人への手紙 1:17-18
- ヨハネの福音書 20:19-23
- 創世記 2:7
- ガラテヤ人への手紙 3:13-14
- ヨハネの福音書 7:38
- エペソ人への手紙 1:13-14
- ヨハネの手紙第一 2:20, 27
- ヨハネの福音書 14:16-17
- コリント人への手紙第一 3:16
- コリント人への手紙第一 6:19
- ガラテヤ人への手紙 4:6
- コリント人への手紙第一 12
- エペソ人への手紙 4
- ローマ人への手紙 12:6-8
- ペテロの手紙第一 4:10
よくある質問
ガラテヤ人への手紙5章22節の「御霊の実としての喜び」とはどういう意味ですか。
ガラテヤ人への手紙5章22-23節は、聖霊が私たちの内に結ばせてくださる実を挙げています。愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制です。喜びは2番目に挙げられています。それは人間の努力の結果ではありません。クリスチャンがどんな状況にあっても、それを与えてくださるのは御霊です。
なぜイエスはヨハネ20章で弟子たちに息を吹きかけたのですか。
旧約聖書では、「霊」という言葉は「息」も意味します。イエスは弟子たちに息を吹きかけることで、神の息を目に見える形で示し、「聖霊を受けよ」と言われました。創世記2章7節も思い起こさせます。そこでは、神が土から造られた人に息を吹き込み、人は生きた者となりました。イエスはこうして、ご自分が神であり、新しい命を与えてくださる方であることを示しておられます。
病気のときや仕事を探しているときにも、喜びを持てますか。
はい、と説教者は答えます。それは必ずしも陽気に笑うことではなく、主のものであるという喜びのことです。ときには、最後の細い糸のようになってしまうこともあります。イエスはこの心の琴線に触れて「わたしはここにいる」と思い出させてくださり、それが喜びを呼び覚まします。この喜びは作り出すことができず、聖霊から受け取ることしかできません。
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