「子供たちは主から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である」(詩篇127篇3節)。聖書は子どもを神からの祝福と見ます。子どもは重荷ではなく、嗣業です。そしてイエスは弟子たちが子どもを追い払おうとしたとき、「子供たちをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない」(マルコによる福音書10章14節)と言われました。神の国において子どもは周辺ではなく中心にいるのです。
聖書は親に対して、子どもを信仰の中で育てる責任を与えています。「子をその行くべき道に従って教えよ」(箴言22章6節)。しかしこの教育は一方的な押しつけではなく、愛と模範に基づくものです。「父たちよ、子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい」(エペソ人への手紙6章4節)。厳しさと愛情のバランスは、すべての親が祈りをもって求めるべきものです。
イエスは「子供のようにならなければ、天国にはいることはできない」(マタイによる福音書18章3節)とも教えられました。子どものような信頼、素直さ、謙遜こそが、神の国に近づく姿勢です。また「わたしの子供たちが真理のうちを歩いていることを聞く以上に、大きい喜びはない」(ヨハネの第三の手紙1章4節)というヨハネのことばは、子どもたちの霊的成長が親にとって最大の喜びであることを示しています。
子どもに関する聖書の言葉
« 見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。 »
« それを見てイエスは憤り、彼らに言われた、「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。 »
« 子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。 »
« きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、 »
« 父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。 »
« わたしの子供たちが真理のうちを歩いていることを聞く以上に、大きい喜びはない。 »
« あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。 »
« 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 »
子どもに関するよくある質問
聖書に従って子どもをどう育てますか?
聖書は愛と訓戒のバランスを教えます(エペソ6章4節)。子どもを怒りで支配するのではなく、忍耐と模範をもって導きます。日常生活の中で神のことばを語り(申命記6章7節)、一緒に祈り、教会の共同体に加わることが土台です。完璧な親になることではなく、神に頼りながら成長する姿を見せることが最良の教育です。
子どもは何歳から信仰を理解できますか?
聖書は特定の年齢を定めていません。テモテは「幼い時から聖書に親しんできた」(テモテ第二3章15節)とパウロに言われています。子どもは驚くほど早い段階から神の愛を感じ取ることができます。年齢に応じた方法で信仰を伝え、強制ではなく招きとして神を紹介することが大切です。
聖書は途方に暮れている親に何と言っていますか?
完璧な親は聖書にも存在しません。ダビデもサムエルも子育てに苦労しました。しかし神は不完全な親を通しても働かれます。箴言22章6節は約束であると同時に原則です。結果を心配しすぎず、できることを忠実に行い、子どもを神に委ねましょう。神はあなた以上にあなたの子どもを愛しておられます。
子どもは自分の罪に責任がありますか?
聖書は一般的に、善悪の区別がつくようになった時点で人は自分の選択に責任を持つと教えています。イザヤ書7章16節は子どもが善悪を知る年齢について言及しています。幼い子どもは神の恵みの中にあり、イエスは「天国はこのような者の国である」と言われました。年齢と成熟に応じて、責任も増していきます。