はじめに
意志の強い女性。勇気ある女性。神が求めることを行うためにすべてを捨てることができた女性。それがエステルの姿です。何も持たずに始まり、移住者であり、孤児でありながら、彼女は当時考えられる最も影響力のある場所、すなわち王の宮廷にまで登りつめました。そして神は、彼女に一つの使命を委ねられ、彼女はそれを最後まで果たしました。絶滅の危機にあった民全体を救い出すという使命です。
この使命は、あなたにも与えられています。世界は、仲間内だけで固まっている信者を待ってはいません。神の子どもたちが現れるのを待っているのです。ローマ人への手紙8章にはこうあります。「被造物は、神の子どもたちが現れるのを切に待ち望んでいます」。被造物は、あなたを待っています。神があなたの心に置かれたもの、それが小さくても大きくても、それを携えたあなたを待っているのです。
記事の構成
1. エステル、自分の賜物を神のために用いた女性
2. 被造物が待っているのは信者ではなく、神の子どもたち
3. 「しかし、あなたがたは力を受けます」使徒の働き1章8節の教え
4. トロアスのパウロ、従うことに代償が伴うとき
5. イエスの足もとのマリア、最も大切なものを差し出す
6. 真の証し人となるために聖霊に満たされる
1. エステル、自分の賜物を神のために用いた女性
世の人々の目に映るエステルの魅力、それは美しさでした。王は彼女を見て心を奪われました。今のあなたは、その種の魅力に自分を重ねられないかもしれません。けれども、あなたには別の賜物があります。段取りをする力、絵を描く力、文章を書く力、語る力、知恵をもって助言する力。これらもまた賜物であり、神があなたを置きたいと願う場所へ導くのは、しばしばこうした賜物を通してなのです。神を知らない世の人々は、まずあなたの持つ賜物を見るからです。
エステルは美しかったのですが、それ以上に意志の強い人でした。それは、彼女が神を愛し、おじのモルデカイの言葉に耳を傾けていたからです。あなたの賜物は何でしょうか。神があなたに与えたものに応じて、あなたは世界に影響を与えることができます。教会の外に出て、神があなたに求める、まさにその場所で影響力を持つ者になることができるのです。
2. 被造物が待っているのは信者ではなく、神の子どもたち
ローマ人への手紙8章ははっきりと語っています。被造物がため息をついて待ち望んでいるのは信者ではなく、神の子どもたちが現れることです。これは同じことではありません。「神の息子である」「神の娘である」という言葉からは、一つのアイデンティティ、一つの力、一つの情熱があふれ出てきます。
あなたが影響力を持てるのは、自分が何者であり、自分の神がどなたであるかを知っているときだけです。すべては、あなたのアイデンティティから始まります。全地は、キリストの教会が現れるのを待っています。このことを実感できるでしょうか。被造物は、神の子どもであるあなたが現れることを、切に望んでいるのです。
3. 「しかし、あなたがたは力を受けます」使徒の働き1章8節の教え
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」(使徒の働き1章8節)。この聖句は、あなたも暗唱しているかもしれません。冒頭の小さな言葉に注目してください。それは「しかし」です。「しかし」という言葉には、必ずその前に理解すべき文脈があります。
その直前、イエスは弟子たちに、ご自分が去って行くことを告げられます。そして、慰め主を待つように求められます。弟子たちはどうしたでしょうか。彼らは自己中心的な問いを投げかけます。「主よ、イスラエルのために国を再興されるのは、この時なのですか」。彼らは自分たちのことを考えていました。「あなたが去られたら、私たちはどうなるのですか」。イエスは、時と時期は父の権威に属することだと答えられます。そして、この「しかし」を続けられます。「しかし、あなたがたは力を受けます……そして、わたしの証人となります」。
ここに、「自分」を考えることと「証人」であることの大きな違いがあります。証人は、もはや自分のことを考えません。受けたものを与えることを考えます。「自分」は受け取り、抱え込みたがります。証人は与えたいのです。だからこそ、あなたには聖霊の力が必要なのです。聖霊は、あなたの考え方そのものを変えてくださいます。「自分」ではなく、「他者、隣人」へと。
ある出来事に傷つけられたために自分のことばかり考えているなら、あなたは「では自分はどうなるのか」と繰り返し続けます。神があなたのために望んでおられる豊かな人生は、方向転換を伴います。それは、他者に心を向けることです。聖霊は、あなたが自分自身についてくよくよ考え続けるために与えられたのではありません。あなたが証人となるために与えられているのです。
4. トロアスのパウロ、従うことに代償が伴うとき
パウロは、福音がヨーロッパへ開かれる直前、非常に苦しい時期を過ごしました。ガラテヤに行こうとしましたが、聖霊がそれを止められました。ビティニアに行こうとしましたが、イエスの御霊がそれを許されませんでした(使徒の働き16章)。また、割礼をめぐる難しい議論のために、エルサレムに戻らなければなりませんでした。さらに、宣教の同労者バルナバとマルコのことで激しく対立し、二人は袂を分かちました(使徒の働き15章36〜40節)。パウロは、方向を見失ったような状態でトロアスにたどり着きます。
そこで彼は、一人のマケドニア人が「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と呼びかける幻を受け取ります。マケドニアとはヨーロッパのことです。パウロはそこに行ったことがありませんでした。しかし出発する前、パウロが第二コリント2章12〜13節で語っていることに耳を傾けてください。「さて、私はキリストの福音のためにトロアスに行ったとき、主において門が開かれていましたが、兄弟テトスに会えなかったので、私の霊には安らぎがありませんでした。そこで、彼らに別れを告げてマケドニアに出発しました。」
「霊には安らぎがなかった」。パウロは、最も親しい友であるテトスを捜し求めていました。少なくとも出発前に彼を抱擁したかったのです。しかし見つかりませんでした。それでもパウロは出発しました。自分のことを優先しなかったのです。バルナバとの決別、そしてエルサレムでのペテロとの対立(ガラテヤ2章11〜14節)に加え、この心の痛みを抱えたまま、パウロは神に従いました。
私たちのうち、神の召しに入るために何かを手放す覚悟のある者が、どれだけいるでしょうか。ルカ9章59〜60節の青年を思い出してください。「わたしについて来なさい」と言われたのに対し、「まず、父を葬りに行かせてください」と答えた青年です。父親はまだ亡くなっていませんでした。つまり彼は、「主よ、あなたに従います。しかし、まず遺産を受け取らせてください」と言っていたのです。結果として、彼はキリストに従う機会を逃しました。自分のことを考えていたからです。
パウロの従順のゆえに、福音はヨーロッパに届きました。もしパウロがトロアスにとどまって友を捜し続けていたなら、霊的な意味で、あなたは今いる場所にいなかったかもしれません。
5. イエスの足もとのマリア、最も大切なものを差し出す
ラザロの復活の後、ある食事の席が設けられました。マリアは高価な香油の壺を持って入り、それをイエスの足に注ぎ、自分の髪でその足をぬぐいました(ヨハネ12章1〜8節)。弟子たちは憤慨します。「なぜこの香油を売って、貧しい人々に施さなかったのか」。彼らは値段のこと(一年分の賃金に相当)を考えていました。自分のことを考えていたのです。しかしイエスはこう言われます。「わたしの葬りの日のために、彼女はこれを取っておいたのです。」
マリアは自分の身の安全を考えていませんでした。すべてを差し出したのです。その数日前、彼女は絶望の中にいました。当時の社会では、兄弟のいない独り身の女性二人は何の価値もないとみなされていたからです。イエスはラザロを彼女のもとに返してくださいました。彼女の感謝の表し方は、すべてを捧げることでした。「主よ、今、私にはあなたがいます。私が持っているものすべてを、あなたにお捧げします。」
今日、イエスはあなたに、家を売ることも仕事を辞めることも求めてはいません(個人的な啓示がある場合を除いて)。イエスが求めておられるのは、あなたが持つ最も大切なものです。そして、もしあなたが御父の子どもであるなら、あなたにとって最も大切なものは、もはや富ではありません。それはキリストの証しです。それは、ペテロが宮の足の不自由な人に語った、あの力です。「銀や金は私にはない。しかし、私にあるもの、それをあなたにあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって、立って歩きなさい」(使徒の働き3章6節)。
6. 真の証し人となるために聖霊に満たされる
もし今なお「自分」のことを考えているなら、聖霊はあなたにこう語りかけようとしています。「それから、他の人たちのことも」。あなたは今経験していることを通して、他の人々への祝福となることができます。しかしそのためには、聖霊に満たされる必要があります。それは聖霊のバプテスマの時だけでなく、その後も繰り返し、絶えず、どこにいても満たされ続け、聖霊があふれ出るためです。
証し人であるということには、二つの側面があります。一つは、キリストの品性の証し人であること(御霊の実、すなわち愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制、ガラテヤ人への手紙5章22〜23節)。もう一つは、キリストの力の証し人であることです。それ以上でも、それ以下でもありません。
愛がなければ、あなたは無に等しく、何をすることもできません(コリント第一13章)。あなたを満たす御霊は、愛の御霊です。他者へと出て行くとは、物質的に持っているものを与えることではなく、イエス・キリストの力を与えることです。それは、言葉であり、啓示であり、預言であり、病人の癒やしであり、知恵であり、伝わっていく信仰です。
覚えておきたいポイント
- 世界が求めているのは、なまぬるい信者ではなく、自分が何者であるかを知っている神の息子、娘たちです。
- 神があなたに与えた賜物(語る力、書く力、段取りをする力、芸術的な力、知恵)は、どれも福音への入り口となり得ます。
- 使徒の働き1章8節は「しかし」という言葉で始まります。聖霊の力なしには、真の証しはありません。
- 神の召しに従うことは、時に友人、計画、快適さを手放すことを意味します。パウロはそれをトロアスで経験しました。
- 今日、神があなたに差し出すよう求めておられるのは、お金ではなく、あなたの証しです。
実践のための問いかけ
- 神があなたの中に置かれた、まだ神の国のために用いる勇気を持てずにいる賜物とは何でしょうか。
- 神が「他の人たち」に目を向けるようにと招いておられるのに、あなたが今も「自分は」ということに心を奪われている生活の領域はどこでしょうか。
- 神が与えられた召しに従う前に、どうしても待ちたいと思っている「テトス」のような存在がいますか。
- 今、あなたにとって最も大切なものは何ですか。そして、マリアのようにそれをイエスの足もとに差し出す備えができていますか。
- 今週、しばらく時間を取って、自分のためだけでなく他の人々へとあふれ出るために、再び聖霊に満たされるよう神に求めてみましょう。
引用聖句
- ローマ人への手紙8:19 · 被造物は、神の子どもたちが現れるのを切に待ち望んでいます。
- 使徒の働き1:6-8 · 「しかし、あなたがたは力を受けます……あなたがたはわたしの証人となります。」
- 使徒の働き16:6-10 · マケドニア人の幻。
- コリント第二2:12-13 · 心に安らぎのないままトロアスにいたパウロ。
- 使徒の働き15:36-40 · パウロとバルナバの対立。
- ルカ9:57-62 · 「わたしについて来なさい」とためらう弟子。
- ヨハネ12:1-8 · マリアがイエスの足に香油を注ぐ。
- 使徒の働き3:1-10 · ペテロと宮の足の不自由な人:「わたしにあるもの、それをあげよう。」
- ガラテヤ人への手紙5:22-23 · 御霊の実。
- エステル記4:14 · 「あなたが王妃の位に達したのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」
よくある質問
世界に待たれるためには、「大きな」働きを持たなければならないのでしょうか。
いいえ、そうではありません。ローマ人への手紙8章が語っているのは、キリスト教界の有名人ではなく、神の子どもたちが現れることです。神があなたに与えたもの、それが小さくても大きくても、あなたが置かれた場所ですでに待たれています。大切なのは、あなたの活動の規模ではなく、あなたが子どもであるというアイデンティティです。
自分がまだ「他者」よりも「自分」のことばかり考えているかどうか、どうすれば分かりますか。
一つの良い指標は、あなたのいら立ちです。物事が自分の思うように運ばないために絶えずいら立っているなら、それは自分の中に閉じこもっているしるしです。証し人は、同じ状況を、誰かに何かを与える機会として見るのです。
聖霊の力を受けるのは、聖霊のバプテスマの時だけなのでしょうか。
いいえ、そうではありません。聖霊に満たされることは、繰り返し新たにされるべき現実です。聖書は、同じ人々について、それが複数回起こったことを示しています(使徒の働き2章、使徒の働き4章31節など)。あなたは毎日、過去の経験に頼るのではなく、他者へとあふれ出るために、再び満たされるよう求めることができます。
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