「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」(ヨハネによる福音書4章23-24節)。イエスはサマリヤの女性に、礼拝は場所や形式ではなく、心の姿勢であることを教えられました。真の礼拝は日曜日の集会に限られず、生活のすべてを通して神を崇めることです。息のある者はすべて主をほめたたえよ(詩篇150篇6節)。
パウロはローマ12章1節で「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である」と書きました。これは革命的な教えです。礼拝は歌うことだけでなく、仕事の仕方、人との接し方、お金の使い方、時間の過ごし方のすべてが含まれます。人生そのものが神への捧げ物となるのです。
聖書は困難な時こそ賛美するよう招きます。パウロとシラスは獄中で賛美を捧げ、鎖が解かれました(使徒行伝16章25節)。ダビデは逃亡中も詩篇で神を崇めました。「いかなる場合でも絶えず感謝のいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、神にささげようではないか」(ヘブル人への手紙13章15節)。礼拝は状況に左右されない信仰の応答です。
礼拝に関する聖書の言葉
« しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。 »
« さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。 »
« 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。 »
« 息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。 »
« だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。 »
« 「われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります」。 »
« 全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。 »
« キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。 »
礼拝に関するよくある質問
礼拝は音楽に限られますか?
いいえ。音楽は礼拝の美しい表現の一つですが、礼拝はそれよりはるかに広いものです。ローマ12章1節は人生そのものを「霊的な礼拝」と呼んでいます。祈り、奉仕、施し、仕事、人を愛すること、真実を語ること、すべてが礼拝となりえます。音楽が苦手でも、生き方を通して神を崇めることができます。
日常生活の中でどう神を礼拝できますか?
コロサイ3章17節は「何事でも…すべて主イエスの名によってしなさい」と教えます。朝の通勤中に神に感謝し、仕事を誠実に行い、家族を忍耐をもって愛し、困っている人に手を差し伸べる。すべての行動を「神のために」という意識で行うとき、日常が礼拝に変わります。
なぜ神は私たちの礼拝を求められるのですか?
神が礼拝を求められるのは、神が何かを必要としているからではなく、私たちが必要としているからです。礼拝は神の栄光を現すと同時に、私たちの心を正しい位置に据えます。何を礼拝するかが、その人の人生を形作ります。真の神を礼拝するとき、私たちは本来の姿に回復されていくのです。