聖書 — 口語訳 (1955)
コリント人への第二の手紙 11
概要
コリント人への第二の手紙11章で、パウロは神の熱情をもって、コリントの教会を熱愛していると語ります。教会は、ただひとりの花婿であるキリストに婚約させた者です。彼は、教会が別のイエスや別の福音に惑わされることを恐れます。そして、サタンが義の使者に変装させた偽使徒、すなわち人を欺く働き人たちを糾弾します。彼らの誇りに答えるために、パウロはしもべとしての苦難を数え上げ、自分の弱さを誇ることを選びます。
この章の4つの区分
1わたしが少しばかり愚かなことを言うのを、どうか、忍んでほしい。もちろん忍んでくれるのだ。
2わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただひとり男子キリストにささげるために、婚約させたのである。
3ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。
4というのは、もしある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。
5事実、わたしは、あの大使徒たちにいささかも劣ってはいないと思う。
6たとい弁舌はつたなくても、知識はそうでない。わたしは、事ごとに、いろいろの場合に、あなたがたに対してそれを明らかにした。
7それとも、あなたがたを高めるために自分を低くして、神の福音を価なしにあなたがたに宣べ伝えたことが、罪になるのだろうか。
8わたしは他の諸教会をかすめたと言われながら得た金で、あなたがたに奉仕し、
9あなたがたの所にいて貧乏をした時にも、だれにも負担をかけたことはなかった。わたしの欠乏は、マケドニヤからきた兄弟たちが、補ってくれた。こうして、わたしはすべての事につき、あなたがたに重荷を負わせまいと努めてきたし、今後も努めよう。
10わたしの内にあるキリストの真実にかけて言う、この誇がアカヤ地方で封じられるようなことは、決してない。
11なぜであるか。わたしがあなたがたを愛していないからか。それは、神がご存じである。
12しかし、わたしは、現在していることを今後もしていこう。それは、わたしたちと同じように誇りうる立ち場を得ようと機会をねらっている者どもから、その機会を断ち切ってしまうためである。
13こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。
14しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。
15だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなろう。
16繰り返して言うが、だれも、わたしを愚か者と思わないでほしい。もしそう思うなら、愚か者あつかいにされてもよいから、わたしにも、少し誇らせてほしい。
17いま言うことは、主によって言うのではなく、愚か者のように、自分の誇とするところを信じきって言うのである。
18多くの人が肉によって誇っているから、わたしも誇ろう。
19あなたがたは賢い人たちなのだから、喜んで愚か者を忍んでくれるだろう。
20実際、あなたがたは奴隷にされても、食い倒されても、略奪されても、いばられても、顔をたたかれても、それを忍んでいる。
21言うのも恥ずかしいことだが、わたしたちは弱すぎたのだ。もしある人があえて誇るなら、わたしは愚か者になって言うが、わたしもあえて誇ろう。
22彼らはヘブル人なのか。わたしもそうである。彼らはイスラエル人なのか。わたしもそうである。彼らはアブラハムの子孫なのか。わたしもそうである。
23彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。
24ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
25ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。
26幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
27労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。
28なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。
29だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。
30もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。
31永遠にほむべき、主イエス・キリストの父なる神は、わたしが偽りを言っていないことを、ご存じである。
32ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕えるためにダマスコ人の町を監視したことがあったが、
33その時わたしは窓から町の城壁づたいに、かごでつり降ろされて、彼の手からのがれた。
鍵となる聖句
わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただひとり男子キリストにささげるために、婚約させたのである。
パウロは教会を、ただひとりの花婿キリストに婚約した花嫁にたとえます。彼の語る熱情とは、神がご自分の民に抱く熱情です。コリントの人々を、心を分けることなく、きよい者として差し出したいのです。
ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。
エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、コリントの人々の思いが、キリストに対する純情から離れてしまうことを、パウロは恐れます。危険は目に見える罪だけでなく、思いが少しずつゆがめられることにあります。
しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。
サタンですら光の天使に変装します。悪は、いつも忌まわしい顔で現れるわけではなく、善のように見えることがあります。だからこそ、見分ける力が必要です。
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説教が語っていること
コリント人への第二の手紙11章についてよくある質問
サタンが光の天使に変装するとは、どういう意味ですか
14節は、悪が魅力的で宗教的な姿を取ることがあると語ります。サタンはいつも正体を現して近づくのではなく、善をまねて人を欺きます。そこからパウロは、サタンのしもべたちも義の使者に見せかけることがあると述べます。だからすべてを、受けた福音に照らして吟味する必要があります。
コリント人への第二の手紙11章の偽使徒とはだれですか
パウロの権威を疑わせるためにコリントに来た説教者たちです。パウロは彼らを、キリストの使徒に変装した、人を欺く働き人と呼びます。彼らは別のイエス、別の霊、別の福音を宣べ伝えていました。パウロが彼らに立ち向かうのは、高ぶりからではなく、教会を彼らの誘惑から守るためです。
なぜパウロはこの章で自分の苦難を語るのですか
パウロは自慢するのが好きではなく、自分でも愚か者として語ると言っています。しかし偽使徒たちは肩書きを誇っていました。それに答えるために、彼はむち打ち、投獄、難船、危険を数え上げます。目的は自分を高めることではありません。神の力が現れるのは弱さの中だからこそ、自分の弱さを誇ると告げているのです。
コリント人への第二の手紙 11を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。