ヨブに学ぶ(1):サタンの前で試される信仰

読了時間 1分

はじめに

ヨブ記は、恵まれた一人の男の姿から始まります。大家族、莫大な財産、確かな名声を持つ人物です。それにもかかわらず、第一章からすでに、神とサタンの間で目に見えない会話が交わされ、それが彼の人生を一変させてしまいます。この源流となる箇所は、あなた自身にも関わる問いを投げかけます。正しい者も苦しむことがあるのか、そうだとすれば、試練が訪れるとき、あなたはどこに目を向けるのか、という問いです。

ヨブ記についてのこの最初の説教では、ヨブ記1:1〜12を共に読み進めます。そこには二つの姿が見えてきます。忠実な信者の姿と、告発し信仰を揺さぶろうとする実在の敵、サタンの姿です。

この書がいつ書かれたのか、誰が著者なのか、ヨブがどの時代に生きていたのかを、私たちは正確には知りません。しかしエゼキエル14:14は、ノアやダニエルと並んで彼の名を挙げており、ヤコブ5:11は彼の忍耐について語っています。ヨブは確かに実在した人物です。

説教の構成

1. ウツの地の誠実な人、ヨブ(1〜3節)

本文はヨブを、ウツの地の住民として紹介します。おそらくエドムの地域、パレスチナの南、モーセが羊飼いとして過ごしたミディアンの地からそう遠くない場所です。彼はイスラエル人ではなく、東方の民の一人でした。

聖書は彼について、「誠実で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた」と記しています。「誠実」ということばは、満ち足りた状態を表します。彼は神が人に求める律法を忠実に守っていました。「正しい」とは、右にも左にもそれなかったということです。彼は心を尽くして神に仕え、神が忌み嫌われるものから遠く離れて生きていました。

ヨブ記28:28はこれを次のようにまとめています。「見よ。主を恐れることが知恵であり、悪から離れることが悟りである。」ヨブはまさにそのとおりに生きていました。それは彼が罪のない人間だったということではありません。彼も私たちと同じ一人の人間でした。しかし彼の信仰は本物であり、それは富に囲まれていてもなお変わりませんでした。ここに驚くべき点があります。豊かさの中にあっても、彼は神を忘れなかったのです。

もしかすると、あなたは逆の姿に自分を重ねるかもしれません。苦しみの中では「主よ、助けてください」と叫びます。しかし、すべてがうまくいっているとき、生活が満たされているとき、祈りは少なくなっていきます。ヨブは、その両方の季節において、神に目を上げていました。

神は彼に十人の子ども、七人の息子と三人の娘、そして莫大な家畜を与えられました。羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、そして多くのしもべたちです。彼は「東の人々の中で誰よりも身分の高い者」でした。創世記24:35でアブラハムが受けた祝福と同じです。

2. 子どもたちを聖別する父(4〜5節)

彼の息子たちは順番に集まって祝宴を開き、姉妹たちを招いていました。祝宴の周期が一巡すると、ヨブは子どもたちを呼び集めて彼らを聖別しました。朝早く起きて、彼らひとりひとりのために全焼のいけにえをささげ、こう心の中で言っていました。「もしかすると、息子たちは罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない。」

「聖別する」とは、神のために取り分けるという意味です。出エジプト13:2が思い起こさせるように、初子は神にささげられるものです。「全焼のいけにえ」を意味するヘブル語は、立ち上るものを表します。祭壇の上ですべてが焼き尽くされるささげ物、すなわち完全に神にゆだねられるものです。それは全き献身のしるしです。

ノアも洪水の後、同じように行動しました(創世記8:20)。そして本文はこう記しています。「ヨブはいつもこのようにしていた。」これは一時の思いつきではなく、信仰に基づく習慣でした。彼は子どもたちを深く愛し、彼らのたましいを神の前に運んでいたのです。

3. 天の場面:神の前に立つサタン(6〜12節)

物語の舞台が変わります。「ある日、神の子らが主の前に出て来た。サタンも彼らの中に来た。」ここでのサタンは、神と対等な敵として描かれているわけではありません。彼は御使いたちの中に立ち、主の権威のもとにいます。

神が先に問いかけられます。「どこから来たのか。」サタンは答えます。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」彼の活動は、神への不信を蒔き散らし、人を罪へと誘い、御怒りのもとへと引き込むために、うろつき回ることです。ペテロはこう描写します。「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべき者を捜し求めて歩き回っています」(Ⅰペテロ5:8)。

そこで神はヨブに注意を向けさせます。「わたしのしもべヨブに心を留めたか。地上に彼のような者はいない。」「わたしのしもべ」ということばは、神とヨブとの親密さを表しています。

4. サタンの告発:見返りのための信仰なのか

サタンは恐ろしい問いで反論します。「ヨブが神を恐れるのは、見返りのないことなのでしょうか。」彼の主張は単純です。もしヨブがあなたを愛しているとすれば、それはあなたが彼を祝福してきたからにすぎません。あなたは彼と彼の家、彼の持ち物すべての周りに垣を巡らせてこられました。その手を引っ込めてご覧なさい。彼はあなたの面前であなたをのろうでしょう。

これは敵の典型的な告発です。信仰を計算に還元してしまうのです。「あなたは本当に神を信じているのではない。ただ神の贈り物を利用しているだけだ。」サタンは、ヨブの信仰が愛ではなく契約にすぎないことを証明しようとしているのです。

神は答えられます。「見よ。彼に属するものはすべて、おまえの手にゆだねる。ただし、彼自身には手を出すな。」サタンは許可を受けますが、それは厳しく限定された枠の中でのことです。神が許される以上のことを、彼は何一つ行うことができません。彼は全能でも全知でもありません。彼はあくまで被造物にすぎないのです。

5. 私たちの敵を知る

この箇所は、告発する者の正体を私たちに直視させます。サタンは実在します。イザヤ14:12〜15は、彼がかつて高い地位にあった御使いであり、その高ぶりによって堕落したことを暗示しています。聖書は彼にいくつもの名を与えています。悪魔、誘惑する者、惑わす者、悪しき者、告発者、敵対する者、悪霊のかしら、この世の君、空中の権威を持つ支配者、ベルゼブルなどです。

彼の働きは聖書全体を貫いています。ダビデに民の数を数えさせたのも彼です(Ⅰ歴代誌21:1)。大祭司ヨシュアを告発したのも彼です(ゼカリヤ3:1〜2)。新約聖書では、御霊を欺くアナニヤの心を満たします(使徒5:3)。パウロがテサロニケの人々のもとへ行くのを妨げます(Ⅰテサロニケ2:18)。彼はイエスご自身をも誘惑し、この世の国々を差し出します(マタイ4:9)。

彼は「光の御使い」にさえ変装します(Ⅱコリント11:14)。すでに彼によって、罪はこの世界に入り込みました。エバの心に疑いを蒔くことによってです(創世記3章ローマ5:12〜19)。

6. キリストにある私たちの勝利

しかし、物語は告発だけで終わりません。「神の子が現れたのは、悪魔のわざを打ち壊すためです」(Ⅰヨハネ3:8)。その死とよみがえりによって、イエスはサタンに勝利されました。そしてこの勝利は、信仰によって、あなた自身のものとなります。

パウロは私たちに、この戦いが血肉に対するものではなく、霊的な力に対するものであることを思い起こさせます(エペソ6:10〜17)。だからこそ、私たちは神の武具を身に着けなければなりません。そしてヨハネはこう書いています。「神から生まれた者はみな、世に勝ちます。世に勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です」(Ⅰヨハネ5:4〜5)。

私たちの使命は、パウロに託された使命(使徒26:18)と同じく明確です。目を開かせること、サタンの力から神へと移らせること、キリストへの信仰による赦しを告げ知らせることです。

要点のまとめ

  • ヨブが誠実な人であったのは、完璧だったからではなく、彼の信仰が豊かさの中でも試練の中でも変わらなかったからです。
  • 神を恐れる父は、祈りと聖別を通して、絶えず子どもたちを神の前に運びます。
  • サタンは実在する被造物であり、神の権威のもとにあります。彼は神が許す範囲の中でしか行動できません。
  • 私たちに対する彼の主な告発は、「あなたは愛によってではなく、見返りのために信じているだけだ」というものです。
  • キリストへの信仰こそ、世と誘惑者に打ち勝つ勝利です。

個人への適用

  • あなたの生活がうまくいっているとき、それでも心を神に向けていますか。それとも、困難なときだけですか。
  • ヨブのように、まだ何も求められていないうちから、家族を祈りの中で神の前に運んでいますか。
  • あなたの信仰は、神が与えてくださるものに結びついていますか。それとも、神ご自身に結びついていますか。
  • 霊的な戦いの現実を、恐れることなく、しかし油断せずに真剣に受け止めていますか。
  • エペソ6章に記された神の武具を、具体的に身に着けていますか。

引用聖句

よくある質問

なぜ神は、サタンがヨブを攻撃することを許されたのですか。

本文はそのすべてを説明しているわけではありませんが、神が主権者であり続けておられることを示しています。サタンは許可を求めなければならず、神は「彼自身には手を出すな」という限界を定められました。ヨブを打っておられるのは神ではなく、サタンは神が許す範囲内でしか行動できません。この物語は、この書の根本的な問い、すなわち益がなくなったときにも信仰は立ち続けるのか、という問いから始まっています。

聖書によれば、サタンとは本当は何者ですか。

彼は単なる悪の象徴ではなく、実在する霊的な被造物です。イザヤ14章は、彼がかつて高ぶりによって堕落した御使いであったことを示唆しています。新約聖書は彼を、悪魔、敵対する者、告発者、惑わす者、空中の権威を持つ支配者と呼びます。彼は誘惑し、告発し、滅ぼそうとしますが、なお神の権威のもとに置かれており、十字架においてすでに打ち破られています。

今日、霊的な戦いの中でどのように立ち続けることができますか。

ペテロは私たちに、身を慎み、目を覚ましているようにと呼びかけています(Ⅰペテロ5:8)。パウロはエペソ6:10〜17で、真理、正義、平和の福音、信仰、救い、みことば、祈りからなる完全な武具について描いています。勝利は私たちの力にあるのではなく、すでに悪魔に打ち勝たれたキリストへの信仰にあります(Ⅰヨハネ3:8、5:4〜5)。

メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。

関連記事

説教の公開元 Efficient Church. 説教全体を見る のチャンネルで.

← ブログに戻る

ヨブに学ぶ(1):サタンの前で試される信仰 | Efficient Church