聖書 — 口語訳 (1955)
マルコによる福音書 2
概要
マルコによる福音書2章には、当時の宗教的な習慣を揺さぶるイエスの五つの場面が集められています。四人の男が屋根を開けて中風の人をイエスのもとに運び、イエスは病を癒やす前にその罪を赦されます。続いてイエスは取税人レビを召し、罪人たちと食事を共にされます。弟子たちが断食をしない理由を説明し、安息日は人のために設けられたと宣言されます。これらの物語は、イエスがどのような方かを示しています。罪を赦す権威を持ち、失われた者を招く方です。
この章の4つの区分
1幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立ったので、
2多くの人々が集まってきて、もはや戸口のあたりまでも、すきまが無いほどになった。そして、イエスは御言を彼らに語っておられた。
3すると、人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて、イエスのところに連れてきた。
4ところが、群衆のために近寄ることができないので、イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、中風の者を寝かせたまま、床をつりおろした。
5イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。
6ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、心の中で論じた、
7「この人は、なぜあんなことを言うのか。それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」。
8イエスは、彼らが内心このように論じているのを、自分の心ですぐ見ぬいて、「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。
9中風の者に、あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
10しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、中風の者にむかって、
11「あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
12すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、一同は大いに驚き、神をあがめて、「こんな事は、まだ一度も見たことがない」と言った。
13イエスはまた海べに出て行かれると、多くの人々がみもとに集まってきたので、彼らを教えられた。
14また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。
15それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである。
16パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
17イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
18ヨハネの弟子とパリサイ人とは、断食をしていた。そこで人々がきて、イエスに言った、「ヨハネの弟子たちとパリサイ人の弟子たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。
19するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいるのに、断食ができるであろうか。花婿と一緒にいる間は、断食はできない。
20しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう。
21だれも、真新しい布ぎれを、古い着物に縫いつけはしない。もしそうすれば、新しいつぎは古い着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなる。
22まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそうすれば、ぶどう酒は皮袋をはり裂き、そして、ぶどう酒も皮袋もむだになってしまう。〔だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである〕」。
23ある安息日に、イエスは麦畑の中をとおって行かれた。そのとき弟子たちが、歩きながら穂をつみはじめた。
24すると、パリサイ人たちがイエスに言った、「いったい、彼らはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのですか」。
25そこで彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが食物がなくて飢えたとき、ダビデが何をしたか、まだ読んだことがないのか。
26すなわち、大祭司アビアタルの時、神の家にはいって、祭司たちのほか食べてはならぬ供えのパンを、自分も食べ、また供の者たちにも与えたではないか」。
27また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。
28それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。
鍵となる聖句
イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。
イエスは、中風の人を運んできた人々の信仰を見て、まず罪が赦されたと告げられます。体の前に、心に目を向けられるのです。
しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、中風の者にむかって、
罪を赦す権威があることを示すため、イエスは中風の人に立ち上がるよう命じられます。目に見える癒やしが、目に見えない現実を裏づけます。
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
罪人たちと食事をすると非難する律法学者たちに、イエスは、医者を必要とするのは病人だと答えられます。イエスは、自分が神から遠いと知っている人を招くために来られました。
また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。
安息日は人への贈り物であって、重荷ではありません。イエスは戒めの目的を思い起こさせ、次の節で、ご自分が安息日の主であると示されます。
この章に登場する人物
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説教が語っていること
マルコによる福音書2章についてよくある質問
なぜイエスは、中風の人を癒やす前に罪を赦されたのですか
イエスは、この人の最も深い必要が、肉体のことだけではないと見ておられました。罪が赦されたと告げることで、神の権威を持つと示されたので、律法学者たちはつまずきました。そのあとの癒やしは、目に見えるしるしです。聖書は、すべての病気が特定の罪から来ると言っているのではなく、赦しが最初に来ることを示しています。
マルコ2章5節の「彼らの信仰を見て」とはどういう意味ですか
この節は、運んできた四人の信仰、そしておそらく中風の人自身の信仰のことを語っています。彼らの信仰は行いによって表れました。友を運び、屋根を開け、イエスの前に置いたのです。信仰は内側の確信だけではなく、忍耐と友情をもって、人をイエスのもとへ連れて行くことができるとわかります。
「安息日は人のためにあるもの」とはどういう意味ですか
パリサイ人たちは、弟子たちが安息日に穂を摘んだことを非難します。イエスは、神は安息日を重荷ではなく、益となる休みとして与えられたと答えられます。イエスはご自分が安息日の主であるとも示されます。今日、クリスチャンの間で安息日の守り方は同じではありませんが、この戒めが人間のために仕えるものだという点は、皆が心に留めています。
マルコによる福音書 2を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。