マルコ2章:私たちが抵抗する安息日という休み

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はじめに

いらないプレゼントをもらったことはありませんか。スコット・モリソン(Scott Morrison)は、シドニーのRyde Baptist Churchで行われた「休み」についての連続メッセージの第1回を、この問いかけで始めます。彼は25年間Georges River Lifeの主任牧師を務め、現在はオーストラリア各地のあらゆる教派の牧師たちを支えるPartners in Ministryで奉仕しています。

安息日は、私たちが生きる世界では、まったく流れに逆らう考え方だと彼は言います。この連続メッセージで願っているのは、教会が情報だけでなく、変えられた心を持ち帰り、やがて変えられた生活へと進み、神が備えておられる豊かで持続する人生の計画の中に迎え入れられることです。

彼はシンプルな問いを投げかけます。あなたにとって安息日は、重荷でしょうか、祝福でしょうか、それとも自分の現実とは無関係なものでしょうか。メッセージは3つの段階で進みます。安息日の目的を理解すること、なぜ私たちが安息日に抵抗するのかを知ること、そして忙しい生活の中で実際に取り入れ始めることです。

メッセージの流れ

1. 使い方のわからない贈り物

  • 説教者は、家族のちぐはぐな贈り物の思い出を語ります。「70年前」に大流行した4711のオーデコロンを妻に贈ったこと、そして16歳の息子にミキサーを贈ったこと(「16歳の子が一番欲しがらない調理器具」)です。
  • とりわけ思い出すのは、「すばらしく信仰深い女性」だった祖母のことです。祖母はチャリティーの古着店で働いており、家の一部屋がその品物でいっぱいでした。誕生日やクリスマスには、その部屋で「買い物」をしました。セロファンで包まれた「平和」と書かれたろうそく、ふきん、かぎ針編みのブランケット、陶器の人形、そして決まってタッパーウェアです。
  • 安息日も、そうした贈り物のように感じられるかもしれません。「ありがたいし、気持ちはうれしいけれど、本当に使う日が来るだろうか」と。
  • 可能性は3つあります。安息日の目的と力を理解していない。理解しているが価値を認めていない。価値は認めているが、どうすればよいかわからない。

2. 創造に刻まれたリズム

  • 安息日とは、仕事をやめて手を止めることです。聖書の最初の章から、神はそれを創造の秩序そのものに組み込んでおられます。6日間働き、7日目に休まれました(創世記2:2-3)。
  • 神が休まれたのは、疲れ果てたからではありません。この7日目を造ることで神は何かをなさいました。休みは創造の一部なのです。
  • 働くことは悪ではありません。「働くことは、神のかたちに造られたということの一部」です。神は働く方であり、人を祝福して、実を結び、ともに働くようにされました(創世記1:28)。
  • 休みは、悪いものとしての仕事に対する「良い部分」ではありません。いのちの良さの、もうひとつの面です。良い働きの合間に良い休みがあるというリズムこそ、神の計画です。創造的で生産的な生き方であると同時に、生産的ではなく、くつろぐ生き方でもあります。

3. 解放された民に与えられた戒め

  • アブラハムの子孫は、エジプトでファラオと偽りの神々のもとで約400年間奴隷となりました。そこには安息日はありませんでした。
  • 十戒に先立って、神は前提を示されます。「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」(出エジプト記20:2)。この「十のことば」は、抑圧的な規則ではなく、自由な民として生きるための招きです。
  • 第四の戒め(出エジプト記20:8-11)は、最も長いもののひとつです。日を聖別するとは、特別な目的のために取り分けることです。除外される人は誰もいません。子ども、しもべ、寄留の他国人、さらには家畜まで含まれます。「みんなが休む」のです。
  • 働かなければ食べられない社会では、問いはすぐに現実的なものになります。丸一日、どうやって手を止めるのでしょうか。ユダヤ教は最終的に、耕すことから結び目を作ることまで、禁じられる活動を39の分類にまとめました。説教者は、シドニー東部の地域を囲む「エルーブ」にも触れます。毎週点検される一本の線によって、地域全体が「境界の内側」となり、その中では安息日にも物を持ち運べるようになるのです。
  • では、旧約聖書の約613の律法を、キリスト者はどう受け止めるべきでしょうか。スコット・モリソンは、律法を3つに分けます。キリストにおいて成就した儀式律法(罪を贖う動物のいけにえは終わりました。キリストが完全ないけにえだからです)、原則は正しいが私たちを拘束しないイスラエルの市民律法、そして安息日を含む道徳律法です。
  • ですから安息日は、健康法のひとつでも、時代遅れの考えでもありません。「祖母の贈り物のひとつのように扱うことはできません」。ただし、律法の文字ではなく、安息日の精神を受け入れることが大切です。

4. 安息日の主であるイエス

  • マルコ2:23-28で、弟子たちは安息日に穂を摘みます。パリサイ人たちは抗議します。イエスは、ダビデが自分と供の者たちが飢えたときに供えのパンを食べたことを思い出させ、そして宣言されます。「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。
  • その直後のマルコ3:1-6では、人々はイエスが安息日に片手のなえた人をいやすかどうか、じっと見ています。イエスは問われます。「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」。彼らは黙っていました。イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを悲しみながら、その人をいやされます。パリサイ人たちは出て行き、ヘロデ党の者たちとともにイエスを殺そうと相談します。
  • 安息日は決裂の分かれ目となります。イエスは安息日の目的を否定されたのではなく、パリサイ人たちの解釈に異を唱えられたのです。良い賜物が宗教的な義務となり、さらには人を操る道具となって、「祝福というより、はるかに重荷」になっていました。
  • 安息日は招きです。私たちを「することで生きる人間」から、「あることで生きる人間」へと移してくれます。心と体を回復させ、福音による変革の担い手として世に戻っていくための強さを育て、私たちの目を神に向け直させてくれます。
  • それは個人的なものではなく、共同体のものでした。優先順位を整え、偶像や神の代用品に抵抗し、奴隷の地を出て、キリストにあって与えられている自由へと進み出すための場です。

5. なぜ抵抗するのか:文化と環境

  • 説教者は自分自身の葛藤も認めます。牧師にとって週末は予定でいっぱいです。多くのキリスト者は、安息日を日曜日に教会へ行き、その日はいつもの仕事をしないことに縮めてしまっています。
  • 文化:私たちは有限な存在なのに、「無限の世界」を渡ろうとしています。すべてをこなし、すべてを知り、すべてを持たなければというプレッシャーの中にいます。ハイブリッドワークは、仕事と休みの境界をあいまいにしました。私たちは「オフスイッチのない」文化に生きており、絶え間ないニュースの流れ、数千もの広告、そして私たちを「刺激され、気を散らされ、満たされず、分断された」状態に保つスマートフォンに囲まれています。
  • 研究者たちは、「認知の帯域幅」が飽和していると言います。人工知能の台頭で、一種の諦めに陥る人もいます。「難しすぎるから、考えるのはAIに任せよう」と。そして調子を尋ねられると、「元気だよ、忙しくて」と答えます。忙しさは名誉の勲章になってしまいました。
  • 環境:シドニーのペース、渋滞、家賃、生活費。休みは、文字どおり手が届かない贅沢になっています。多くの夫婦が共働きで、複数の仕事を掛け持ちし、持ち物が増えるほど管理することも増えていきます。
  • 人生のステージも関係します。幼い子どもがいると、スポーツや誕生日会、送り迎えに追われて、安息日は20年ほど手の届かないものに思えます。その後には、子どもと年老いた親の両方を世話する「サンドイッチ世代」が来ます。そして、これほど忙しかったことはないと彼に語る退職者も数え切れません。

6. なぜ抵抗するのか:心の奥の献身

  • 文化や環境の下には、休みと相いれない、より深い献身があります。「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである」(箴言4:23)。
  • 私たちは、自分の人生についての思い描く姿に、ひそかに自分を捧げています。持ち物、場所、旅行、子どもたちに与える特権、家、地域などです。この物語は「静かなオペレーティングシステムのように」背景で動き続け、私たちの選択を方向づけます。
  • さらにその下には、人としての根本的な必要があります。関係、愛、重要であること、意味です。私たちはそれを満たすと約束してくれるものを偶像にします。「仕事中毒になることが代償なら、仕事中毒になってやる」。伝道者の書にあるように、私たちは風を追いかけながら、決してつかまえることができません。
  • いちばん奥底にあるのは、最も根源的な献身、つまり自分自身の救いへの献身です。蛇は、神は何かを隠しておられる、自分の人生をどう養うかは神よりも自分のほうがよく知っている、という偽りをまきました(創世記3:1-5)。「すべての偶像の下に隠れている偶像は、私たち自身です」。
  • 私たちは、種を育てるのは神であり、雨と太陽を送り、野の花を育て、すずめを養っておられるのも神であることを忘れています。イエスは、まず神の国を求めなさいと言われます(マタイ6:33)。「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである」(ヨハネ10:10)。安息日は、その命を生きるための神の知恵の一部です。

7. 安息日を受け取る:問い直し、選び、ともに自由に生きる

  • 私たちは、自分たちの文化を批判的に見つめ、環境を問い直し、自分の献身と向き合い続ける必要があります。イエスは当時の文化に異を唱えられ、その答えは善を行うことでした。なえた手をいやされたのです。
  • 説教者は、全員がスマートフォンをスクロールしているジムの様子を描きます。「親指の筋肉だけを鍛えている人でいっぱいの部屋」です。また、全員が同じことをしている電車の様子も。「私たちは催眠にかかったようで、顔を上げることを忘れてしまっています」。キリスト者も、この文化をそのまま映していることが少なくありません。
  • イエスは私たちに、地の塩、世の光となるよう呼びかけておられます(マタイ5:13-16)。否定的な批判ではなく、よりよい道を示す、贖いの批判です。
  • 今週の問いかけ:「自分は本当は何に献身しているのか。何かに「はい」と言うたびに、何に「いいえ」と言ったのか」。いつも「はい、でも」「はい、そして」と言う心は、分かれた心です。ときには、「はい」と「いいえ」の両方を言う必要があります。
  • 「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない」(ガラテヤ5:1)。パウロは出エジプト記20章を引き継いでいます。この自由の中を歩むことは、必ずしももっと多くをすることではありません。「それは、より少なくすることです」。
  • 私たちはそれを、互いに気遣い合い、集まりをやめたりせずに、ともに行うよう招かれています(ヘブル10:23-25)。
  • メッセージは聖餐へとつながります(マタイ26:26-30)。裂かれた体と流された血によって、イエスは父のわざを成し遂げてくださいました。それは、私たちが休みに入り、自分の救いを勝ち取ろうと疲れ果てることをやめるためです。「その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ」(イザヤ53:5)。

要点

  • 安息日は、創造に刻まれた神からの賜物です。良い働きの合間に良い休みがあるというリズムです。
  • 安息日は、奴隷状態から解放された民に、自由な民として生きる道として与えられました。
  • 安息日の主であるイエスは、それが宗教的な義務になることを拒まれます。「安息日は人のためにある」のです。
  • 私たちが休みに抵抗するのは、文化や環境のためであり、何よりも心に隠れた献身のためです。その根には、自分で自分を救おうとする考えがあります。
  • 安息日を受け取るとは、キリストがその死によって私たちのために勝ち取ってくださった休みに入ることであり、それを教会としてともに学んでいくことです。

個人への適用

  1. 今のあなたにとって、安息日は重荷でしょうか、祝福でしょうか、それとも包みを開けていない贈り物でしょうか。
  2. あなたの文化や環境(仕事、住む町、人生のステージ)の中で、休むことをいちばん難しくしているのは何ですか。
  3. あなたは本当は何に献身していますか。何かに「はい」と言うたびに、何に「いいえ」と言っていますか。
  4. あなたの忙しさのうち、たとえひそかにでも、すべては自分の努力にかかっているという考えから来ているのは、どのくらいでしょうか。
  5. 教会や家族の中で、誰とともに休みのリズムを学び始められるでしょうか。

引用された聖句

よくある質問

イエスが「安息日は人のためにある」と言われた意味は何ですか。

マルコ2:27で、イエスは安息日を否定しているのではなく、パリサイ人たちの読み方に異を唱えておられます。スコット・モリソンにとって、安息日は私たちが豊かに生きるための神からの賜物です。宗教的な義務に変えられたとき、それは祝福というより重荷になっていました。

安息日の戒めは、今もキリスト者に当てはまりますか。

スコット・モリソンは、十字架で成就した儀式律法、イスラエルの市民律法、そして十戒の中に安息日を含む道徳律法を区別します。安息日は今日の私たちにも残っていますが、大切なのは律法の文字ではなく、安息日の精神を受け入れることです。

なぜ私たちは休むのが難しいのですか。

説教者は3つの理由を挙げます。忙しさを重んじるオフスイッチのない文化、忙しい生活環境(生活費、子ども、年老いた親)、そして何よりも心に隠れた献身です。その根底には、自分の努力で人生を、さらには救いまでも確保できるという偽りがあります。

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