聖書 — 口語訳 (1955)

マルコによる福音書 8

概要

マルコによる福音書8章は、この福音書の転換点です。イエスは四千人に食べ物を与え、弟子たちの無理解を戒め、ベツサイダで盲人を二段階でいやされます。カイザリヤ・ピリポでは、ペテロがイエスをキリストと告白します。するとすぐ、イエスはご自分の苦しみと死と復活を告げ、従いたい者は自分を捨て、自分の十字架を負うようにと招かれます。

この章の6つの区分

  1. 1-10節イエスが七つのパンで四千人を養われる
  2. 11-21節拒まれたしるしと、パリサイ人のパン種
  3. 22-26節ベツサイダの盲人が二段階でいやされる
  4. 27-30節あなたがたはわたしをだれと言うか:ペテロの告白
  5. 31-33節イエスが苦しみを予告し、ペテロをいさめられる
  6. 34-38節自分を捨ててイエスに従う

1そのころ、また大ぜいの群衆が集まっていたが、何も食べるものがなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、

2「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。

3もし、彼らを空腹のまま家に帰らせるなら、途中で弱り切ってしまうであろう。それに、なかには遠くからきている者もある」。

4弟子たちは答えた、「こんな荒野で、どこからパンを手に入れて、これらの人々にじゅうぶん食べさせることができましょうか」。

5イエスが弟子たちに、「パンはいくつあるか」と尋ねられると、「七つあります」と答えた。

6そこでイエスは群衆に地にすわるように命じられた。そして七つのパンを取り、感謝してこれをさき、人々に配るように弟子たちに渡されると、弟子たちはそれを群衆に配った。

7また小さい魚が少しばかりあったので、祝福して、それをも人々に配るようにと言われた。

8彼らは食べて満腹した。そして残ったパンくずを集めると、七かごになった。

9人々の数はおよそ四千人であった。それからイエスは彼らを解散させ、

10すぐ弟子たちと共に舟に乗って、ダルマヌタの地方へ行かれた。

11パリサイ人たちが出てきて、イエスを試みようとして議論をしかけ、天からのしるしを求めた。

12イエスは、心の中で深く嘆息して言われた、「なぜ、今の時代はしるしを求めるのだろう。よく言い聞かせておくが、しるしは今の時代には決して与えられない」。

13そして、イエスは彼らをあとに残し、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。

14弟子たちはパンを持って来るのを忘れていたので、舟の中にはパン一つしか持ち合わせがなかった。

15そのとき、イエスは彼らを戒めて、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」と言われた。

16弟子たちは、これを自分たちがパンを持っていないためであろうと、互に論じ合った。

17イエスはそれと知って、彼らに言われた、「なぜ、パンがないからだと論じ合っているのか。まだわからないのか、悟らないのか。あなたがたの心は鈍くなっているのか。

18目があっても見えないのか。耳があっても聞えないのか。また思い出さないのか。

19五つのパンをさいて五千人に分けたとき、拾い集めたパンくずは、幾つのかごになったか」。弟子たちは答えた、「十二かごです」。

20「七つのパンを四千人に分けたときには、パンくずを幾つのかごに拾い集めたか」。「七かごです」と答えた。

21そこでイエスは彼らに言われた、「まだ悟らないのか」。

22そのうちに、彼らはベツサイダに着いた。すると人々が、ひとりの盲人を連れてきて、さわってやっていただきたいとお願いした。

23イエスはこの盲人の手をとって、村の外に連れ出し、その両方の目につばきをつけ、両手を彼に当てて、「何か見えるか」と尋ねられた。

24すると彼は顔を上げて言った、「人が見えます。木のように見えます。歩いているようです」。

25それから、イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人は見つめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見えだした。

26そこでイエスは、「村にはいってはいけない」と言って、彼を家に帰された。

27さて、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられたが、その途中で、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は、わたしをだれと言っているか」。

28彼らは答えて言った、「バプテスマのヨハネだと、言っています。また、エリヤだと言い、また、預言者のひとりだと言っている者もあります」。

29そこでイエスは彼らに尋ねられた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。ペテロが答えて言った、「あなたこそキリストです」。

30するとイエスは、自分のことをだれにも言ってはいけないと、彼らを戒められた。

31それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、

32しかもあからさまに、この事を話された。すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめたので、

33イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた、「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。

34それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。

35自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。

36人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。

37また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。

38邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。

鍵となる聖句

2節
「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。

イエスは群衆をかわいそうに思われます。求められる前に、必要を見て動かれます。奇跡はこのまなざしから生まれます。

25節
それから、イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人は見つめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見えだした。

盲人のいやしは二段階で行われます。最初に手を当てられたあと、はっきり見えず、次にすべてのものがはっきりと見えるようになります。イエスがみわざを最後までなし遂げてくださることを示しています。

29節
そこでイエスは彼らに尋ねられた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。ペテロが答えて言った、「あなたこそキリストです」。

ご自分がだれであるかを弟子たちに問うイエスの質問は、マルコの福音書の中心にあります。ペテロは「あなたこそキリストです」と答えます。イエスはこの答えを、すぐに十字架の予告によって照らされます。

34-35節
それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。

イエスに従うことは、自分を捨て、自分の十字架を負うことです。イエスのために失う命は、失われるのではありません。そのようにして命は救われます。

この章に登場する人物

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説教が語っていること

マルコによる福音書8章についてよくある質問

マルコによる福音書8章34節の、自分を捨てて十字架を負うとはどういう意味ですか

イエスは、従いたい者に、自分の意志よりイエスの意志を先に置き、忠実であることの代価を、苦しみに至るまで受け入れるよう招かれます。十字架を負うとは、どんな試練にも耐えることではなく、代価を払ってもイエスに従うことです。イエスはさらに、わたしのために命を失う者はそれを救うと言われます。

なぜイエスはベツサイダの盲人を二段階でいやされたのですか

この段階的ないやしを伝えるのはマルコだけです。多くの注解者は、イエスをはっきり認める前にまだよく見えていない弟子たちの理解の姿だと見ます。ほかに、完全に見えるようになるまで導かれるイエスの忍耐をそこに読む人もいます。

マルコによる福音書8章の中心的なメッセージは何ですか

この章はイエスがどなたかを問います。ペテロはイエスをキリストと告白し、そのあとイエスは、ご自分の使命が苦しみ、拒絶、死、そして復活を通ることを説明されます。イエスに従いたい者は、同じ明け渡しと信頼の道を歩むよう招かれています。

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